河野淳吾

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河野 淳吾(こうの じゅんご、1982年7月9日 - )は、神奈川県足柄下郡湯河原町出身の元サッカー選手DF)。 実弟は河野直人。「河野水軍の子孫」[1]

現在は競輪選手を目指している。

目次

[編集] 来歴

[編集] サッカー選手として

河野 淳吾
名前
カタカナ コウノ ジュンゴ
ラテン文字 KONO Jungo
基本情報
国籍 日本
生年月日 1982年7月9日(27歳)
出身地 神奈川県足柄下郡湯河原町
身長 183cm
血液型 O型
選手情報
ポジション DF
クラブチーム1
クラブ App (G)
2001-2003
2003-2005
2006
2007-2008
サンフレッチェ広島
横浜FC
水戸ホーリーホック
徳島ヴォルティス
00 (0)
059 (3)
040 (2)
022 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

清水商業高校から2001年にサンフレッチェ広島入り。同期に林卓人、トゥーリオ(現・田中マルクス闘莉王)、西嶋弘之寺内良太梅田直哉李漢宰[2]。カバーリングの意識が高くリーダーシップを取れるDFとして期待されていたが、ナビスコ杯に2試合出場に留まった。

2003年に入りJサテライトリーグにおいて広島サテライトのDFリーダーとして高パフォーマンスを見せていたところをピエール・リトバルスキーの目に留まり、同年6月に横浜FCレンタル移籍し、本来のDFだけでなく、MFやFWでも起用され、ポジションを問わずユーティリティに使われ続けた。翌2004年も引き続き横浜FCにレンタル移籍延長されるも、なかなか出番の無い時期が続いていた。しかしリーグ終盤の4試合にフル出場するなど貴重な戦力として活躍、翌2005年に横浜FCに完全移籍した。

移籍後の大宮アルディージャ戦(第24節)において味方GKの菅野孝憲がペナルティーエリア外で相手選手のシュートハンドリングし、試合開始1分で退場処分となる。当時の横浜FC監督のリトバルスキーは控えGKをベンチ登録しない作戦をとっており(この時期は、同所属のGK水原大樹吉田明博の両GKが怪我をしていたが、それを表に出さない為にそう話した事による。)、急遽DFの河野が菅野のユニフォームを着用して奮戦するもののチームは敗れた。ちなみに、監督は河野の実弟河野直人がGKであることは知らず、河野本人が強く志願した為GKに起用したようである(単純に背の高さだけでという噂もある)。

2006年には水戸ホーリーホックにレンタル移籍し主力として活躍、翌2007年からは徳島ヴォルティスへ完全移籍し主力として活躍したが、6月16日対コンサドーレ札幌戦の時に、ダヴィに踏まれ「右すね開放性骨折」の大怪我を負う。懸命にリハビリを続けていたが2008年シーズン終了後、現役を引退した。

[編集] 競輪選手として

2009年、地元の神奈川県に戻って競輪への転向を目指しており[3]、同県の競輪選手である高木隆弘の元へ住み込みで弟子入りしている。同年7月17日日本競輪学校第99期一般入学試験(適性試験)に合格した[4]

[編集] 略歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 広島 22 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 広島 22 J1 0 0 2 0 0 0 2 0
2003 広島 22 J2 0 0 - - 0 0
横浜FC 27 J2 22 1 - 3 0 25 1
2004 横浜FC 14 J2 18 0 - 2 0 20 0
2005 横浜FC 14 J2 19 2 - 0 0 19 2
2006 水戸 4 J2 40 2 - 0 0 40 2
2007 徳島 2 J2 20 1 - 0 0 20 1
2008 徳島 2 J2 2 0 - 0 0 2 0
通算 日本 J1 0 0 2 0 0 0 2 0
日本 J2 121 6 - 5 0 126 6
総通算 121 6 2 0 5 0 128 6

[編集] 関連項目

[編集] 注釈

  1. ^ '四国のチーム・徳島ヴォルティスに移籍した際に、現地の水軍子孫会から宴会に招かれた。
  2. ^ 中国新聞 サンフレ新人素描中国新聞2001年2月11日)
  3. ^ - 史上初、Jリーガーが競輪転向スポーツ報知2009年3月26日)
  4. ^ KEIRIN.JP2009年7月17日付記事
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