熊谷榧

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熊谷 榧(くまがい かや、1929年4月3日[1] - 2022年2月24日)は、日本の画家日本山岳画協会会員。東京都出身。

経歴[編集]

画家・熊谷守一の次女として東京都に生まれる。1951年日本女子大学卒業[2]。二児の母。

20代より山に魅せられ、多くの山を巡るうち自然と絵を描き始める。次第に父親と同じ「画家」という道を歩み出す。時同じく山スキーのとりこになり1960年代には既にヨーロッパの雪山をガイド付きで滑る。当時、日本人女性がひとりで欧州のスキーツアーを組むことはごく稀であった。

1977年、父・熊谷守一の死後、東京都豊島区千早にあった守一の旧居跡地に熊谷守一美術館を1985年創立。「父は画家だった。画家は絵だけが残ればよい。」という自身の信念により、熊谷守一の旧居と庭は美術館に姿を変えた[注 1]。2007年に自身所蔵の熊谷守一作品をすべて豊島区に寄贈する。創立時より豊島区立熊谷守一美術館となった現在に至るまで25年間、同館の館長を務めていた。

2022年2月24日、死去。92歳没[3]

著書[編集]

  • モリはモリ、カヤはカヤ―父・熊谷守一と私(新日本出版社、1990年)
  • グリーンランドは旅人を離さない(白山書房、1993年)
  • ブナ林からの贈りもの(世界文化社、1993年)
  • 女ひとり氷河を滑る 榧・画文集(白山書房、1995年)
  • 晴れのち曇り 曇りのち晴れ―山の画文集(平凡社、2001年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 庭からケヤキハゼの2本の木は残す。

出典[編集]

  1. ^ 【訃報】豊島区立熊谷守一美術館長 熊谷榧 逝去のお知らせ - 豊島区立熊谷守一美術館、2022年3月3日
  2. ^ 守一のこと”. 豊島区立熊谷守一美術館. 2019年3月3日閲覧。
  3. ^ 熊谷榧さん死去 画家、守一の次女 | 岐阜新聞Web”. 熊谷榧さん死去 画家、守一の次女 | 岐阜新聞Web. 2022年3月11日閲覧。

外部リンク[編集]