渋川善助
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渋川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1936年7月12日)は、日本の思想家。
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[編集] 経歴
福島県会津若松市七日町の海産物問屋の長男に生まれた。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て、陸軍士官学校予科に進み御前講演を行うほど、成績優秀であったが、陸軍士官学校(39期)、本科卒業目前に教官と衝突し退学となる。その後上京し明治大学法科に学び、国家主義運動にかかわる。1932年(昭和7年)に、杉田省吾、西田税、福井幸、加藤春海等とともに維新同志会を結成した。二・二六事件に唯一の民間人として加わり、1936年(昭和11年)7月12日、死刑(銃殺刑)となった。
[編集] 二・二六事件
渋川善助夫妻は偵察のため湯河原伊藤屋本館に宿泊。2月25日に、河野大尉と合流。一旦東京に戻り、その後兵を連れ自動車で湯河原に入り、夜明けを待って光風荘を襲撃した。光風荘は襲撃により焼失してしまったが、偵察に宿泊した伊藤屋本館の客室は、当時のまま現在も利用されている。
[編集] 憂国の間
少年時代を過ごした部屋。会津若松市七日町の渋川問屋内に現在でも保存されており、松本清張や三島由紀夫が訪れている。生前の三島由紀夫が訪れ「憂国の間」と名付けた。
[編集] 家族
- 絹子
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