海本幸治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

海本 幸治郎
名前
カタカナ カイモト コウジロウ
ラテン文字 KAIMOTO Koujirou
基本情報
国籍 日本
生年月日 1977年10月14日
出身地 大阪府守口市
身長 183cm
体重 76kg
血液型 B型
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日 - )はサッカー選手。兄は元サッカー選手の海本慶治

目次

[編集] 来歴

1996年ガンバ大阪に入団。年代別日本代表にも招集される期待の若手選手だったが、1997年末以降は骨折を繰り返し、2000年にクラブから戦力外通告を受けた。

2001年Kリーグ城南一和に移籍して日本人初のKリーガーとなる。1997年末から数えて計8回の骨折とリハビリの末に2001年10月にKリーグでのデビュー戦に出場した。この試合は自身3年ぶりの公式戦であると同時に、城南がリーグ優勝を決めた試合でもあった。[1]2002年は出場機会も増え、[2]Kリーグ連覇に貢献した。

2003年、兄・慶治も在籍する名古屋グランパスエイトに移籍。当初、ズデンコ・ベルデニック監督は海本をセンターバックの駒として考えており出番に恵まれなかったが、人数不足から右アウトサイドとして出場したサテライトの試合でのプレーが高く評価され、シーズン途中から右アウトサイドのレギュラーに定着した。[1]2005年より兄・慶治と揃ってアルビレックス新潟に移籍した。

出場機会を求めて2006年5月31日東京ヴェルディ1969に移籍した。2007年は当初新人の福田健介にポジションを奪われるものの、チームの7連敗以降は右サイドバックとしてレギュラーに定着した。

2008年にはグロインペイン症候群を発症。4月28日に都内の病院で手術。公式戦の出場はなく、11月末に契約の非更新が発表された。

2009年7月4日オーストラリア地域リーグのボニーリグへの移籍が決まった。[3]

[編集] プレースタイル

主なポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダーの右アウトサイド。フィジカルとスピードが非常に強く、サイドからの突破力に定評がある[2]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1996 G大阪 - J 5 0 5 0 0 0 10 0
1997 G大阪 19 J 11 1 2 0 0 0 13 1
1998 G大阪 19 J 13 0 0 0 0 0 13 0
1999 G大阪 13 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 G大阪 13 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2001 城南一和 20 Kリーグ 1 0
2002 城南一和 Kリーグ
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 名古屋 17 J1 18 2 2 0 1 0 21 2
2004 名古屋 17 J1 21 2 7 0 0 0 28 2
2005 新潟 17 J1 6 0 5 0 0 0 11 0
2006 新潟 17 J1 5 0 1 0 - 6 0
2006 東京V 43 J2 26 1 - 1 0 27 1
2007 東京V 18 J2 26 0 - 0 0 26 0
2008 東京V 18 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 79 5 22 0 1 0 102 5
日本 J2 52 1 - 1 0 53 1
韓国 Kリーグ
総通算

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

  • U-16、U-18、U-21日本代表

[編集] タイトル

  • Kリーグ優勝(2001年、2002年)
  • 韓国スーパーカップ優勝(2002年)
  • アディダスカップ優勝(2002年)

[編集] 脚注

  1. ^ a b 海本幸治郎 選手「圏外」より『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2003年12月30日号 No.954、21ページ。
  2. ^ a b ウイークリー・インタビュー「止める・蹴る・しゃべる」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2003年11月11日号 No.947、57-59ページ
  3. ^ "東京V海本が豪州へ移籍". 日刊スポーツ. 2009年7月4日 閲覧。

[編集] 外部リンク


他の言語