源清平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源清平
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 元慶元年(877年
死没 天慶8年正月13日945年2月27日
官位 正四位下参議
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 光孝源氏
父母 父:是忠親王
兄弟 式順王式瞻王興我王源和忠望王今扶王英我王源清平源正明源宗于姣子女王
不詳
師保是輔共貞相規
テンプレートを表示

源 清平(みなもと の きよひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿式部卿是忠親王の次男。

経歴[編集]

醍醐朝延喜2年(902年文章生となる。延喜3年(903年)二世王の蔭位により従四位下に直叙され、翌延喜4年(904年弾正大弼に任ず。

延喜10年(910年山城守に任ぜられると、延喜11年(911年大和守、延喜16年(916年三河権守、延喜17年(917年河内守に叙任されるなど、醍醐朝中期は専ら地方官を歴任し、この間の延喜16年(916年)従四位上に叙せられている。

延喜23年(923年)に兵部大輔次いで左京大夫と京官に復帰する。延長5年(927年近江権守と醍醐朝末から再び地方官に転じ、承平2年(932年)には大和守に再任されている。承平4年(934年正四位下。承平7年(937年勘解由長官天慶2年(939年右大弁と朱雀朝中期は京官を務め、天慶4年(941年)には参議となり65歳にして公卿に列すが、同時に大宰大弐を兼ね大宰府に赴任した。

天慶8年(945年)正月13日に任地で卒去享年69。最終官位は参議正四位下行大宰大弐

官歴[編集]

公卿補任』による。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 貞信公記延長5年正月12日条

参考文献[編集]

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年