海老町

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えびちょう
海老町
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 編入合併
海老町・山吉田村鳳来町
現在の自治体 新城市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
南設楽郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 30.31[1] km2.
総人口 3,368
(登録人口[1]、1955年1月1日)
隣接自治体 南設楽郡鳳来町、北設楽郡田口町段嶺村振草村
海老町役場
所在地 愛知県南設楽郡海老町大字海老字丁塚11
座標 北緯35度01分32秒 東経137度33分25秒 / 北緯35.02558度 東経137.55681度 / 35.02558; 137.55681座標: 北緯35度01分32秒 東経137度33分25秒 / 北緯35.02558度 東経137.55681度 / 35.02558; 137.55681
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海老町(えびちょう)は、かつて愛知県南設楽郡に存在したである。

豊川(寒狭川)の支流海老川の上流域と寒狭川の流域を町の範囲としていた。1889年(明治22年)の町村制施行によって海老村として発足し、1894年(明治27年)に町制を施行して海老町となった。1956年(昭和31年)に鳳来町に編入されて廃止された。2005年(平成17年)に鳳来町が新城市に編入されたため、現在は全域が同市の一部である。

歴史[編集]

昭和初期の海老町

江戸時代の時点で、のちに海老町となる範囲には三河国設楽郡に属す10村が存在した。天正18年(1590年)に全域が吉田藩領(池田輝政領)、ついで慶長5年(1600年)には徳川氏領(幕府成立後は幕府領)となっていた。以降数度の領主変更があり、江戸時代末期の時点では大部分が旗本海老菅沼氏領、一部が安藤氏領(磐城平藩領)であった。また分村があったため、村の数は13になっていた。これらの村のうち東・西海老村は伊那街道中馬街道)の宿場町として栄えていたほか、江戸後期には海老菅沼氏の陣屋が置かれていた[2]

明治に入り、1878年(明治11年)に郡区町村編制法が施行されると設楽郡は南北に分割されるが、この13村はいずれも南設楽郡に属した。また、村の統合も進められ、1878年(明治11年)までに13村から5村に整理された。この5村が、町村制が施行された1889年(明治22年)に合併して海老村が発足、この海老村が5年後に町制を施行して海老町は成立した。南設楽郡では新城町に続く2番目の町である。

しばらく自治体の統合が行われないまま推移したが、昭和の大合併の一環で、先に発足していた鳳来町に1956年(昭和31年)編入合併され、海老町は消滅した。

年表[編集]

  • 天正18年(1590年) - 全域が吉田藩領となる[3]
  • 慶長5年(1600年) - 全域が徳川氏領(幕府領)となる[3]
  • 元和元年(1615年) - 海老村が東海老村・西海老村に分離[3]
  • 寛永17年(1640年) - 双瀬村(ならぜむら)・東海老村・西海老村・身平橋村(みだいら・みだればしむら)・小野村(おのむら)・真菰村(まこもむら)・方瀬村(ほうぜむら)・須山村(すやまむら)・山中村(やまなかむら)・湯島村(ゆしまむら)の10村が水野氏領(新城藩領)に[3]
  • 正保2年(1645年) - 上記10村が幕府領に復帰[3]
  • 慶安元年(1648年) - 大代村(おおしろむら)の一部を除く全域が旗本海老菅沼氏領に。同年、大代村から大林村(おおばやしむら)・布留宿村(ふるやどむら、後の古宿村)・小代村(こしろむら、ここのみ現・設楽町)の3村が分村[3]
  • 享和3年(1803年) - 大代村が安藤氏領(磐城平藩領)に[3]。これ以降領主関係の変更なし。
  • 1878年(明治11年)[* 1]
    • 身平橋村・大林村・古宿村・大代村の4村が合併し、四谷村(よつやむら)が発足[4]。なお、大代村の飛び地は海老村に編入された[4][3]
    • 双瀬村・大石村(おおいしむら)の2村が合併し、副川村(ふくがわむら)が発足[5]。なお、双瀬村の字川売(かおれ)・宮前と大石村の飛び地は海老村に編入された[5][3]
    • 東海老村・西海老村の2村が合併、双瀬村・大石村・古宿村の各一部をあわせて海老村が発足[2][3]
    • 須山村・方瀬村・真菰村・小野村の4村が合併し、連合村(れんごうむら)が発足[6][3]
    • 山中村・湯島村の2村が合併し、中島村(なかじまむら)が発足[7][3]
  • 1889年(明治22年) - (旧)海老村・四谷村・連合村・中島村と副川村の一部(旧・双瀬村域)が合併し、(新)海老村が発足[2]
  • 1894年(明治27年) - 海老村が町制施行、海老町[2]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 海老町、八名郡山吉田村と共に南設楽郡鳳来町へ編入[8]され消滅。
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 鳳来町が新城市, 作手村と合併して新城市となる。

地理・行政地名[編集]

全域が山間部である。豊川(寒狭川)の支流海老川の上流部を中心に、海老川流域と寒狭川流域までの間を町の範囲としていた。

大字は「海老」「副川」「連合」「四谷」「中島」の5つが設定されていた。いずれも1889年以前に存在した村を再編したものである。「海老」は海老川と支流谷川・清水川の合流点周辺、「副川」は海老の南部の海老川流域、「連合」は海老の北側で清水川中流域から海老川上流域にかけての地域、「四谷」は連合の東の清水川上流域にあたり、「中島」は海老・副川の西側の寒狭川流域の地域である。

1956年の鳳来町合併により、5つとも鳳来町の大字となった[2]。なお、「副川」は南に接する旧鳳来寺村にもある大字であるが、海老町側は「海老副川」と呼ばれる[5]

2005年に鳳来町が新城市へ編入されたため、現在はすべて新城市の大字であり、2013年に鳳来北西部地域自治区が編成され、2016年に統合で鳳来寺小学校が発足したことで、旧鳳来寺村と一体の地域とされることが多い。

交通[編集]

1929年(昭和4年)に開業した田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)が町内で唯一の鉄道路線である。町内の海老に、三河海老駅滝上駅が設置されていた。1968年(昭和43年)に廃止されているため、現在旧海老町域に鉄道はない。

教育[編集]

町立の小学校2校と中学校1校が存在した。

町村合併後の統廃合で、鳳来寺小学校と鳳来中学校に統合され、2016年4月以降、旧町域に小中学校はない。

郵便[編集]

  • 海老郵便局 - 海老に所在。1873年開局[2]。現・鳳来海老郵便局。

娯楽[編集]

  • 海老劇場 - 劇場・映画館[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『鳳来町誌』『角川日本地名大事典』では1878年。
    『日本歴史知名体系』では、東西海老村の合併・中島村発足は1872年(明治5年)、副川村発足は1876年(明治9年)、連合村発足は1877年(明治10年)。四谷村発足は1878年。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、p11
  2. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大事典』23、pp246-247(海老)・p993(西海老)・p1106(東海老)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本歴史知名体系』23、pp968-969
  4. ^ a b c 『角川日本地名大事典』23、p269(大代)・p291(大林)・p1189(古宿)・p1274(身平橋)・p1403(四谷)
  5. ^ a b c 『角川日本地名大事典』23、p256-7(大石)・p978(双瀬)・p1160-61(副川)
  6. ^ 『角川日本地名大事典』23、p338(小野)・p737(須山)・p1202(方瀬)・p1240(真菰)・p1414(連合)
  7. ^ 『角川日本地名大事典』23、p934(中島)・p1379(山中)・p1386(湯島)
  8. ^ 『鳳来町誌』歴史編、p937
  9. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。同文献を出典としている1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。

参考文献[編集]

  • 愛知県『愛知県統計年鑑』 第5回(昭和31年版)、愛知県、1956年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年。ISBN 978-4-04-001230-8 
  • 平凡社『日本歴史地名体系』 23 愛知県の地名、平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 鳳来町教育委員会『鳳来町誌』 歴史編、鳳来町、1994年。 

関連項目[編集]