沖縄旭琉会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
沖縄旭琉会
沖縄旭琉会.png
組織の概要
設立年: 1990年
設立者: 富永清
本部: 〒900-0037
沖縄県那覇市辻2-6-19
首領: 富永清
活動期間: 2011年まで(『旭琉會』へ改組)
活動範囲: 沖縄県
構成員数: 約300人〜430人(2011年時点)

沖縄旭琉会(おきなわきょくりゅうかい[1])は、沖縄県を本拠の地として活動した暴力団。同県の那覇市に本部を置いた指定暴力団であり、構成員総数は2011年度の警察庁の報告によればおよそ300となっていた。[2]

もともと旭琉会からの分裂を経て生まれた組織で、その分裂に際しての旭琉会との抗争は無辜の市民を巻き込み、暴力団対策法施行の一因ともなった。それから20年余の時を独立指定暴力団としてあり続けたものの、2011年に至って旭琉会と再統一。旭琉会を吸収合併のうえで発足させた『旭琉會』として新たに始動している。[3]

来歴[編集]

1970年頃に『沖縄連合旭琉会』という暴力団組織が発足。1990年になると同組織に内部抗争が発生し、のちの旭琉会に対する勢力が離反したうえで同年のうちに新団体を設立。これが沖縄旭琉会の起こりであった。[4]

その発足当時の内訳は旭琉会の傘下にあった9組織で、旭琉会で理事長の座にあった富永清がそれらを主導し初代会長に就任。旭琉会を相手に死者を伴う熾烈な抗争を展開した。[5] やがて1992年をもって、旭琉会とともに暴力団対策法に基づく指定暴力団となった。[6]

情勢[編集]

本部所在地は沖縄県那覇市辻2-6-19で、沖縄県内を専らの活動地とした。[2]

勢力[編集]

沖縄県内最大規模の暴力団組織であり、同県内での活動が見られる暴力団組織は旭琉会ならびに東亜会系誼興業、そして沖縄旭琉会のみとなっていた。[7] その人員規模のおおよその内訳は、1993年に570人[5]、2001年に410人[8]、2007年に523人[7]、2010年に310人[4]、2011年にあっては300人[2]とも430人[9]とも報告されていた。

抗争[編集]

旭琉会とは分裂以来長年にわたり対立状態にあった。その設立年にあたる1990年には、その抗争の過程で無関係の高校生や警察官が巻き添えで射殺される事件も発生している。1992年に抗争終結の宣言を行い、和解を模索中であるとの報告が1998年にあったほか、2000年代の後半期からは更なる和解に向けた動きが水面下にて進行中との報告が示されていた。[10] そして2011年11月―ついに旭琉会との再統合が正式に決定。会長の富永清が統合後のその新組織の会長に就任するものと見られた。[11]

資金源[編集]

その資金源には風俗店の経営や無登録の貸金業が含まれるものと見られていた。[4] 旭琉会と同じく、違法薬物の取り扱いによる資金稼ぎを公式に禁じ、これに従事した構成員には破門処分を科すとしていたものの、資金繰りの悪化を背景とした横行状態を黙認していると見られていた。[12]

出典[編集]

[ヘルプ]