潮江天満宮
| 天満宮 | |
|---|---|
天満宮拝殿正面 |
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| 所在地 | 高知県高知市天神町19-20 |
| 位置 | 北緯33度33分11.54秒 東経133度32分4.23秒座標: 北緯33度33分11.54秒 東経133度32分4.23秒 |
| 主祭神 | 菅原道真公 高視朝臣 北の御方 |
| 社格等 | 県社 別表神社 |
| 創建 | 延喜5年(905年) |
| 例祭 | 7月22日(夏祭) |
| 主な神事 | 春大祭(古式菜種祭、2月25日) 秋大祭(神幸祭、11月18日・19日) |
潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)は、高知県高知市天神町にある神社。潮江天満宮は別称で、正式名称は天満宮である。旧社格は県社、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。
市南半分の産土神であり[1]、高知市の中心部に鎮座することもあって、初詣等の行事において土佐国一宮の土佐神社をしのぎ市内一の人出を集めている。
目次 |
[編集] 祭神
主祭神は以下の3柱。
また、相殿神として以下の2柱を祀っている。
[編集] 歴史
[編集] 創建
昌泰4年(901年)の昌泰の変による菅原道真の左遷に伴い、その息子である大学頭兼右少弁菅原高視も土佐権守に任官されて左遷され、土佐国潮江に居住した。高視邸跡は昔は小判畑と呼ばれており、現在は石碑が立っている。邸跡のある山は高視の名前から「高見山」(筆山の奥の山、正式名は皿ヶ峰)と呼ばれ、麓には現在も高見町という町名が残っている。
延喜3年(903年)に道真が亡くなり、その遺品(袍、剣、観音像)が2年後に高視の元へ届けられたので、それを祀ったのが創祀となる。なお、この際届けたのが道真侍臣の渡会春彦(白太夫)であり、長岡郡大津村船戸(現 高知市大津舟戸)の霊松山雲門寺において病を発し、延喜5年(905年)12月9日高視に会うことなく同地で没した[1]と伝わる。その後遺品は他の者により届けられた。現在も岩崎山(大津北浦)には、その墓(奥津城)が残り白太夫神社が建っている。
その後、京で数々の異変があったこともあり、高視は延喜6年(906年)京へ戻り従五位上に叙され大学頭に復帰している。
[編集] 近世以後
江戸時代、土佐藩主山内氏の菩提寺(真如寺)を築くにあたって西に移動し、再興された。
明治6年(1873年)県社に列格し、明治35年(1902年)の菅原道真一千年祭にあたって大幅に修築を行った。
[編集] 境内
境内は筆山の麓、鏡川と挟まれた地に建つ。鏡川右岸に沿うようにあり、川の下流側である東側が入口となる。本殿は入口同様東面しているが、参道はS字に折れている。すなわち、参道は入口からしばらく西に向かったあと左に直角に折れ、楼門をくぐったのち今度は右に直角に折れる。境内には他の天満宮同様、多くの老梅がある。
- 楼門
- 樹高:25m、目通り幹囲:7.5m、推定樹齢:300年以上。境内左手、鏡川堤防上に立つ。「天神のクスノキ」として市天然記念物指定。
また境内は、特別天然記念物ミカドアゲハの保護のため、筆山町要法寺境内・潮江中学校校庭とともに「高知市のミカドアゲハ及びその生息地」として登録されている。
[編集] 境内社
- 白太夫社
- 若栄社(わかえしゃ)
- 祭神:菅公陪従の諸霊と宮地正勝。
- 祭日:2月25日、7月22日、11月18日・19日。
- 早良宮
- 島崎神社
- 大山祇神社
- 幡龍宮
- 神池のほとりに龍神が祀られている。
[編集] 文化財
[編集] 市指定
- 有形文化財
- 潮江天満宮楼門
[編集] 現地情報
[編集] 所在地
- 高知県高知市天神町19-20
[編集] 交通アクセス
[編集] 周辺
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『高知市史』(高知市役所、1920年)