山田重満

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山田 重満(やまだ しげみつ、? - 治承5年3月10日1181年4月25日))は、平安時代末期の武将浦野重直の長男。弟に彦坂重親、高田重宗(高田重家?)、白川重義、小島重平、足助重長らがあり、子に重義(泉太郎)、重忠がある。治部丞。号は山田太郎、和泉冠者など。重光とも記される。

父より尾張国山田郡の所領を継承したほか「和泉」の地なども併せて領していたが[1]、治承5年(1181年)の墨俣川の戦いで一族と共に源行家の軍勢に加勢し敗北、重満は弟と共に平盛久に討ち取られた(『吾妻鏡』同年3月10日条)。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 尊卑分脈』に「和泉冠者」の記述。また『分脈』によれば長男・重義は「泉太郎」を称しており、次男・重忠も『吉記』に「泉次郎」と記される。なお「和泉」の地については、山田郡の近隣に三河国碧海郡和泉村(現安城市)などがあるが同地の比定はなされていない。

参考文献[編集]