波羅蜜

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波羅蜜(はらみつ)、あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた、はらみった) (: पारमि, Pāramī, パーラミー: पारमिता , Pāramitā, パーラミター)とは、パーリ語サンスクリット語で「到達」「完遂」「達成」を意味する語で、仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸(とうひがん)、(ど)等とも訳す。

般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、あるいは『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙するが、全体としての徳目は六波羅蜜である。

語源[編集]

サンスクリット文法による語源的解釈では、Pāramitā を、"pārami"(「最高の」を意味する "parama" の女性形)+ "-tā"(抽象名詞をつくる接尾辞)と分解し、「究極最高であること」「完成態」とされる。しかしインドから伝わる仏教の伝統的な解釈では、これを"pāram"(悟り/彼岸、"pāra" の 業格)+ "ita"(動詞 "i" 行くの過去分詞女性形)と読み、此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である[1]。「度(ど)」「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳の pha rol tu phyin pa(彼岸に到った)もまたこの解釈からきている。[2]

また"para" は、"parachute"、"parasol"、"parallel"、"parasite" 等と同一の語源であると考えられている。

諸説[編集]

意義[編集]

大乗仏教教団が登場する前の時代には、「完成」という言葉は、生死を繰り返しながら修行を重ねて階梯的に高みへと上り、最終的に阿羅漢の境地を獲得する「修行の完成」という意味で使われていた。

しかし、大乗仏教においては一般にそうではない。『大智度論』によれば、「波羅蜜」とは人智を超えた境地、二項対立的認識を超越して彼岸に到達することである。例えば、布施行については次のように説かれている。

また次に有・無の見(認識)を此岸と名づけ、
有・無の見を破す智慧を彼岸と名づけ、
布施を懃修するを河の中と名づく。
復次有無見名此岸。
破有無見智慧名彼岸。
懃修布施是名河中。[3]

「此岸」・「彼岸」という言葉の対立もまた「有・無の見」であるが、そういう見を超克することをいうのである。どのような概念・対概念も二項対立的そのものだから、「波羅蜜」を人の言葉で説明することは不可能である。『摩訶般若波羅蜜経』は「一切法不可説(すべての法は言葉で説明することはできない)」と説いている。

須菩提仏に白して言さく、「希有なり、世尊。
諸法の実相は不可説なり、而も仏は方便力を以ての故に説けり。
世尊、仏の説く所の義を我が解する如くならば、一切法も亦た不可説なりと」
仏言はく、「是の如し、是の如し、須菩提、一切法は不可説なり。
一切法不可説の相は即ち是れ空、是の空は不可説なり」
須菩提白佛言。希有世尊。
諸法實相不可説。而佛以方便力故説。
世尊。如我解佛所説義。一切法亦不可説。
佛言。如是如是。須菩提。一切法不可説。
一切法不可説相即是空。是空不可説。[4]

しかし『摩訶般若波羅蜜経』における仏陀は、言葉で伝えるしか方法はないのだとして繰り返し繰り返し、饒舌と言ってよいくらいこれを説いている。

六波羅蜜[編集]

六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)とは、甚深法界[5]の六つの彼岸行のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。

  1. 布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
  2. 持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。尸は屍に通じる。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合はに規定された禁戒を守ることを指す。
  3. 忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。[6]
  4. 精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
  5. 禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
  6. 智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。

龍樹は『宝行王正論』においてこの6項目を

  • 布施・持戒 -「利他」
  • 忍辱・精進 -「自利」
  • 禅定・智慧 -「解脱」

というカテゴリーに分けて解説している。龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の三つに尽きるため、阿含経に根拠を持たない大乗独自の「六波羅蜜」も仏説であるという。

十波羅蜜[編集]

十波羅蜜(じっぱらみつ)は、六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜(六波羅蜜の般若波羅蜜より派生した4つの波羅蜜)を加えたもの。唯識論ではこの十波羅蜜を立てて十勝行と称す。華厳教学などでは、菩薩の五十二位の中の十行のことともいわれる。また菩薩は十地において正しくこの十波羅蜜を順次に習得するという。[7]

  1. 方便波羅蜜 - 烏波野(Upāya ウパーヤ、うはや、日本語訳:方便)は、巧みな手段で衆生を教導し、益すること。六波羅蜜の行によって集めたる善根を有情に廻向せしめて彼と共に無上菩提を求むる廻向方便善巧、一切有情を済度する抜済方便善巧の2種類を修行する。
  2. 願波羅蜜 - 波羅尼陀那(Pranidāna プラニダーナ、はらにだな、日本語訳:願)は、(彼岸すなわち仏の理想世界に到達せんと立願すること。今日ではこれらすべての修行を完成せんと願う希望をいう。求菩提願・利他楽顔の2つを修行する。
  3. 力波羅蜜 - 波羅(Bala バラ、はら、日本語訳:力)は、二義あり、一義に一切の異論及び諸魔衆の壊すことなきをいい、また一義に十力の行のうち、思擇力・修習力の2つを修行する。
  4. 智波羅蜜 - 智(Jñāna ジュニャーナ、日本語訳:智)は、万法の実相を如実に了知する智慧は生死の此岸を渡りて、涅槃の彼岸に到る船筏の如く、受用法楽智・成熟有情智の2つを修行する。

注・出典[編集]

  1. ^ 大智度論巻第十二の檀波羅蜜法施の説明にも「波羅(秦言彼岸)蜜(秦言到)是名渡布施河得到彼岸」とある。
  2. ^ 『般若波羅蜜多(prajnaparamita)の解釈』 <東洋学論叢> 1997年 渡辺章悟 書誌情報
  3. ^ 大智度論釋初品中檀波羅蜜法施之餘卷第十二(大正蔵 T1509_.25.0145b03~05)
  4. ^ 摩訶般若波羅蜜經卷第十七 燈炷深奥品第五十七 (大正蔵 T0223_.08.0345c08~13)
  5. ^ 六祖壇経等、荷沢神会系の禅僧の好んで用いた用語。
  6. ^ 一部の経典で語られる「(極悪人の)一闡提(大羼提)」という用語はここから転じる。漢訳解釈だが大乗通教的にも違和感はない。
  7. ^ 十勝行と十地については経典編纂の過程で編入された可能性が取り沙汰される。