渡邊武一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡邊わたなべ 武一郎ぶいちろう
生誕 渡邊 武一郎(わたなべ ぶいちろう)
1967年????
日本の旗 日本茨城県
研究分野 文化人類学
仏教学
中国哲学インド哲学宗教学
研究機関 日本大学国際関係学部
出身校 日本大学国際関係学部卒業
ニューヨーク州立大学大学院
人類学科修士課程修了
ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校大学院
人類学科博士課程修了
博士課程
指導教員
William Arens
主な業績 和歌山県高野山真言密教修業をとおしたフィールドワークを行い
真言密教における「行の優位性」を明らかにした[要出典]
影響を
受けた人物
佐藤三武朗
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

渡邊 武一郎(わたなべ ぶいちろう、1967年 - )は、日本文化人類学者仏教学者中国哲学インド哲学宗教学者[1]日本大学国際関係学部教授。

来歴[編集]

茨城県出身。1989年、日本大学国際関係学部国際文化学科(現・国際教養学科)卒業。1999年、ニューヨーク州立大学ストニーブルック校大学院人類学科より文化人類学博士人類学)。

1999年4月から日本大学国際関係学部講師(専任扱い)、2000年4月から同専任講師、2003年4月から同助教授、2009年4月から同教授[2]

日本大学大学院国際関係研究科教授(博士学位論文指導担当)[3]。2014年4月より日本大学国際関係学部長、大学院国際関係研究科長[4]学校法人日本大学理事[5]

研究[編集]

博士論文[編集]

1999年5月、学位論文「“Attaining Enlightenment with this Body”: Primacy of Practice in Shingon Buddhism at Mount Koya, Japan」により、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校から文化人類学博士人類学)の学位を取得した[6]。 この論文は、渡邊による「真言密教の教理と実践における文化人類学的研究 」の全体をなすものである。

国際関係学部紀要に掲載された論文(1999-2013)[編集]

渡邊は、1999年7月以降、「真言密教の教理と実践における文化人類学的研究 」に関する論文を発表し、日本大学国際関係学部の「紀要」である『国際関係研究年報』及び『国際関係研究』に掲載している。

研究データベースのデータと実際の論文タイトルの不整合

渡邊が発表した論文は、日本大学「研究者情報」や国立情報学研究所「CiNii Articles」で検索可能であるが、「紀要」に掲載された論文タイトル及び論文が英文で書かれているにもかかわらず、日本文で表示されるものが複数含まれている。

その他の論文[編集]

渡邊は、日本大学「少子高齢化と社会保護政策」研究会のメンバーとなり、2009年9月に発行された同研究会の報告書『地球規模の少子高齢化と社会保護政策への提言』に論文を掲載している。なお、本研究は、日本大学学術研究助成金[総合研究]により実施された。

著作[編集]

著書[編集]

  • Globalization Redux – New Name, Same Game -<共著>[7][8][9], University Press of America, 2004.5
セント・ノーバート大学英語版で開催された2011年に開催された日本大学とセント・ノーバート大学との共同シンポジウムにおける発表論文が収録されている。
  • 『異文化間結婚ー境界を越える試み』<共著>「第10章 ヒンドュー合同家族におけるイギリス人と北アメリカ人の義理の妹」[10] 新泉社、2005.4
渡邊は、第10章で翻訳を行っている。
事実上、博士論文を著書として出版したものである。
渡邊は、2013年4月に「フィリピンの民俗医療についての文化人類学的研究」の初成果として本書を電子出版した。

論文[編集]

  • "Attaining Enlightenment with this Body" - Primacy of practice in Shingon Buddhism at Mount Koya<単著> 博士論文 1999.5
  • A Note on Sociocultural Anthropology of Japan and Buddhism - Etic and Emic Perspectives -<単著>[19][20][21]、『国際関係研究』第20巻第1号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、1999.7
  • Pilgrimage at Mount Koya - Three Dimensional Mandala in Practice -<単著> [22][23][24], 『国際関係研究』第20巻第2号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、1999.12
  • Attaining Enlightenment with this Body – The Metaphysical Teachings that Explain Shingon Buddhism’s Bodily Enlightenment -<単著>[25][26][27]、『国際関係研究年報』第21集、日本大学国際関係学部、2000.2
  • Life History of Kukai and Bodily Enlightenment<単著> [28][29]、『国際関係研究』第21巻第1号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、2000.7
  • The Religious Practices of a Shingon Monk: Pedagogy and Practice<単著>[30][31]、『国際関係研究』第21巻第4号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、2001.2
  • Shingon Religious Practices and Bodily Enlightenment<単著>[32][33]、『国際関係研究』第22巻第1号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、2001.7
  • Anthropology of the Body and Shingon Bodily Enlightenment<単著>[34][35]、『国際関係研究』第22巻第3号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、2001.12
  • The Veneration of Kukai and Shingon Bodily Enlightenment<単著>[36]、『国際関係研究年報』第24集、日本大学国際関係学部、2003.2
  • Problems of Culture and Civilization in the Age of Globalization<共著>[37][38][39]、『国際関係研究』第25巻第4号、日本大学国際関係学部 国際関係研究所、2005.2
  • The Veneration of Kukai and Lay Religious Practices - Cases of the Elderly<単著>[40][41][42]『地球規模の少子高齢化と社会保護政策への提言』[43][44]、日本大学「少子高齢化と社会保護政策」研究会[45]、2009.9
  • 「即身成仏再考-身体知から見た真言密教(序)」<単著>[46][47][48]、『国際関係研究年報』[49][50]第34集、日本大学国際関係学部、2013.2

社会的活動[編集]

  • 一般社団法人山田顕義記念基金 理事[51]
  • ミシマ エム・リーグ サポーター[52]

脚注[編集]

  1. ^ 日本大学「研究者情報」による研究分野より抜粋。この他に文化人類学・民俗学フィリピン研究、公衆衛生学・健康科学も挙げられている。
  2. ^ 新学部長に渡辺教授 佐藤氏勇退−日大国際関係学部(2014年3月21日時点のアーカイブ) - 『伊豆新聞』2014年3月8日
  3. ^ 『大学院履修の手引き 2013年度』、日本大学大学院国際関係研究科 p.36、http://www.ir.nihon-u.ac.jp/pdf/course_guidance/gs.pdf
  4. ^ 2014年「2月13日に行った」国際関係学部長候補者選挙で「有効投票数91票の3分の2以上にあたる82票を獲得した」渡邊武一郎教授を日本「大学は3月7日の理事会で、新国際関係学部長、大学院国際関係研究科長」への「就任を承認した」。『日本大学広報』第662号、2014年3月15日
  5. ^ 日本大学ホームページ、「理事・幹事の紹介」、https://www.nihon-u.ac.jp/about_nu/board/director/
  6. ^ 渡邊, 武一郎 (1999年5月). ““Attaining Enlightenment with this Body”: Primacy of Practice in Shingon Buddhism at Mount Koya, Japan” (PDF). UMI. 2014年4月30日閲覧。
  7. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」では「研究論文」と分類されている。
  8. ^ 執筆部分は「Primacy of Practice in Shingon Buddhism at Mount Koya、Japan: Four Rituals and Three "Bodies"」である。
  9. ^ 渡邊(2002.2)p.30, pp.67-73, 渡邊(2001.7) pp.226-235などからの引用がある。いずれの論文からも引用・転載であるという記述はない。
  10. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」では「研究論文」と分類されている。また、同書では同章の「翻訳者」として紹介されている。「ヒンドュー」は「研究者情報」のママ。
  11. ^ 語句の入れ替え(例:Dainichi NyoraiをMahavairocanaに)や内容にほぼ影響を与えない文の追加・削除、それらにともなう参考文献の追加・削除などがなされている。なお、渡邊(博士論文、1999.5)からの引用・転載であるという記述はない。
  12. ^ それと関連し、渡邊(博士論文、1999.5)p.110にある仁明天皇(にんみょうてんのう)の誤読「Jinmei」は、本書のpp.117-8に修正されることなく掲載されている。
  13. ^ 2012年3月7日改定「日本大学国際関係学部研究年報に関する内規」第16条で「論文等を出版または転載するときは、編集委員長に届け出るとともに、日本大学国際関係学部研究年報からの転載であることを付記しなければならない」と規定しているが、渡邊(2000.2)、渡邊(2003.2)からの転載であるという付記はない。
  14. ^ なお、本書は「President's Special Publication Grant of Nihon University」(「日本大学総長特別出版助成金」、ただし英文より訳出)により出版された。
  15. ^ ただし、Amazon.comから参照すると著書タイトルは「inori to iyashi-firipin teichi kirisuto kyouto no shinkou to jissen (Japanese Edition)」というようにローマ字で表示される。
  16. ^ 2001年から2011年の日本大学国際関係学部国際関係研究所個人研究費及び2003年日本大学学術研究助成金の「援助」(ママ)によりフィールドワークを実施した。
  17. ^ 渡邊は「本書はエスノグラフィーと呼ばれるには相応しくな」いとし、その理由を「膨大な先行研究を精査し、その傾向と問題点を抽出し、そこから生まれてくるテーマとそれに対する答えをフィールドワークを通して紡ぎだす」ことをしていないからとした上で、Tambiah 1996とRosaldo 1998(いずれも参考文献として掲載されていなので、原典は不明。ただし、「ロザルド・R 1998」と「タンバイア, S.J. 1970, 1996」はある)を引用しながら、先行研究の精査などを行った「上で書かれたエスノグラフィーであっても、それはフィールドワークに出た文化人類学者が個人的に体験した出来事について、本人が受容、拒絶、対応するなどした結果であり、さらにそこにはインフォーマットとの共同作業による現実の解釈が含まれている」ので、「文化人類学は科学ではなく、芸術に属するものである」という「考え」を表明している。
  18. ^ 参考文献として挙げられている東賢太朗(2011)『リアリティと他者性の人類学―現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』の出版社は記されていないが、三元社である。
  19. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」には論文タイトルが「社会・文化人類学的日本及び仏教研究についての一考察」と日本語で記されている。
  20. ^ CiNiiでは「社会、文化人類学に置ける日本、及び仏教研究についての一考察--エティックとイミックの視点から」と表示される。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  21. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.4-13も参照のこと。
  22. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」には論文タイトルが「高野詣での文化人類学的研究」と日本語で記されている。
  23. ^ さらにCiNiiでは「高野詣での文化人類学的考察--真言密教思想と三次元曼荼羅の顕現化」と出る。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  24. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のp.131, pp.134-154及びpp.167-169も参照のこと。
  25. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」には論文タイトルが「即身成仏の文化人類学的研究」と日本語で記されている。
  26. ^ CiNiiでは論文のタイトルどおり英文で表示される。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  27. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.30-73も参照のこと。
  28. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」には論文タイトルが「空海のライフヒストリーに見る即身成仏の実現」と日本語で記されている。
  29. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.74-111も参照のこと。
  30. ^ ただし、日本大学の「研究者情報」には論文タイトルが「真言密教における宗教的実践 : 宗教儀礼の教授とその受容」と日本語で記されている。
  31. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.177-200及びpp.1-4も参照のこと。
  32. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.199-235も参照のこと。
  33. ^ CiNiiでは「初心真言密教行者の儀礼の階梯:真言密教儀礼による即身成仏の実現」と表示される。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  34. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.237-268も参照のこと。
  35. ^ CiNiiでは「真言密教における“行の優位性”についての文化人類学的考察」と表示される。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  36. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.112-129及びpp.169-170も参照のこと。
  37. ^ 渡邊担当部分「A note on Globalization and sociocultural anthropology of Buddhism "Orthodoxy" or "Orthopraxy" of Shingon Buddhism -」である。
  38. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.275-280も参照のこと。
  39. ^ CiNiiでは「グローバル化時代の文明と文化の諸問題」が論文タイトルとして表示され、本英文タイトルは2行目に出る。https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%AD%A6%E4%B8%80%E9%83%8E&range=0&count=20&sortorder=1&type=0
  40. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のpp.1-3及びpp.112-169も参照のこと。
  41. ^ それと関連して、渡邊(博士論文、1999.5)p.159に見られる「it is」を繰り返すtypo「In addition, because all people in samsara have unique egos, it is it is impossible to copy a sutra or trace a Buddha completely the same as the original.」はコピー・アンド・ペーストする際に修正されることなく、そのまま本論文p.265に反映されている。
  42. ^ 副題「Cases of Elderly」に関する特段の記述は本論文中に見いだすことは出来ない。
  43. ^ 本書は2006-2007年度、日本大学学術研究助成金[総合研究]の報告書である。
  44. ^ 渡邊は日本大学「研究者情報」にこの論文(研究)を挙げていないが、共同研究者の日本大学生物資源科学部高橋巌教授の「共同・受託研究実績」(日本大学「研究者情報」)から渡邊が本研究の共同執筆者であるということが確認できる。http://kenkyu-web.cin.nihon-u.ac.jp/Profiles/69/0006803/com_research1.html
  45. ^ 本研究会の研究代表者は、真屋尚生日本大学商学部教授である。
  46. ^ 渡邊(博士論文、1999.5)のp.ii, p.iv, p.1, pp.2-3, p.54, pp.11-13も参照のこと。
  47. ^ 渡邊は、本論文p.10で「真言僧侶と在家信徒は身体的 “ 行 ” の追求こそに重きを置き,心理的“行”はそれに続くものである。この点において本稿はロバートソン=スミス(1889)の主張を継承するものである」とした上で、「参考文献」として「Robertson-Smith,W. (1927),Lectures on the religion of the Semites. (3rd edn.). London: A. and C. Black. (1st edition 1889)」(ママ)を挙げている。書名中の「religion」を小文字で表記したtypoは、渡邊(博士論文、1999.5)p.290をコピー・アンド・ペースト(コピペ)したものがそのまま反映されている上、博論でも記されていない副題「The Fundamental Institutions」の記述がない。さらに、渡邊が引用しているのが「(1st edition 1889)」(ママ)なのか、S. A. Cookが紹介・加筆しニューヨークのKtavにより再版された「 (3rd edn.)」であるのかが明確ではない。それと関連し、渡邊(博士論文、1999.5)p.238で「(Robertson-Smith 1889:16-17)」を引用しているが、参照が極めて困難か原版が存在しない「 London: A. and C. Black. (1st edition 1889)」(ママ)ではないものの、参照可能な上記ニューヨーク版の「pp.16-17」に関連する内容を見いだすことはできない。 Robertson-Smith,W.(1889)、https://archive.org/details/lecturesontherel00smituoft
    Robertson-Smith,W.(1927)、https://archive.org/details/lecturesontherel028530mbp
  48. ^ 「参考文献」の提示において、日本における一般的な提示方法と異なる手法を用いている。(例:羽毛田義一 (1996)、空海密教。春秋社。)例は、ママ(同論p.17)。例に挙げた書籍は阿部龍一による翻訳書である。参考までに、2012年3月7日改訂「国際関係学部研究年報執筆要項」では、引用文献の扱いについて「特別の専門分野によっては、その専門誌の記述方法に従ってください」としつつも、その例示として「四宮和夫『民法総則』(昭和61年)125頁」を挙げている。また、日本文化人類学会学会誌『文化人類学』の執筆細則にも単行本の場合『書名』とするよう記されている。http://www.jasca.org/publication/jjca/pdf/contribution_bylaws.pdf なお、日本大学の「研究者情報」には所属学会として「日本民族学会」が掲載されているが、同学会は2004年4月1日をもって「日本文化人類学会」に改称されている。
  49. ^ 2012年3月7日改定の「日本大学国際関係学部研究年報に関する内規」では、その第10条で「原稿は未発表のものとし、他誌への二重投稿をしてはならない」と規定している。
  50. ^ 審査に関しては同第13条第1項で「投稿原稿は、別に定める審査要綱に基づき編集委員会において審査する」とし、第2項で「論文審査は、受理した原稿1本につき、学部外者1名、学部内者1名の論文審査委員を編集委員会が選任し、審査を委託する」と規定している。
  51. ^ 一般社団法人山田顕義記念基金(2013年12月15日時点のアーカイブ
  52. ^ サポーター紹介|M・リーグ - M LEAGUE(2014年3月25日時点のアーカイブ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]