法性寺雅平

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法性寺雅平
時代 鎌倉時代中期
生誕 寛喜元年(1229年
死没 弘安元年9月2日1278年9月19日
官位 従二位左近衛中将
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 藤原北家御堂流室町家(藤原師通後裔)
父母 父:室町家信、母:右京大夫信隆娘
兄弟 室町雅継雅平、深寛
正室:賢信娘
継室:藤原光氏
藤原信実娘・後深草院弁内侍
信平雅子、新陽明門院中納言、親家、雅世、深恵、定慈、大宮院権中納言、
後二条院按察典侍、亀山院堀河、
大宮院女房、今出川院中納言
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法性寺 雅平(ほっしょうじ まさひら)は、鎌倉時代中期の公卿藤原北家室町家正三位室町家信の二男。官位従二位左近衛中将

経歴[編集]

安貞2年(1228年)に叙爵。右衛門佐右近衛少将を経て、建長5年(1253年)に左近衛中将となる。文永3年(1266年従三位侍従。文永7年(1270年)、兼紀伊権守、正三位。

弘安元年(1278年)3月に従二位となるが、同年8月に出家、9月2日に50歳で薨去。

系譜[編集]

出典[編集]

  • 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年
  • 橋本政宣 編『公家事典』、吉川弘文館、2010年