旭琉會

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旭琉會
Kyokuryu-kai.png
組織の概要
設立年: 1970年
設立者: 仲本善忠
本部: 〒904-0031
日本沖縄県沖縄市上地2-14-17
首領: 富永清
活動範囲: 沖縄県
構成員数: 約520人(2013年末時点)

旭琉會(きょくりゅうかい)は、日本沖縄県に本部を置く暴力団指定暴力団沖縄市内に本部を置き、構成員は2013年末の時点で約520人。

1970年に結成された「沖縄連合旭琉会」が、抗争を経て1990年から「旭琉会」と「沖縄旭琉会」に分裂。その分裂に際しての抗争は無辜の市民を巻き込み、暴力団対策法施行の一因ともなった。それから20年余にわたってそれぞれ対立しながら並立していたものの、2011年、「沖縄旭琉会」が「旭琉会」を吸収合併する形で一本化、「旭琉會」として再発足した。

沖縄県内唯一の指定暴力団で、2012年以後は沖縄県内唯一の組織暴力団となっている。

来歴[編集]

起源と黎明[編集]

そもそも沖縄における暴力団はいわゆる伝統的な「ヤクザ」ではなく、第二次世界大戦後に出現した土着の無法集団を起源としている[1]。終戦後の混乱期から復興の兆しが現れ始めた1952年頃に不良者らなどが集団化し始めた[1]。それらの代表的なものが那覇市を拠点とした「那覇派」とのちの沖縄市域を拠点とした「コザ派」(「山原派」とも)で、幾度にもわたり対立抗争を繰り返していたこれら2党が、沖縄の本土復帰を目前に控え、日本本土の暴力団の島内進出を阻む意図から、大同団結を図ったうえで1970年の暮れに「沖縄連合旭琉会」を結成[1]。「第1次沖縄抗争」(1961年)、「第2次沖縄抗争」(1964年)、そして「第3次沖縄抗争」(1966年)と、そこに至るまで三次にわたる大規模な抗争を経ていたものの、「山原派」の首領を担った仲本善忠の主導によって正式発足、これが旭琉會の幕開けであった[2]

山口組との抗争[編集]

1976年[3]―“沖縄旭琉会”への改称と同時に多和田真山を首領に据える二代目体制が発足[2]。間もなく沖縄進出を巡り対立状態にあった山口組との抗争が激化し、白昼の那覇市内の路上で組員が山口組系暴力団員を拳銃で射殺、さらには組員が山口組系暴力団事務所に手榴弾を投擲したうえ拳銃を乱射するなどといった、暴力的な抗争事件を1978年度だけで22回にわたって引き起こした。その過程においては組員が警戒中の警察官に対してカービン銃を発砲し傷害を負わせるという事件もあった[4]

これは傘下組織の「上原組」が脱退、そして山口組への加入を行ったことから激化に至った抗争で、仲裁者の不在という沖縄特有の事情も手伝い、双方が疲弊し消耗し尽くすまでの“総力戦”に発展[2]。この抗争の終結を模索した会長の多和田は、1981年、山口組との盃事を敢行し、同組直系組長(二次団体首領)ら2名を相手に対等の「兄弟分」関係を結ぶに至る。ところがこれが裏目に出てしまい、組織内の反対派から命を狙われる結果となった[2]。翌1982年、傘下組織構成員の手により多和田は射殺された[3]

1983年5月に三代目体制としての「旭琉会」が発足[2]。会長に就任したのは翁長良宏であった[5]。この時点で1000余名の構成員を擁する沖縄県内最大の暴力団であったが、やがて内部で主導権争いが発生[1]

沖縄旭琉会の代紋

分裂、そして指定暴力団へ[編集]

時の理事長であった富永清の率いる9組織が離脱したうえで、1990年に「沖縄旭琉会」という新団体を発足、そのまま熾烈な抗争に突入した[5]。この年だけで無関係の市民を含む6名の死者と12名の負傷者を発生させ、市民間における反暴力団の機運を高める結果となった[6]。1992年における暴力団対策法の施行はこの抗争を一因としたものであった[7]。同年6月をもって旭琉会・沖縄旭琉会の両者揃って同法に基づく指定暴力団となるに至った[8]。同年のうちに抗争終結が宣言されはしたものの、そのまま2つの「旭琉会」が並立、緊張を伴う“冷戦状態”が以後20年余にわたって継続することとなった[9]

再統合「旭琉會」[編集]

やがて2010年に至り、翁長が旭琉会会長の座を退くとともに、三代目体制下で理事長を務めた花城松一が同会の四代目を襲名[3]。この代替わりの儀に際して新会長すなわち花城の後見人となったのは沖縄旭琉会の会長すなわち富永清であった[9]。そしてその翌2011年の暮れ頃になってついに両組織の一本化が正式決定[10]。分裂から21年を経ての再統一となった[11]。沖縄旭琉会による吸収合併という形での統一で、指定暴力団の合併は1992年の暴力団対策法施行以来全国初のことであった[7]。一本化後の新組織名は“旭琉會”[12]。沖縄旭琉会を率いた富永清を首領に、四代目旭琉会を率いた花城松一を次点に据え、この名をもって2011年のうちに正式発足[13]。同年3月末には暴力団対策法に基づく「四代目旭琉会」の指定が取り消され、同時に「沖縄旭琉会」の指定名が“旭琉會”へ改称され、沖縄県内唯一の指定暴力団として再始動する運びとなり、現在に至っている[14]

情勢[編集]

統一前の「旭琉会」は沖縄県那覇市首里石嶺町(4-301-6)に、対する「沖縄旭琉会」は同市の辻(2-6-19)に本部を置き、ともに沖縄県内を専らの活動地とした[15]。「旭琉會」となって以後、2013年末時点で沖縄県沖縄市上地(2-14-17)に本部を置き、勢力範囲は同県内、約520人の構成員数となっている[16]

勢力[編集]

統一前からそれぞれ沖縄県を代表する暴力団組織で、その規模は「沖縄旭琉会」が県内最大、「旭琉会」が次点、同県内を拠点とする暴力団組織はこれら2団体のほかには東亜会のごく小規模な系列組織「誼興業」のみとなっていた[17]。その誼興業も2012年をもって解散、これにてちょうど同時期に新発足した「旭琉會」が沖縄県内唯一の組織暴力団となるに至っている[18]

統一前の「旭琉会」の人員勢力のおおよその内訳は、1993年に430人[5]、2001年に270人[19]、2007年に352人[20]、2009年に260人[15]、2010年に210人[21]、2011年にあっては210人[22]とも300人[17]とも報告されていた。対する「沖縄旭琉会」は、1993年に570人[5]、2001年に410人[19]、2007年に523人[20]、2010年に310人[21]、2011年にあっては300人[22]とも430人[17]とも報告されていた。

資金源[編集]

統一前の「旭琉会」および「沖縄旭琉会」は違法薬物の取り扱いによる資金獲得を公式に禁じ、これに着手した構成員には破門処分を科すとしていた。が、資金繰りの悪化を背景とした横行状態を黙認しているのが現状と見られていた。[23]

沖縄の「ヤクザ」[編集]

沖縄の「ヤクザ」は本土のそれとは異なり、戦後に発生した。本土「ヤクザ」の組織内部の関係ではの結びつきが主になり、いわゆるを交わすと年齢に関係なく親分子分の関係になるが、沖縄「ヤクザ」の場合には沖縄一般社会が兄弟的関係や血縁関係が強いため、本土の「ヤクザ」とは若干異なる組織形態で発展した。そのため、本土の「ヤクザ」とは色彩を異にする抗争を繰り広げることにもなった。地理的な条件もあるが、武装抗争を伴う熾烈な抵抗が行われてきた歴史もあり、山口組を始めとする本土の広域暴力団の進出が(例外はあるにせよ)広島県とともに無い地域である。とはいえ島内二大勢力の一方にあたる「旭琉会」が山口組と友好関係を築いていたこともあり、山口組の影響力が皆無という状況ではない(これは共政会侠道会が山口組と友好関係を樹立した広島も同様である)。その点で、山口組の力がまるで及ばない状況にあるとされる九州北部とは異なっている。

歴代[編集]

会長[編集]

  • 沖縄連合旭琉会 - 仲本善忠
  • 二代目旭琉会(沖縄旭琉会) - 多和田真山
  • 三代目旭琉会 - 翁長良宏
  • 四代目旭琉会 - 花城松一
  • 旭琉會 - 富永清

旭琉會役職(発足時)[編集]

出典:実話時報 2012年2月号[13]
  • 会長 - 富永清
  • 会長代行 - 花城松一
  • 理事長 - 上里忠盛
  • 副理事長
    • 髙江洲良吉
    • 志多伯幸仁
  • 本部長 - 上江洲丈二
  • 幹事長 - 永山克博
  • 組織委員長 - 中村實
  • 懲罰委員長 - 糸数幸昌
  • 風紀委員長 - 宮城保彦
  • 運営委員長 事務局長 - 座安隆
  • 渉外委員長 - 與那哲也
  • 総務委員長 - 又吉敏廣
  • 慶弔委員長 - 山城茂
  • 会長秘書
    • 糸数真
    • 狩俣重三
    • 知念秀視
  • 最高顧問 - 羽地功

三代目旭琉会役職[編集]

  • 会長 - 翁長良宏
  • 理事長 - 花城松一(沖島一家総長)
  • 副会長 - 呉屋栄信(丸良一家総長) · 仲程光男(丸長一家総長) · 志慶真盛繁
  • 本部長 - 高江洲良吉(錦一家総長)
  • 幹事長 - 中村實(桜一家総長)
  • 組織委員長 - 安慶名誉夫(誉一家総長)
  • 事務局長 - 糸数幸昌(ナニワ一家総長)
  • 理事長補佐 - 志多伯幸仁(志多伯一家総長) · 久高将茂(丸宏一家総長)
  • 副本部長 - 金城正雄(金星一家総長)
  • 会長秘書 - 糸数光秀(洸成一家総長)
  • 幹事長補佐 - 知念正人(知念一家総長) · 宮城正春(二代目丸神一家総長)

四代目旭琉会役職[編集]

  • 会長 - 花城松一
  • 会長代行 - 高江洲良吉(錦一家総長)
  • 副会長 - 志多伯幸仁(志多伯一家総長)
  • 理事長 - 中村實(桜一家総長) · 糸数幸昌(ナニワ一家総長)
  • 本部長 - 安慶名誉夫(誉一家総長)
  • 幹事長 - 久高将茂(丸宏一家総長)
  • 組織委員長 - 知念正人(知念一家総長)
  • 理事長代行 - 知念秀視(二代目沖島一家総長)
  • 理事長補佐 - 糸数光秀(洸成一家総長) · 宮城正春(二代目丸神一家総長)
  • 副本部長 - 豊里友尚(二代目丸長一家総長)
  • 会長秘書 - 山城茂(一心一家総長)
  • 幹事長補佐 - 伊波健(二代目嘉手刈一家総長) · 仲程光男(二代目丸良一家総長)

出典[編集]

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  1. ^ a b c d 沖縄県内暴力団の概要』 2014年 沖縄県警察
  2. ^ a b c d e 『実話時報 2012年2月号』 : “「旭琉會」誕生” (p.34) 2012年1月14日 竹書房
  3. ^ a b c 2暴力団一本化の動き 三代目旭琉会会長交代へリンク有効期限切れ (http://news.livedoor.com/article/detail/4863964/) 琉球新報 2010年07月03日 ライブドアニュース
  4. ^ 昭和53年 警察白書:第2章 暴力団根絶のために』 1978年 警察庁
  5. ^ a b c d 平成5年度警察白書 第1節 暴力団の実態』 1993年 警察庁
  6. ^ 1990年(平成2年)沖縄県内十大ニュース』 1990年12月27日 琉球新報
  7. ^ a b 「旭琉會」を指定暴力団に 県公安委リンク有効期限切れ (http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-30_31759/) 2012年3月30日 沖縄タイムス
  8. ^ 暴対法施行から5年、組員約300人減少 ミンボー被害防止に効果』 1997年3月1日 琉球新報
  9. ^ a b 『実話時報 2012年2月号』 : “「旭琉會」誕生” (p.35) 2012年1月14日 竹書房
  10. ^ 両旭琉会が組織一本化 構成員は750人に』 2011年11月27日 琉球新報
  11. ^ 2旭琉会が統合か 幹部集い北谷で儀式』 2011年11月27日 沖縄タイムス
  12. ^ 『実話時報 2012年1月号』 : “旭琉會「発足」” (p.102) 2011年12月14日 竹書房
  13. ^ a b 『実話時報 2012年2月号』 : “「旭琉會」誕生 グラビア” (p.3-10) 2012年1月14日 竹書房
  14. ^ 指定暴力団「旭琉會」に改称琉球新報 2012年3月30日 かりゆしクラブ
  15. ^ a b 平成21年の暴力団情勢 図表3-1 指定暴力団の指定の状況』 2010年 警察庁
  16. ^ 暴力団情勢 > 九州の指定暴力団』 2013年 九州管区警察局
  17. ^ a b c 『暴力団排除条例を可決 県議会リンク有効期限切れ (http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-07-15_20559/) 2011年7月15日 沖縄タイムス
  18. ^ 東亜会二代目誼興業が解散 組織暴力団』 2012年3月19日 琉球新報
  19. ^ a b 平成13年版警察白書:第4章 暴力団総合対策の推進>指定暴力団の指定の状況(p.138) (PDF) 2001年 警察庁
  20. ^ a b 県内暴力団情勢』 2007年10月 暴力団追放沖縄県民会議
  21. ^ a b 2暴力団一本化の動き 三代目旭琉会会長交代へ』 2010年7月3日 琉球新報
  22. ^ a b 平成22年の暴力団情勢:指定暴力団一覧表 (p.27)』 2011年 警察庁
  23. ^ 薬物事案 県警「暴力団関与4割」』 2008年11月29日 琉球新報