泊瀬部皇女

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泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ、686年以前? - 741年天平13年))は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇女で、母は宍人臣大麻呂の娘、かじ媛娘。同母兄弟は忍壁皇子・磯城皇子・同母の妹は託基皇女、夫は川島皇子

大宝律令施行後は泊瀬部・長谷部内親王とも記述される。持統5年(691年)、川島皇子が死亡した時、万葉集巻2 194-195に柿本人麻呂が献じた歌がある。夫の死後再婚せず、天平9年(737年)2月14日三品に昇進、4年後の天平13年(741年)3月28日に死亡した。

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執筆の参考文献とした。

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