海老江駅 (富山県)

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海老江駅
えびえ
Ebie
練合 (1.3 km)
(1.0 km) 射北中学校前
地図
所在地 富山県射水市東明中町
北緯36度45分51.0秒 東経137度8分53.0秒 / 北緯36.764167度 東経137.148056度 / 36.764167; 137.148056座標: 北緯36度45分51.0秒 東経137度8分53.0秒 / 北緯36.764167度 東経137.148056度 / 36.764167; 137.148056
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 射水線
キロ程 11.7 km(新富山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1929年昭和4年)7月2日
廃止年月日 1980年(昭和55年)4月1日
備考 射水線廃線に伴い廃駅
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海老江駅(えびええき)は、富山県新湊市(現・射水市)東明中町にあった富山地方鉄道射水線廃駅)である。射水線の廃線に伴い1980年昭和55年)4月1日に廃駅となった。海老江地区は秋分の日海老江曳山祭が開かれることで有名である。

歴史[編集]

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[3]。ホームは線路の北側(新港東口方面に向かって右手側、旧上り線)に存在した[3]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[3]。線路北側の駅舎側ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた[3]。使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホームは残存していた[3]

業務委託駅となっていた[3]。駅舎は構内の北東側に位置しホーム北東側に接していた[3]。ホームに待合所を有した[3]

駅周辺[編集]

富山の売薬行商人が多く住む地域であった[3]。線路の南側に並行して灌漑水路が走っていた[3]

駅跡[編集]

線路跡は四方駅跡南方附近から終点・新港東口駅附近までサイクリングロードとなっている[4]1997年平成9年)時点では、線路跡地はそのサイクリングロードであった[4]2006年平成18年)時点[5]2010年(平成22年)時点でも同様であった[6][7]

駅跡地附近はサイクリングロードから一旦外れ、2006年(平成18年)時点では広々とした旧構内が残り、駅舎側のホームが残存していた[5]。2輌編成の[6]車輌停車位置を示すペンキ書きの表示やも残っていた[5]。また線路跡部分はコミュニティバスの休憩場所になっていた[5]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[6]

2018年(平成30年)時点は撤去されたものの、車輌停車位置を示すペンキ書きは辛うじて残っていたが、2021年令和3年)頃にホームが撤去された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介新潮社2008年10月発行)34ページより。
  2. ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)211-212ページより。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)35,40-41ページより。
  4. ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング1997年5月発行)108-109ページより。
  5. ^ a b c d 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)66-67ページより。
  6. ^ a b c 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)53ページより。
  7. ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く3』50-51ページより。

関連項目[編集]