河野義博

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河野 義博(かわの よしひろ[1]1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である[1]

1962年北海道帯広三条高等学校を卒業[1]立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた[2]

大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『平成17年版 帯広三条高等学校常磐同窓会会員名簿』 北海道帯広三条高等学校常磐同窓会名簿発刊委員会、2005年10月10日、219頁
  2. ^ “王国の礎〜十勝の五輪選手たち”. 十勝毎日新聞社. オリジナルの2012年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/qFTs 2018年10月7日閲覧。 

外部リンク[編集]