泉水博

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泉水 博(せんすい ひろし、1938年 - )は千葉刑務所で獄中者組合を結成した人物。千葉県木更津市生まれ。

[編集] 人物

県立木更津第二高校を2年で中退後、職を転々とする。1960年、仲間と2人で会社重役夫人を刺殺し、1万5千円を奪った事件で逮捕された。泉水は無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役。

仮釈放が決定しているにもかかわらず、同じ刑務所の人間が病気で苦しんでいるとき、看守人質にとって、医者に見せろと要求をした。この行動が口コミで広がり、千葉刑務所に泉水あり、とのうわさが広がり、後の獄中者組合の結成につながった。

1977年9月28日に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では、強盗殺人犯で思想的背景や日本赤軍とは関係なかったが、獄中者組合の結成が反体制行動としてハイジャック犯側に評価され、釈放要求リストに指名される。日本政府は当初は泉水を「思想犯ではなく刑事犯」である理由から2人の釈放拒否の方針を持っていたが、ハイジャック犯に拒否をされ釈放対象となった。その後、日本政府によって超法規的措置によって釈放され、日本赤軍に参加。その後、国際指名手配された。

刑法により無期懲役刑の時効が20年あったことから、20年逃亡すれば無期懲役刑がなされなくなる恐れがあった(刑の時効は公訴時効と異なり、海外逃亡の時効停止規定がない)。しかし、釈放後から9年後の1986年6月7日フィリピン旅券法違反で逮捕され、日本へ送還されて勾留となり、刑の時効は不成立となった。1995年3月、逃亡前の無期懲役刑に旅券法違反の懲役2年が加算された。

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