潜水球

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潜水球の傍らに立つウィリアム・ビービ(左)とオーティス・バートン(右)

潜水球(せんすいきゅう、英語:Bathysphere)もしくはバチスフェアとは、動力を持たず、ケーブルで海中に吊り下ろされる形の深海潜水装置である。

概要[編集]

最初の潜水球はオーティス・バートン(Otis Barton)によって1928年に考案された。実物はコックス&スティーヴンス社(Cox & Stevens, Inc.)のジョン・H・J・バトラーによって設計された。コックス&スティーヴンス社とは、1929年、オーティス・バートンが"diving tank"の製作を注文した会社である。鋼鉄球殻の鋳造はニュージャージー州ローゼル(Roselle)にあるワトスン・スティルマン水力機械社で行なわれた。最初のものが実用上は重すぎると判断された後、1インチ(2.54cm)厚の鋳鋼でできた直径4.75フィート(1.45m)の中空球体に変更された。

球殻には、3インチ厚の熔解石英[1](当時入手できた最も強い透明材料である)の窓がはめ込んであった。出入り口は400ポンドの重さのハッチで、潜水の前にボルトで固定される形式だった。酸素は、球の内部に持ち込まれた高圧のボンベから供給された。同時にソーダ石灰(二酸化炭素を吸収する)と塩化カルシウム(湿気を吸収する)を入れた容器の上で電動の送風機を回して、内部の空気を清浄化・循環させた。

使用時、潜水球は1インチのケーブルで吊られ、硬質ゴムのホースが電力の供給と電話線(搭乗者と水上の唯一の連絡手段である)の保護を担う。装置全体(ケーブルとその他の線を含む)の排水量は、約一万ポンド(四千kg)である。

潜水球の運用には経済的・組織的な援助体制が必要だったので、バートンは当時著名であった探検家・博物学者のウィリアム・ビービ(William Beebe)に協力を求めた。1930年6月6日、彼らは共に潜水球による初の有人潜水に挑み、803フィート(245m)の深度に達した。

1932年、バートンとビービは3028フィート(923m)という潜水深度の世界記録を作り、これは15年間も破られなかった。

深度が大きくなると、潜水球を吊るすケーブルは扱いにくくなる。そのため、更に深くを目指す潜行は、スクリューで自力推進する乗り物(バチスカーフなど)によって行なわれる。

バートンとビービの潜水球は現在ニューヨークコニーアイランドのニューヨーク水族館(New York Aquarium)に展示されている。

バチスフェア(bathysphere)という言葉は、ギリシア語の単語"βάθος"(ラテン翻字:bathos)=「深」と"σφαίρα"(sphaira)=「球」を合成した語である。

訳注[編集]

  1. ^ 原語は"fused quarts"。『一万一千メートルの深海を行く』での訳語に準じた。

参考文献[編集]

  • Beebe, William. Half Mile Down. Harcourt Brace and Company. (1934).
  • Matsen, Brad . Descent - The Heroic Discovery of the Abyss. Pantheon Books. (2005).
  • J・ピカール、R・S・ディーツ共著、佐々木忠義訳『一万一千メートルの深海を行く - バチスカーフの記録』角川新書、1962年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]