法華津寛
北京オリンピックでの法華津寛
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| 個人情報 | |
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| フルネーム | Hiroshi Hoketsu |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1941年3月28日(70歳) |
| 出身地 | 東京府 |
| スポーツ | |
| 競技 | 馬術競技 |
| クラブ | アバロン・ヒルサイドファーム |
法華津 寛(ほけつ ひろし、昭和16年(1941年)3月28日 - )は日本の馬術選手、実業家。アバロン・ヒルサイドファーム所属。
目次 |
[編集] 経歴
東京府出身。私立武蔵高等学校を経て慶應義塾大学を卒業後、日本石油に入社。
馬術を始めたのは12歳の時で学生時代から選手として数々の大会に出場。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位。
東京オリンピックの後に日本石油を退職し、デューク大学大学院へ留学。その後に外資系の製薬会社社員となる[1]。
馬場馬術に転向、1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックは遂に名実共に「ホケツ」になってしまい、出場できなかった。その後、1986年アジア競技大会では馬場馬術個人、団体ともに2位となった。
1988年に開催されたソウルオリンピックでは出場権を確保したものの愛馬が出国検疫においてウイルス陽性反応を示してソウルへ輸送不可となり、出場を断念した。
その後株式会社オーソ(オーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス株式会社、ジョンソンエンドジョンソンのグループ企業)社長に就任するなど実業家としても活躍していたが、定年退職後にオリンピック再挑戦を決意し2003年から家族を日本に残し単身でドイツ・アーヘンで馬術修業。
2008年開催の北京オリンピックでは、ウィスパー号とペアを組み、馬場馬術団体、同個人で出場。日本選手としては、ソウルオリンピックに馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る史上最高齢(67歳)でオリンピックに出場した。44年ぶりの出場も史上最長記録。また、北京オリンピックに出場した全選手中でも最高齢であった[2]。馬場馬術個人の1次予選(同団体の決勝を兼ねる)では34位で1次予選落ち、団体では9位だった。
[編集] 家系
「法華津」姓は、戦国時代に伊予国南部で活躍した海賊、法華津氏に由来する。寛の祖父は愛媛県北宇和郡吉田町(現在の宇和島市)より上京している。妻は執権北条時宗の子孫[3]。
[編集] 脚注
- ^ 法華津参った…愛馬ウィスパー逆走 スポーツニッポン 2008年8月15日記事の本人プロフィール参照
- ^ 五輪の最年長選手は日本勢 法華津67歳、八木58歳 -朝日新聞2008年7月26日付(同年8月24日閲覧)
- ^ 法華津、不屈の魂はご先祖の海賊譲り -スポーツ報知2008年3月27日付(同年5月25日閲覧)