河角廣

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1948年

河角 廣(かわすみ ひろし、1904年7月12日- 1972年12月12日)は、日本地震学者東京帝国大学教授を歴任。

経歴[編集]

長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1928年東京帝国大学理学部地震学科卒業。同年東京帝国大学地震研究所嘱託となる。1944年教授となり1963年所長に就任。退官後は東京都防災会議地震部会会長などを歴任した。

日本各地の地震危険度[1]と最高震度の期待値[2]を示す「河角マップ」は耐震基準における地震地域係数の根拠となった[3]。また鎌倉や江戸などの古地震を調査し、相模トラフ巨大地震の69年周期説[4][5]を唱えた(なお当該地震は1923年を最後に発生していない)。

主要論文[編集]

関連文献[編集]

  • 柳田邦男「"69年目"を予言した男--学会に黙殺されても河角〔広〕博士は地震周期説を訴え続けた」『文芸春秋』第51巻第13号、文芸春秋、1973年9月、246-258頁、NAID 40003416553 

脚注[編集]

関連項目[編集]