深みの水泳

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『深みの水泳』
英語: The Swimming Hole
作者 トマス・エイキンズ
制作年 1884年 - 1885年
素材 カンバスに油彩
寸法 77 cm × 53 cm (30 in × 21 in)
所蔵 エーモン・カーター美術館(フォートワース

深みの水泳』(ふかみのすいえい、The Swimming Hole)(別名SwimmingThe Old Swimming Hole)は、1884年 - 1885年のアメリカ合衆国の画家トマス・エイキンズの絵である。グッドリッチ・カタログ 190 (Goodrich catalog #190) 。テキサス州フォートワースにあるエーモン・カーター美術館 (Amon Carter Museum) に収蔵されている。 カンヴァスに油彩で製作されたこの作品は、湖で裸で泳いでいる6人の男を描いており、アメリカ絵画の傑作と見なされている[1]。 美術史学者ドリーン・ボルジャー (Doreen Bolger) によれば、本作品は、「ひょっとするとヌード人物のエイキンズの最も完成された表現であるかもしれない」し ("perhaps Eakins' most accomplished rendition of the nude figure") [2]、そして「彼のすべての屋外絵画のうちで最も精妙にデザインされた」 ("the most finely designed of all his outdoor pictures") と称されてきた[3]。ルネサンス以来、人間の身体は美術家の訓練の基礎とも美術において描くべきもっとも意欲をそそるな題材とも見なされており[4]、ヌードはエイキンズのペンシルヴェニア美術アカデミー (Pennsylvania Academy of the Fine Arts) での教授計画の中心になるものであった[2]。エイキンズにとってこの作品は、自分の体形描写の熟達を示す機会であった。

この作品において、エイキンズは裸体に対して一般に保守的であったヴィクトリア朝風の価値観における例外を利用した:裸体での水泳は広く受容されており[5]、特に男性にとっては、公共の場所においてさえ「普通」と見なされていた。裸体が描写されたとき、エイキンズは19世紀の生活における数少ない出来事の一つを描く最初のアメリカの画家であった。『深みの水泳』は、彼のより初期の作品において取り上げられた諸テーマ、とくに尻の取扱い方と人間の体形のあいまいな取扱いを発展させている。いくつかの場合では、描かれた体形が男性であるかそれとも女性であるかは不確かである。そのようなテーマは彼の初期の作品である『グロスクリニック』と『ウィリアム・ラッシュとそのモデル』 (William Rush and His Model) において既に試されており、そしてボクサー(『ノックアウト』 (Taking the Count) 、『サルターティー』 (Salutat) 、及び『ラウンドのあいだ』 (Between Rounds) )とレスラー(『レスラー』 (Wrestlers) )の絵において研究され続けることになる[6]

男性の水浴者というテーマは、ミケランジェロからドーミエにいたる美術家によって研究され、西洋美術においては馴染み深いテーマではあったが[7]、 エイキンズの取扱い方は当時のアメリカ美術において新奇であった。『深みの水泳』は、「アメリカ美術における同性愛の最高の例としてひろく引証され」 ("widely cited as a prime example of homoeroticism in American art") てきた[8]。 2008年に美術批評家トム・ラボック (Tom Lubbock) は、エイキンズの作品を次のように評した:

アメリカ絵画の古典。これは、健康的な、男らしい、野外活動の場面を描いている: ひと泳ぎしようと服を脱いで裸になりつつある若者の一団。これは、画家とその学生らによって楽しまれた水泳の小旅行に基づいている。エイキンズ自身が水中、右下に - いわば署名の場所にあらわれている。」[9]

題名と構図[編集]

瀕死のガリア人 』、カピトリーノ美術館、ローマ。紀元前3世紀後半のヘレニスティックな作品は、この絵の奥、極左で横になっている人物のモデルであったと信じられている[10]

エイキンズは、この作品のことを1885年には『Swimming』(水泳)、1886年には『The Swimmers』(水泳者ら)と呼んだ。題名『The Swimming Hole』(『深みの水泳』(原義は「川の泳ぐことが出来るくらい深い所」の意味))は、1917年(エイキンズが死去した翌年)に設定されているが、その時、この作品は美術家の未亡人スーザン・マクダウェル・エイキンズ (Susan Macdowell Eakins) が所有しており、彼女によってそう記述された[2]。 4年後、彼女は1882年のジェームズ・ウィットコーム・ライリー (James Whitcomb Riley) による詩『The Old Swimmin'-Hole』に関して、作品に『The Old Swimming Hole』と題名を付けた[11][12]。エーモン・カーター美術館はそれ以来、エイキンズの原題『Swimming』に戻している[13]

この作品は、エイキンズと5人の友人あるいは学生が、フィラデルフィア郊外に位置するミル・クリーク (Mill Creek) の人造湖であるダヴ湖 (Dove Lake) で水浴している様子を表現している[2]。描かれている人物たちは、マーティン・A・バーガーの言葉によれば、「見たところ観想的な瞬間にふけっているらしく」 ("apparently lost in a contemplative moment") 、水面を見ている[14]。エイキンズの諸人物の正確な表現は、後に学者らが全ての登場人物 の身元を確認することを可能にした。彼らは(左から右に)、タルコット・ウィリアムズ (Talcott Williams) (1849年 - 1928年)、ベンジャミン・フォックス (Benjamin Fox) (1865年頃 - 1900年頃)、ジョン・ローリー・ウォーレス (John Laurie Wallace) (1864年 - 1953年)、ジェシー・ゴッドリー (Jesse Godley) (1862年 - 1889年)、 イヌのハリー (Harry) (エイキンズのアイリッシュ・セッター(1880年頃 - 1890年)、ジョージ・レーノルズ (George Reynolds) (1839年頃 - 1889年)、そしてエイキンズ (Eakins) 自身である[14]。男らのうち数人が休んでいる岩の岬は、ミル・クリークのミル (mill) の基部で、1873年に破壊された。 これが、作品のなかで文明の唯一の兆しである - 靴や服、更衣場が見えない[4]。 背景における葉群は、泳ぎ手らの肌の色合いが対照を成すよう、黒っぽい背景を提供している。

フレデリック・バジール (Frédéric Bazille)  『夏の場面』 (Scène d'été)  1869年 カンバスに油彩 62と4分の1インチ×62と2分の1インチ(158センチメートル×159センチメートル) フォッグ美術館 (Fogg Art Museum)  ケンブリッジ、マサチューセッツ エイキンズはパリ滞在中にこの作品を見たかもしれない[15]

構図は、ピラミッド状である。 左で横になっている人物は、見る者の眼を座っている人物に導き、その人物のジェスチャーが今度は構図的ピラミッドの頂点のゴッドリーを指し示している。右で跳び込んでいる人物は、エイキンズの泳いでいる体形に導き、彼は自分を場面の中に描き、そしてその左への運動は注意を絵のなかに戻している[3][16]。 エイキンズは、絵の焦点を操作することによってこのピラミッド構造を強化している: 泳ぎ手らを含んでいる中央部は極めて正確であり、その一方で外周部は冗漫で、「中間には穏やかにする区域はないも同然である」 ("virtually no moderating zones in between") [17]。 絵の中の明暗は不自然である - あまりに明るいところもあり、あまりに暗いところもある - ただし、効果は、泳ぎ手の身体の線にアクセントをつけ、全般に巧妙である[17]

構図は、学校的な伝統 (目的そのものとしての人物の描写の熟達)と、 男のヌードを屋外の設定に置き換えることにおける独特さとの両者で有名である。水の中へ跳び込んでいる無名の男の描写は、西洋美術の歴史において極めて稀であった[4]。 残りの人物は、運動の連続的な物語を含意するように巧妙に配置されていて、これらの姿勢は「横になっているところから、座っているところ、立っているところ、跳び込んでいるところに」 ("from reclining to sitting to standing to diving") 進歩している。 同時に、それぞれの人物は生殖器が見えないように注意深く位置されている[4]。 先立つ諸作品においてと同じく、エイキンズは下右の泳ぎ手としてここに、自画像を含むことを選んだ。 『グロス・クリニック』や『シングル・スカルのマックス・シュミット』 (Max Schmitt in a Single Scull) における出現とは異なり、ここでは美術家の存在はより曖昧である - 彼は、友人、教師あるいは窃視者と見られるかもしれない[18]。 エイキンズに近い水のさざなみと、跳び込む者の周りの泡は、他のところでは静止している絵の中で唯一の運動の描写である[18]。 湖の頭部の赤い人物に近い水は、静かで明確な反射像を提供するほどである[19]。この対照は、古典的な原型と科学的な自然主義との間の絵における緊張を下線を引いて強調している[20]

トマス・エイキンズ 『アルカディア』(Arcadia)、1883年、38と8分の5インチ×45インチ(98センチメートル×114センチメートル)、カンバスに油彩、メトロポリタン美術館。『深みの水泳』とおなじく、この絵は古典的な奇想(conceit)をしめしている。[21]
トマス・エイキンズ 『アルカディア』(Arcadia)のための裸体習作 1883年

これらの肉体およびその筋肉組織の位置どりは、ギリシア美術を喚起する肉体的美と男性どうしの友情の古典的理想に言及している。[22] 横になっている人物は、『瀕死のガリア人』のパラフレーズであり、そして美術家による、より整然としていない自己描写と並置されている。[10] エイキンズが古代的なテーマをモダンな解釈と調和させようとしていたということは、あり得る。 主題は同時代的であったが、しかし諸人物のうちのすうにんのポーズは、古典的な彫像のそれらを思い出させる。[23] 同時代の源による影響であるかもしれないものは、フレデリック・バジールによって1869年に描かれた『夏の場面』であった。 エイキンズがもしパリで研究ちゅうにサロンでこの絵を見て、そして現代の設定における男性の水浴者の描写に共感したであろうということは、ありそうになくはない。[15]

エイキンズの全作品のなかには、『深みの水泳』にさきだって、アルカディアのテーマの、おおくの同様な作品があった。 これらは、彼が古代ギリシア彫像にかんしておこなった講義に一致し、そしてエルギン・マーブルペイディアスのの汎アテナイ的な行列のペンシルヴェニア・アカデミーの塑像物によって霊感をあたえられた。[21] いちれんの写真、浮彫の彫像、そして油彩スケッチは、1883年の『アルカディア』において頂点に達したが、これは、田園風景における - 学生、甥、そして美術家のフィアンセがポーズをとった - ヌードの人物が呼び物であった。 [24]

習作[編集]

エイキンズは、『深みの水泳』を描くまえにいくつかの現場での油彩スケッチと写真的習作を制作した。 油彩スケッチが制作されるまえに写真が撮影されたかそれともぎゃくであるか(あるいは、そもそも、これらが同一日に制作されたか)は、わからない。

1880年代前半までに、エイキンズは連続的運動を研究するために、そして絵画制作のための参照先として、写真を使用していた。[25] 1883年あるいは1884年のいつか、彼は、野外活動に従事する自分の学生らの写真を撮影した。[22] ダヴ湖ではだかでおよぐ、彼の学生の写真が4枚、残っていて、そして『深みの水泳』との明白な連関を有している。 泳ぎ手らは、同じ地点にいることが、また同じ有利な地点から、見られているが、ただし彼らの位置は、絵におけるそれらとはまったく異なっている。 写真のうちいちまいも、絵に描かれたポーズとぴたりと一致していない。 これはエイキンズにとってめずらしく、彼は、写真習作に忠実に固守していた。 「これらのイメージのセットのあいだの相違は、失われたあるいは破壊された絵を暗示するかもしれず、あるいはこれは、写真がはじめにあって、それからエイキンズの心像が結晶し、それから最初の油彩スケッチが制作されたことをしめすかもしれない。」[26] これらの写真におけるポーズは、より自発的であり、そのいっぽうで、絵画のうちのポーズは、古典的な「きびしさ」("severity")をもって慎重に製作されている。[3] もしあれば写真と絵とのあいだのより直接な連関を示唆するであろう写真習作は、残っていないけれども、 最近の学問的業績は、カンヴァスに切開されそしてのちに絵具でおおわれた痕跡はエイキンズが光によって投影された写真を使用したことをしめしている。[27]

エイキンズは、複数の習作を組み合わせて1884年の最終的な油彩スケッチにしたが、これが完成された絵の基礎となった。 6人の男とイヌが、スケッチに登場したように、基本的な構図は、変更のないままであった。 しかしながら、エイキンズは、最終的な作品を発展させるときは通例、スケッチに忠実に固執するが、諸人物の特有の運動と位置に非特徴的な変更をいくつかくわえた。[29] 友人で学生のチャールズ・ブレグラー (Charles Bregler) は、その過程を記述した:

...絵のためには...『深みの水泳』のような、8インチ×10インチ(20センチメートル×25センチメートル)の小さいスケッチがつくられ、それから風景と人物のべつべつの習作、そして真の色調と色などを得る。 跳び込んでいる人物は、描くのがきわめて難しいから、最初は蝋でモデルがつくられた。 これによって彼は、あらゆる体形にかんする知識を得た。[30]

製作依頼と受容[編集]

この絵は、エドワード・ホーナー・コーツ(Edward Hornor Coates)によって1884年に依頼を受けたが、彼はフィラデルフィアのビジネスマンで、ペンシルヴェニア美術アカデミーの教育の委員会委員長(the Committee on Instruction at the Pennsylvania Academy of the Fine Arts)あったが、そこでエイキンズは教えた。 コーツは、エイキンズに800ドル(2014年の9,300ドル)を支払う意図であったが、これは当時、エイキンズに提示された最高の手数料であった。[31][32]

ジョン・マクルール・ハミルトン(John McLure Hamilton) 『エドワード・ホーナー・コーツの肖像』(Portrait of Edward Hornor Coates) 1912年ころ

コーツは絵をペンシルヴェニア美術アカデミーの展示品にする意図であって、そしてこれは1885年の秋にアカデミーの展覧会で展示された。 しかしながら、コーツは、これをエイキンズの全作品を代表するものでないとして拒否した。[14] 1885年11月27日付けのエイキンズ宛ての手紙で、コーツは論じている:

...あなたが思い出されますように、わたしの主なる考えのひとつは、あなたから、いつかアカデミーのコレクションの一部となる「かもしれない」(might)絵をいただくことでした。プレゼントのカンバスは、わたしにとって多くの点で感嘆すべきものですが、しかしお持ちの絵のなかにはより代表的なものもあるとわたしは信じたいと思っていて、そしてあるいはわたしが考えている目的により受入れられるかもしれないということを提案させていただきます。だからといってわたしがプレゼント作品を過小評価しているなどとはお思いになってはいけません - それは事実ではありません。[33]

なぜコーツがこの絵を購入することができなかったかその理由は知られていない。 しかしながら、コーツがこの作品は入手するにはあまりに異論が多すぎると感じたということはありそうにおもわれる。[34] コーツは、エイキンズのアカデミーの委員長として、エイキンズの作品の題材には馴染み深かったであろうし、そして絵のなかのヌードに不意打ちをくらうとかショックを受けるとかいうことはありそうにない。[35] というよりもむしろ、コーツが絵のなかの男の大部分の身元を確認したであろうことは、かくじつであるようにおもわれるが、これはひとりをのぞく全員がアカデミーのエイキンズの学生であったからである。 彼は、絵に描かれた地点にもなじみ深かったことはうたがいないが、、これはハバフォード大学からわずか半マイル(800メートル)であって、そこでコーツは学部在学生として研究していたからである。 教授とその学生らのはだかでいっしょにいる描写があればそれはアカデミーの理事らにとって微妙な題材であったろうし、モデルになることはわいせつであると見なされていたので彼らはエイキンズがアカデミーの学生をモデルとして用いることを禁止した コーツは、『深みの水泳』を、エイキンズの「より議論の余地の少ない、ジャンルの場面」("less controversial genre scene")『哀愁の唄』(The Pathetic Song)と交換することをえらび、そしてエイキンズに製作依頼手数料として800ドルを支払った。

エイキンズ 『哀愁の唄』(The Pathetic Song) 1881年

1886年2月9日、エイキンズは、女子学生が居るクラスで男性モデルの腰布を取り除いたためにアカデミーを辞することを強いられた。 エイキンズは、理由を説明した、2月15日付けのコーツ宛ての書簡で、自分が辞することの理由を説明して、自分の美術作品における裸体の問題を取り扱った:

すくなくともわたしの人物らは、頭部や手のついた衣服のかたまりではなく、大部分の絵が示している力強い生きた肉体により酷似しています。 あなたは、このように研究に費やした人生の終端に、 絵画制作は、わたしのばあいは、すこぶる真剣な研究であることは想像することはすくなくともおできになる。 わたしは、すべての人物絵画制作の最大の敵である、いつわりの慎みふかさにはほとんどがまんできないということです。 わたしは、「自然の女神」(Nature)の諸作品のうちで最も美しいものを、裸の人物を見ることは不適当でないと考える。 もし不適当があるならば、そうならばそういう不適当はどこからはじまるのでしょううか? 裸の人物の絵を、彫像を見ることは間違っているでしょうか? 最後の世代のイングランドの淑女のみなさまはそのように考え、そして彫像画廊を避けたが、しかしもはやそのようなことはしていない。 それともこれは性の問題だろうか? 男は、男に見られるために男の彫像だけをつくるべきであって、いっぽう女は女のみに見られるために女の彫像をつくるべきなのであろうか? 男性画家は雄ウマと雄ウシを、ローザ・ボヌールのような女性画家は雌ウマと雌ウシを描くべきなのであろうか? 解剖室のなかの哀れな老いた男性の身体は、「ミス・お上品ぶり」(Miss Prudery)が道楽半分に手を出すまえに、めった切りにされなければならないのだろうか?... そういう侮辱は、わたしを怒らせる。 だれか、そういう愚行がどういう軽蔑すべき矛盾にはいるかわかることができないひとがいるのだろうか? そしてそれらはどのように危険なのであろうか? わたしの心は潔白であり、そしてわたしの苦しみは過ぎ去っている。[36]

起源[編集]

コーツによる拒否につづいて、絵は、エイキンズの死まで彼の所有にあった。 これはエイキンズの生前にわずか2回、展示された: 1886年にケンタッキーのルイビルでの南部博覧会(Southern Exposition)で、そして1887年のシカゴの州間産業博覧会(Chicago's Inter-State Industrial Exposition)で、そしていずれの機会でも批評家に無視された。 この絵は、それから歴史上の記録から姿を消した - これ以上、エイキンズの生前に、彼あるいは友人間で絵にたいする言及は無い。[37] エイキンズの死に続いて、この絵は1917年にフィラデルフィアおよびニューヨークでの追悼展覧会で展示された。

1925年に『深みの水泳』は、この美術家の未亡人からテキサスのフォート・ワースのコミュニティーによって750ドル(2014年の9,300ドル)で購入された。[38] それ以後、これの作品はフォート・ワース美術協会のコレクションにあったが、これは、フォート・ワース近代美術館の公共施設の前任者であるが、市の公共図書館で展示された。 1990年に、協会は、同時代美術の購入のための基金を設立するために絵を売る意図であることを告知した。[2] これに続いて大衆の抗議が起こり、協会に地元の買い手を探すように促した。 結局のところ、激しい交渉の後、エーモン・カーター美術館が『深みの水泳』を(2014年の9,300ドル)で購入することに同意した[39][40]

修復[編集]

エーモン・カーター美術館による購入の前に、『深みの水泳』は7回にわたり管理的修復を施されたように見える[2]。これは1917年のメトロポリタン美術館でのエイキンズの追悼展示に含まれるのに先立って、修復されたものと考えられている。その時のある写真によれば、グラッシの亀裂と滴りの痕跡が明らかで、これはもしかしたら腐食性の液体のはねによってもたらせられたものかもしれない[2]。この作品はフォート・ワース美術協会 (Fort Worth Art Association) によって入手された後、しばしば展示のために貸し出された結果、損傷した。そのため、1937年、ニュー・ヨーク・シティーの民間のギャラリーで裏地をつけられ、滴りは塗りつぶされた。1944年にはさらに新しい裏地をつけられ、修復された。そして1947年に再度修復された。両回とも民間のニュー・ヨークの業者によるものであった[2]ブルックリン美術館は、1954年および1957年に2回の小規模の修復を行った。『深みの水泳』は、このように数度にわたる修復を受けてきたが、包括的な処理は1993年まで受けなかった。

1993年6月のエーモン・カーター美術館による購入に続いて、クレア・M・バリー (Claire M. Barry) とエーモン・カーター美術館及びキンベル・アート・ミュージアム (Kimbell Art Museum)のスタッフは、大規模な修復を始めた。バリーによれば、「修復は比較的小さな重要な損傷あるいは以前は目に見えなかった劣化を明らかにした。変色したワニスと上塗り塗料のいくつかの層は取り除かれ、豊かで様々な表面を顕わにした。これは人物を形作っている制御された、ほとんど細密画的なブラシ使いの筆致から、風景の要素のより自由な取扱いにいたるブラシ使いを伴う[2]

元々のグラッシを修復の間に付け加えられたそれらから区別することに多大な努力が払われた。以前の諸修正は除去され、そして自然の樹脂ワニスが塗布された。 長い間失われていたこの作品のオリジナルの額は、1992年に見つけ出された。これもまた洗浄・修復された上で絵にはめられた[2]

修復の間に、絵の年代を1883年に帰することは誤った解釈の結果であったことが発見された: 美術家のオリジナルの1885年の記銘は、すでに退色していた褪せやすい赤のレーキ顔料で描かれていて、そして管理者によってより早い年代に誤って再び描かれていた[2]

解釈[編集]

『深みの水泳』は、エイキンズの技法と学究的な原理のあらゆる範囲をあらわしていた。 彼は、生きた習作、写真、蝋の習作、そして風景スケッチをもちいて、ひとの体形に対する関心をあらわす作品を製作した。[41] ロイド・グッドリッチ(Lloyd Goodrich)(1897年 - 1987年)は、作品は「エイキンズのヌードのたいへんみごとな利用」("Eakins' most masterful use of the nude")であると信じた。[42] べつの伝記作者ウィリアムズ・インズ・ホーマー(William Innes Homer)(1929年 - )は、より遠慮がちで、そして諸人物のポーズを厳格に学究的であると評した。 ホーマーは、絵具の質と雰囲気的な効果における不調和を見出し、そしてこの絵は古代の理想と、自然主義的な理想を調和させることに不成功であると書いた。 彼にとって、「これらのヌードは、あたかもアトリエから自然のなかにとつぜんに移植されたかのようである。」("it is as though these nudes had been abruptly transplanted from the studio into nature")[43]

19世紀なかばのまえには、西洋美術における男性のヌード像は、ながいあいだ、古典的な題材のために予約されてきていた。 19世紀において、少年と成年男子が着衣なしで公然と泳ぐことは、ふつうでなくはなかったが、しかしアメリカ絵画においてこの主題の先例は無かった。[44] 女のヌードを呼び物にする複数人物の構図のための形式ばらない因襲はあったけれども、アメリカにおいてはそういう絵は、ギャラリーでではなくサロンで展示された。 エイキンズは、性別を変え、そしてその主題を美術(fine art)として提示した。[45] より広い文脈で見れば、 『深みの水泳』は、「あらたに出現しつつあるヨーロッパの伝統」("engages directly with a newly emerging European tradition")と直接に従事している、すくない19世紀アメリカ絵画の1点として引証されてきた。[46] エイキンズの絵は、彼のフランスの同時代人らの諸作品ほどには様式的に進歩的でないけれども、『夏の場面』におけるバジール、スーラ(『アニエールの水浴』、1884年)およびセザンヌの、主題の、多数の探求によって採られた方向と平行している。[47]

ジョージ・ベローズ(George Bellows)。『42人のこども』(Forty-two Kids)、1907年、カンヴァスに油彩、コーコラン美術館

エイキンズの作品は、アメリカン・リアリストのつぎの世代、とくに「灰入れ派」(Ashcan School)の美術家らに影響をおよぼした。 1907年に描かれたジョージ・ベローズ(George Bellows)の『42人のこども』は、『深みの水泳』との明らかな類似性を有するけれども、題名の多くのはだかのこどもは、いなかの設定でではなく、ニュー・ヨーク・シティーの都会のハドソン川で、あそんでいる。[48] エイキンズの哲学を反映した感情で、ベローズは『42人のこども』を描く動機をのちに説明した: 「筋肉の動きを合法的にはだかで描くことができるタイプは、プロボクサーと水泳者だけである。」("Prizefighters and swimmers are the only types whose muscular action can be painted in the nude legitimately.")[49]

エイキンズの死後の未亡人の絵にたいするふたたびの題名づけは、ライリーの詩のノスタルジックなおもむきとの関連をつよめた。[12] より最近には、 この絵の主題は、ホイットマンの詩「ぼく自身の歌」(Song of Myself)、とくに「28人の若い男が岸で水浴した」(Twenty-Eight Young Men Bathe by the Shore)にたとえられてきた。[10][50] ホイットマンが霊感をあたえたかもしれない: はだかにたいする賞賛は、ホイットマンのばあいは自分の同性愛の率直な表現であったが、 双方の男の芸術をつたえている。[51] 1895年に、エイキンズの男子学生が「われわれホイットマン仲間」("us Whitman fellows")について思い出を語っているが、これは同性愛への言及と解釈されてきた。[52] 「しかしながら、彼らの婚姻状況をのぞけば、エイキンズを例外として、(『深みの水泳』に)描かれた男らのうちのだれであれプライヴェートな領域あるいは性的な性向について具体的なことは事実上なにも知られていない。」[53]

こんにちのダヴ湖(Dove Lake)

この絵は、自然な設定のなかで非自意識的に見られる男性の裸体のプラトニックなヴィジョンとして見られてきたけれども、 1970年代までに、数人のアメリカの筆者は、エイキンズの作品を、そしてとくに『深みの水泳』を、同性愛的な含意をもっていると見はじめていた。[54] 批評家らは、立っている人物の尻の構図的な突出に特別な注意をはらったが、それは、「同性愛的な利益」("homoerotic interests")を示唆すると解釈されてきた。[55] ジョナサン・ワインバーグによれば、 『深みの水泳』は、アメリカ美術における同性愛的なイメージャリーの発端をしるしづけた。[56] エイキンズは、セックスの事柄について挑発的であるとどうじに両義的である記録を残した。 同一の視覚的な証拠、写真、油彩スケッチ、そして完成した泳者の絵に基づいて、 美術史家らが、美術家の意図にかんして、出している結論はいちじるしくまちまちである。[56]

注釈[編集]

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  27. ^ Sewell et al., 235–36
  28. ^ McCoy, Garnett (1972年). “Some Recently Discovered Thomas Eakins Photographs”. Archives of American Art Journal, Vol. 12, No. 4 (The Smithsonian Institution). http://www.jstor.org/pss/1557158 2008年1月6日閲覧。  15–22
  29. ^ Bolger, 19
  30. ^ Sewell, 89
  31. ^ Bolger, 13
  32. ^ At the time, Eakins' annual salary was $1,200 ($ 29,000 in 2014 dollars). See Bolger, 15–16
  33. ^ Bolger, 44
  34. ^ Bolger, 45
  35. ^ Bolger, 26
  36. ^ Foster, Kathleen A. “Thomas Eakins – Scenes from a Modern Life: Biography 1886: Indicted by Rumor”. PBS. http://www.pbs.org/eakins/t_1886_rumor.htm 2008年1月6日閲覧。 
  37. ^ "During the following three decades, likely no one beyond the painter's immediate circle of family and friends saw the painting. Nor is there any extant anecdotal or pictorial data to testify to the painter's sense of the work during these years ... The painting simply failed to register in any significant, public way during Eakins' lifetime." – Bolger, 4
  38. ^ Bolger, Doreen; Barry, Claire M. (2004年5月13日). “Thomas Eakins' 'The Swimming Hole.'”. Resource Library Magazine. http://www.tfaoi.com/aa/4aa/4aa444.htm 2008年1月6日閲覧。 
  39. ^ Reif, Rita (1990年4月21日). “Fort Worth Strives to Keep Eakins' 'Swimming Hole'”. The New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CE0DF153DF932A15757C0A966958260&scp=2&sq=Swimming%20Hole%20Eakins&st=cse 2008年1月14日閲覧。 
  40. ^ Kimmelman, Michael (1990年6月16日). “An Eakins Classic Stays In Texas”. The New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CE4DC133EF935A25755C0A966958260&n=Top/Reference/Times%20Topics/People/E/Eakins,%20Thomas&scp=3&sq=Swimming%20Hole%20Eakins&st=cse 2008年1月14日閲覧。 
  41. ^ Sewell et al., 100
  42. ^ Goodrich, 239–40
  43. ^ Homer, 116
  44. ^ Adams, 305, 311
  45. ^ Adams, 311
  46. ^ Bolger, 83
  47. ^ Bazille seems to have drawn back from his own more radical instincts, having first painted the figures in Summer Scene completely nude, before deciding to clothe them. Bolger, 80–95
  48. ^ Levander, Caroline Field; Singley, Carol J (2003). The American Child: A Cultural Studies Reader. Rutgers University Press, 211–12. ISBN 0-8135-3223-X
  49. ^ Zurier, Rebecca (2006). Picturing the City: Urban Vision and the Ashcan School. University of California Press, 216. ISBN 0-520-22018-8
  50. ^ Bolger, 7
  51. ^ Several years after the painting was completed, Eakins and Whitman became friends, and in 1887 Eakins traveled to the poet's home in Camden, New Jersey to paint his portrait. Homer, 116, 210–13
  52. ^ Homer, 116; Bolger, 59. See also Whitney Davis, "Erotic Revision in Thomas Eakins Narratives of Male Nudity
  53. ^ Bolger, 59
  54. ^ Bolger, 7–8 refers specifically to Sexual Perspective: Homosexuality and Art in the Last 100 Years in the West by Emmanuel Cooper, Homoerotic Photograph: Male Images from Durieu / Delacroix to Mapplethorpe by Allen Ellenzweig, Realism, Writing, Disfiguration by Michael Fried, and Eakins in the Wilderness by Adam Gopnik.
  55. ^ Adams, 306–08
  56. ^ a b Adams, 308–09. Referenced from Male Desire: The Homoerotic in American Art by Jonathan Weinberg

参考文献[編集]

  • Adams, Henry. Eakins Revealed: The Secret Life of an American Artist. New York: Oxford University Press, 2005. ISBN 0-19-515668-4
  • Berger, Martin A. Man Made: Thomas Eakins and the Construction of Gilded Age Manhood. Berkeley: University of California Press, 2000.
  • Bolger, Doreen; Cash, Sarah; et al. Thomas Eakins and the Swimming Picture. Amon Carter Museum, 1996. ISBN 0-88360-085-4
  • Goodrich, Lloyd. Thomas Eakins, Volume I. Harvard University Press, 1982. ISBN 0-674-88490-6.
  • Homer, William Innes. Thomas Eakins: His Life and Work. Abbeville, 1992. ISBN 1-55859-281-4
  • Kirkpatrick, Sidney. The Revenge of Thomas Eakins. Yale University Press, 2006. ISBN 0-300-10855-9, ISBN 978-0-300-10855-2
  • Sewell, Darrel. Thomas Eakins: Artist of Philadelphia. Philadelphia Museum of Art, 1982. ISBN 0-87633-047-2
  • Sewell, Darrel; Kathleen A. Foster; Philadelphia Museum of Art; Musée d'Orsay; Metropolitan Museum of Art. Thomas Eakins. Yale University Press, 2001. ISBN 0-87633-143-6

外部リンク[編集]