河戸駅

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河戸駅
待合所(2005年11月)
こうど
Kōdo
可部 (1.3 km)
(2.4 km) 今井田
地図
所在地 広島市安佐北区亀山1丁目9
北緯34度31分1.7秒 東経132度29分58.7秒 / 北緯34.517139度 東経132.499639度 / 34.517139; 132.499639座標: 北緯34度31分1.7秒 東経132度29分58.7秒 / 北緯34.517139度 東経132.499639度 / 34.517139; 132.499639
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 可部線
キロ程 15.3 km(横川起点)
電報略号 ウト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
119人/日(降車客含まず)
-2003年-
開業年月日 1956年昭和31年)11月19日[1]
廃止年月日 2003年平成15年)12月1日
備考 広島市内駅
路線廃止に伴う廃駅
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河戸駅(こうどえき)は、広島県広島市安佐北区亀山1丁目にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線廃駅)である。

概要[編集]

可部線の非電化区間(可部駅 - 三段峡駅間)の廃線に伴い、2003年平成15年)12月1日に廃止された。 廃止後、可部駅 - 河戸駅付近までの復活開業が検討され、2017年(平成29年)3月4日に可部駅 - あき亀山駅が開業した(後述)[2]。これはJR化後では初めての廃止路線の復活である[注 1][3]。なお、旧河戸駅を挟む形で新たな駅が設置されたため、河戸駅は復活していない。

歴史[編集]

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅であった。駅舎はなくホーム上に簡便な待合所が設けられているだけであるが、入口から待合所寄りに汲み取り式便所があった。

廃線後、長らくそのままの状態(駅名標は撤去され、待合所はフェンスで閉鎖されていた状態)で残されていたが、現在は可部線電化延伸にともないホームは撤去。待合所はあき亀山駅近くの神社横に移設された[7]

利用状況[編集]

以下の情報は、広島市統計書および広島市勢要覧に基づいたデータである。

年度 1日平均
乗車人員
年度毎
総数
定期券
総数
普通券
総数
1968年(昭和43年) 344.8 251,671 216,568 35,103
1969年(昭和44年) 300.4 219,312 184,860 34,452
1970年(昭和45年) 252.0 183,936 155,040 28,896
1971年(昭和46年) 254.0 185,918 138,516 47,402
1972年(昭和47年) 209.4 152,892 113,140 39,752
1973年(昭和48年) 234.9 171,502 118,086 53,416
1974年(昭和49年) 265.3 193,650 133,932 59,718
1975年(昭和50年) 275.3 201,494 139,906 61,588
1976年(昭和51年) 269.9 197,061 133,902 63,159
1977年(昭和52年) 259.8 189,676 130,402 59,274
1978年(昭和53年) 227.9 166,387 120,852 45,535

以上の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にしたものである。

年度 1日平均
乗車人員
1979年(昭和54年) 213
1980年(昭和55年) 186
1981年(昭和56年) 184
1982年(昭和57年) 187
1983年(昭和58年) 203
1984年(昭和59年) 215
1985年(昭和60年) 176
1986年(昭和61年) 163
1987年(昭和62年) 166
1988年(昭和63年) 197
1989年(平成 元年) 208
1990年(平成02年) 218
1991年(平成03年) 230
1992年(平成04年) 221
1993年(平成05年) 204
1994年(平成06年) 180
1995年(平成07年) 180
1996年(平成08年) 174
1997年(平成09年) 163
1998年(平成10年) 145
1999年(平成11年) 136
2000年(平成12年) 117
2001年(平成13年) 115
2002年(平成14年) 112
2003年(平成15年) 119
乗車数グラフ

駅の立地[編集]

河戸駅への案内の看板

可部中心部の「可部地区」からみて、西に隣接した「亀山地区」内に駅があった。周辺は民家が密集しており、当駅は路地裏のような場所にあった。

可部町一帯は、広島市内から約20 km程度で、自動車で30分以内に移動できる立地から、1955年昭和30年)に亀山地区にも270戸の県営住宅が建設された[8]。その翌年の1956年(昭和31年)11月に、1936年(昭和11年)に既に開通していた可部線の仮乗降場として開駅、翌月に正式な駅に格上げされた。昭和40年代(1965年 - 1975年)には、住宅団地が多く建てられた。1969年(昭和44年)10月1日時点の亀山地区は、可部町の総人口24,840人のうち、可部地区の12,750人(51.3 %)に次ぐ6,898人(27.8 %)、総世帯数7,399世帯のうち、可部地区の4,077世帯(55.1 %)に次ぐ1,885世帯(25.5 %)が暮らしていた[9]

当駅跡地付近には、寺院幼稚園スーパーマーケット簡易郵便局などがある。また、入口には中華料理店があったが、部分廃線後に閉店している。

当駅付近から三段峡方の線路は、南側を東西に流れる太田川広島県道267号宇津可部線に並行していた。同県道は、可部駅方面から当駅前までは片側一車線で、そこから三段峡方面は幅員が狭くなるとともに、蛇行する太田川に寄り沿う形となって線形が悪化するため、現在でも悪天候時には通行止めになることがある。線路と県道のさらに北側には国道191号が並行しており、そちらの方が交通量および商店なども多い。

三段峡方の線路は当駅を出ると可部の市街地を抜け、以後は太田川に沿って、山中に分け入っていた。

当駅と可部駅の間には、可部方に国道54号、中間地点には可部バイパスオーバーパスがあり、可部線を跨ぐ部分に関しては2003年(平成15年)に完成している。同バイパス沿いを中心に、安佐北区役所可部区検察庁可部簡易裁判所安佐北警察署、広島北税務署、広島市立亀山南小学校広島市立亀山中学校などの公共機関や、スーパーマーケット、ドラッグストアホームセンターなどの商業施設がある。

三段峡方には住宅団地が多くあり、友鉄工業と関連会社の友鉄ランドもある。

廃駅後は、広島交通の「河戸バス停」に可部駅 - 広島交通安佐営業所(旧安芸飯室駅北側)を結ぶ可部線代替バスが発着し[10]、一部区間復活後も変わらずに運行されている。

可部駅 - 河戸駅相当区間電化復活と住民活動[編集]

可部駅 - 河戸駅相当区間電化復活について後述する通り、熱心な住民活動が存在した。

二度の廃線問題と可部駅 - 河戸駅間電化計画[編集]

1984年昭和59年)に当時の日本国有鉄道が、可部線の非電化区間の部分廃止の方針を示した時に、廃線の代償案として同時に可部駅 - 河戸駅間、1.3 kmの電化計画を示した。しかし、河戸以遠の可部線切り捨てを問題視する意見が多く、地元の猛反発にあい、またその当時は可部以北の並行道路の状態が悪く、部分廃止は棚上げになったため電化も行われなかった[11]

しかし、電化区間と非電化区間の境界点となる可部駅で、ほとんどの列車が系統分離されていく中で、1994年平成6年)夏に、亀山地区(河戸駅周辺も亀山地区になる)の住民約6,000世帯により、『可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会』(以下「同盟会」と略)が結成された。1996年(平成8年)9月には「河戸地区まちづくり協議会」が旗揚げした。運動の看板は、造成された団地のデベロッパーが費用負担した[12]

その後、可部線を国鉄から引き継いだJR西日本が1998年平成10年)9月に、可部駅 - 三段峡駅間の鉄道路線廃止・バス転換計画を発表した[13]

2000年(平成12年)10月にJR西日本が、2000年(平成12年)11月1日から2001年(平成13年)2月12日まで104日間の試験増便計画を発表した時は、同年末に、利用促進のために、同盟会が河戸駅周辺に40台収容の駐輪場を整備。整備前までは駐輪場のある可部駅を利用する住民も多かった[13]。試験増便は、その後2001年(平成13年)4月1日から2002年(平成14年)3月31日までの1年間にも行われ、さまざな住民活動が行われたが、試験増便の結果は思わしくなく、利用実績はJR西日本の示すラインには及ばず[14]2003年(平成15年)11月30日に営業終了となった。

河戸駅までの電化運動の看板

一方で同じころ、可部駅 - 河戸駅間の電化運動も活発化した。可部線対策協議会は電化した場合、当時500人前後の輸送密度の可部線が100人以上の底上げが期待できるとされた。しかし、緑井駅 - 可部駅間の行き違い設備を含めて[注 3]30億円から40億円かかること、JR西日本が「自治体が費用を全額負担するのであれば存続させる」との方針を示していたこと、電化論は河戸駅 - 三段峡駅間の切り捨てになるとの意見に押され全線存続論が主流となっていたことから、2003年(平成15年)の可部線の部分廃線までには実現しなかった[14]

なお、在来線の改良工事は、既に実施された山陰本線津山線因美線などの場合でも地元負担が発生している。

廃止から復活開業の方針が決まるまで[編集]

廃止後に広島市はJR西日本との線路敷地無償譲渡協定において「市から電化延伸の協議要請があれば応じる」との約束を取り付け、地元による工事費全額負担の条件付きで可部駅 - 河戸駅間の電化延伸による復活開業の可能性を残した。旧河戸駅周辺住民と広島市は、廃線後も月に1回JR可部線電化延伸等連絡会を開催。2005年(平成17年)以降も住民による電化延伸の要望は行われたり[15][16]2006年(平成18年)11月26日には、地元住民による可部駅 - 河戸駅間の電化延伸を訴える住民パレードが開催[17]2007年(平成19年)にも同様のパレードが開催された[18]このほか、廃線区間の線路の草刈り[19]・沿線へのひまわり植樹・観光案内看板設置など、地道な運動を継続していたが、恩恵を受ける沿線住民にも資金集め等の具体的な動きはなく、また広島市は財政難を理由に消極的で、電化延伸は具体化しなかった。

しかし、2003年(平成15年)廃線時から5年間で住民は約150人増加したこと、さらに、2008年(平成20年)9月末に国の補助対象(幹線鉄道等活性化事業費補助)に選ばれ、同区間の電化復活についての議論が本格的になされることとなった[20]

沿線住民は引き続き、2008年11月29日には「まちづくりフェスタ」を開催した[18]。同年6月から復活運動を盛り上げるために、オープンカフェを運営開始[21]。同年12月には、2009年(平成21年)の商品化を目指して、可部線復活を願うクッキーの試作を行った[22]。2009年(平成21年)3月には同盟会主体で、循環バスの運行・親水公園建設・特産品・イベント。さらには活動資金の確保のため、これまで見学した鉄道会社を参考として、枕木オーナー・駅命名権の発売の住民プランを広島市およびJR西日本に提出した[23]

2009年(平成21年)12月に、広島市とJR可部線活性化協議会により、可部線の電化延伸による一部復活案を活性化計画素案に盛り込むことが明らかになった[24]。これに呼応して、2010年(平成22年)3月に、協議会が駅周辺の宅地開発の構想・取り組みを強化。さらなる住民増加による需要増を目指した[25]。その後、市との協議で、同年9月21日に広島市は翌2011年度の着工を目指すと発表。JR西日本は2010年度中に事業化の可否について判断するとした[26]。同年12月には、利用促進のための協議会および、宅地開発を目的とした区画整理事業組合設立準備を進めると報じられた[27]

二度の延期を越えた復活開業[編集]

長井ふたたびの宮
移設された旧河戸駅の待合所

広島市は2011年(平成23年)2月3日、可部線で2003年に廃止された区間のうち可部駅から廃止区間にある河戸駅西側に設置される予定の新駅までの約2kmを電化して復活させる方針を固めたことを明らかにし、JR西日本と合意した場合は、路線復活となることになった(厳密にいえば、廃線跡を活用した路線新設)。廃止されたJR路線が復活するのは全国でも初めてのケースになる。計画では広島市と国が建設費の大半を負担して、2013年度(平成25年)中の完成を目指して2011年度(平成23年)中に着工。また可部駅と新駅の中間にも別の新駅を設置する。路線復活時に不要な通信ケーブルに関しては除去する予定にしている[28]

同年2月16日のJR西日本広島支社長による記者会見で、電化復活に関して広島市と11年度の早い段階で合意するのが望ましいとする考えを強調した。事業費に関して、以前の報道で既に出ている広島市と国が事業費の大半を負担。JR西日本が維持管理費を負担する方向で話を進めていることを明らかにした。その時の会見で出てきた課題として、1度廃線していることで、復活は路線の新設扱いになり、路線新設の場合、原則として新たな踏切設置が出来ないとして、どう処理していくか広島市や国土交通省と協議していかないといけないことを明らかにした[29]

同年2月26日には、広島市による終着駅の整備の概要が明らかになり、荒下県営住宅跡地に建設する意向で調整している[30]。跡地の整備計画は、前年12月に住民グループが出した意見に基づいたものになっている[27]。なお、荒下県営住宅跡地は、老朽化が進行する広島市立安佐市民病院の移転先として、検討されていることが2012年3月に判明[31]。2013年1月に、『移転案』『現敷地建て替え案』が発表された[32]。紆余曲折を経て、現在は2022年度にほとんどの設備を移転して開院予定となっている。

『可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会』は、2011年(平成23年)3月31日に当初の目的を果たしたことで解散。元メンバーは同年4月末に、可部地区の自治会や住民などで構成・結成される『JR可部線利用促進同盟会(仮称)』に参加すると報じている[33]。同盟会は、長井地区の自治会が昔からあった神社『伊勢社』を、可部線の電化延伸の方針を受けて『長井ふたたびの宮』と改称し、宣伝していくと報じられた[34]

2013年2月1日に、JR西日本と広島市は、2015年春頃に県営荒下住宅跡地まで、廃線跡を活用して電化延伸(電化復活)させることに合意。同月4日に正式発表された[35][3]。その後、踏切の設置箇所調整に手間取ったことで開業時期が1年延期されることとなり[36]、2016年春開業目標に同年11月28日にJR西日本が許可申請を行い[37]、2014年2月25日に事業許可が出された[38]。最終的に、対象区間にあった6箇所の踏切のうち、2箇所を廃止(1箇所は替わりの地下道を設置することとされていたが、結果的には跨道橋となった)。1箇所を移設。残り3箇所をそのまま使う(うち1箇所は立体交差化工事が終わるまでの暫定設置)形となった[39]。しかし、今度は広島市が駅建設用地の取得に当たり、地権者毎に土地の境界を確定する作業に予定より時間がかかり、予定していた2014年内の用地取得が半年ずれる見込みで2016年のダイヤ改正に間に合わず、2017年春まで再度の延期となった[2]

2016年12月、『長井ふたたびの宮』の近くに、旧河戸駅の待合所が移設・復元されて保存された[40]

2016年7月8日、JR西日本は営業再開に際して設置する駅の名称を、中間駅を河戸帆待川駅、終着駅をあき亀山駅とすると発表し[41]2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正により、廃止から13年3か月、市の復活方針決定から6年1か月を経て、可部 - あき亀山間が復活した。

なお河戸以北の観光鉄道としての復活開業計画は、可部線#可部駅 - 三段峡駅間の廃止にもあるように中断。一部区間では線路および駅舎などの撤去が行われている。

隣の駅[編集]

西日本旅客鉄道(JR西日本)
可部線
可部駅 - 河戸駅 - 今井田駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 手続き上は復活ではなく、新規開業による延伸。
  2. ^ 特定都区市内制度導入前の1972年4月1日から広島市内に所在(旧安佐郡可部町が同日付で広島市に編入合併)しているが、制度導入当時は古市橋駅 - 上八木駅間が広島市外であったため、当駅は対象外とされた。
  3. ^ この区間には梅林駅にしか行き違い設備がなく、それに伴い、可部 - 緑井間は最短でも20分間隔のダイヤとなっている。これを緑井 - 広島間と同じ10分間隔まで増発することによって乗客増加を目指すべく、同時に企画されていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、281頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b 可部線電化延伸区間の新駅について』(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2015年2月6日http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6784.html 
  3. ^ a b 可部線電化延伸は15年で合意 - 中国新聞 2013年2月5日
  4. ^ 「通報 ●可部線河戸駅外3駅設置について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1956年12月17日、3面。
  5. ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1972年10月号、巻頭「今月のお知らせ」、p.438「運賃の計算」。
  6. ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1973年5月号、巻頭「今月のお知らせ」、p.438「運賃の計算」。
  7. ^ 旧河戸駅、待合所はあき亀山駅近くの神社横に移設 地元要望でかなえた念願の駅”. 中国新聞. 2024年1月4日閲覧。
  8. ^ 可部町史 924ページ
  9. ^ 可部町史 918 - 921ページ
  10. ^ (時刻表
  11. ^ 『鉄道・路線廃止と代替バス』137ページ「 (2) 可部-河戸間を電化・復活」
  12. ^ 中国新聞 日刊 1997年6月29日 24面『人まちステーション JR河戸駅 広島市安佐北区 「電化延伸」高まる気運』
  13. ^ a b 中国新聞 日刊 2000年11月7日23面『地元住民団体 利用増へ願い 河戸駅近くに駐輪場設置 40台収容可能 チラシ配り呼び掛け』
  14. ^ a b 中国新聞 日刊 2002年4月5日29面『可部線の行方 検証試験増便 (4) 河戸電化 乗客増担う期待の構想 地元は新たな財政負担も』
  15. ^ 平成18年度の要望書受理状況 広島市ホームページ
  16. ^ 平成19年度の要望書受理状況 広島市ホームページ
  17. ^ 中国新聞 日刊 2006年11月27日22面『広島市安佐北区の旧河戸駅周辺 電化延伸訴え 住民パレード』
  18. ^ a b 中国新聞 日刊 2008年12月3日15面『鉄路廃止5年 旧可部線沿線は今(中) 復活の思い 可部-旧河戸に好機 補助事業認定 住民運動に熱』
  19. ^ 中川雅晴「おかえり可部線 延伸開業まで2カ月㊤ 熱意が結実 初の復活」『中国新聞』2017年(平成29年)1月5日付22面。
  20. ^ 中国新聞 日刊 2008年10月23日17面『可部線活性化調査 国の補助に 可部-河戸復活に光明』
  21. ^ 中国新聞 日刊 2009年3月26日 25面『広島市・河戸の団体、きょう再開 可部線復活へ魅力PRカフェ』
  22. ^ 中国新聞 日刊 2008年12月26日 12面『河戸の女性グループ商品化へ伝説のアユかたどる 「可部線復活」願うクッキー』
  23. ^ 中国新聞 日刊 2009年3月1日 23面『広島市・JRに提出目指す 鉄路復活へ住民プラン 旧可部線沿線の河戸 循環バス運行/親水公園建設』
  24. ^ 中国新聞 日刊 2009年12月15日3面『可部線河戸 活性化素案に電化延伸盛る 広島市、設計調査へ』
  25. ^ 中国新聞 日刊 2010年3月20日 30面『広島市安佐北区 可部線復活へ宅地構想 人口増狙い河戸地区住民 住宅会社の意向を調査』
  26. ^ 「可部線電化延伸 JRが方針」 - 中国新聞 2010年10月9日[リンク切れ]
    中国新聞 日刊 2010年10月9日 3面(16版)『可部線 河戸への電化延伸 本年度中に可否判断 JR西』
  27. ^ a b 中国新聞 日刊 2010年12月8日 30面『JR電化延伸を想定 可部-旧河戸間 列車利用促す協議会準備』
  28. ^ 産経デジタル iZa (2011年2月3日). “廃止路線を復活 全国初、広島の可部線2キロ”. 2011年12月4日閲覧。[リンク切れ]
    中国新聞 日刊 2011年2月3日 1面『広島市 11年度着工予定 可部-旧河戸間 可部線 廃止2キロ復活へ JR西日本 早期に最終判断』
  29. ^ 中国新聞 日刊 2011年2月17日5面『可部線一部電化復活 「広島市と早期合意へ」 JR西支社長、調整前向き』
  30. ^ 中国新聞 日刊 2011年2月26日34面『県営団地跡地に終着駅 JR可部線の可部-旧河戸駅間電化延伸 市が調整 地元区画整理と一体に』
  31. ^ 安佐市民病院、移転を検討 - 47NEWS 2012年3月20日
  32. ^ 病院建て替えの2案を説明 - 中国新聞 2013年1月9日
  33. ^ 中国新聞 日刊 2011年4月1日 24面『広島市が延伸方針 JR可部線の可部-旧河戸間 地元住民 利用促進へ決意新た』
  34. ^ 中国新聞 日刊 2011年4月14日 22面『長井自治会 可部線の電化方針受け 沿線活性化へ企画 「復活」祈願の神社PR』
  35. ^ JR可部線の電化延伸について - JR西日本 2013年2月4日
  36. ^ 可部線電化延伸、1年遅れも - 中国新聞 2013年9月13日
  37. ^ JR可部線延伸を許可申請 - 中国新聞、2013年11月28日
  38. ^ 可部線電化延伸事業について「鉄道事業許可」を取得しました - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年2月25日
  39. ^ JR可部線電化延伸区間の旧踏切等について
  40. ^ 中川雅晴「おかえり可部線 延伸開業まで2カ月㊥ 商品・名所で もてなし」『中国新聞』2017年(平成29年)1月6日付24面。
  41. ^ 可部線および山陽線新駅の駅名決定について

参考文献[編集]

  • 中国新聞 各バックナンバー
  • 可部町史(広島市役所 編集)
  • 堀内重人『鉄道・路線廃止と代替バス』東京堂出版、2010年。ISBN 978-4-49-020696-8 
  • 各 広島市統計書
  • 各 広島市勢要覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]