汪瑞ガイ

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本来の表記は「汪瑞闓」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
汪瑞闓
Wang Ruikai.jpg
『中華民国維新政府概史』(1940年)
プロフィール
出生: 不詳
死去: 1941年民国30年)1月24日
Flag of the Republic of China-Nanjing (Peace, Anti-Communism, National Construction).svg 中華民国
出身地: 清の旗 安徽省泗州盱眙
職業: 政治家
各種表記
繁体字 汪瑞闓
簡体字 汪瑞闿
拼音 Wāng Ruìkǎi
注音符号 ㄨㄤˋ ㄖㄨㄟˋ ㄎㄞˇ
和名表記: おう ずいがい
発音転記: ワン ルイカイ
ラテン字 Wang Jui-k'ai
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汪 瑞闓(おう ずいがい)は、中華民国の政治家。中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で浙江省の長をつとめた。

事績[編集]

1912年民国元年)12月、江西省の初代民政長に就任した。第二革命(二次革命)前後に事実上辞職している(正式な罷免は1914年4月)。[1]1916年(民国5年)2月、参政院参政に任命された。[2]

中華民国維新政府が成立した後の1938年(民国27年)5月、浙江省政府が正式に組織され、汪瑞闓が省長に任命された。翌1939年(民国28年)1月3日、汪瑞闓は刺客の銃撃に遭い負傷している。[3]汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立した後も、汪瑞闓は浙江省長にとどまっている。1940年(民国29年)10月、浙江省政府が省主席制に改組されても、そのまま省政府主席に留任した。1941年(民国30年)1月24日、省政府主席在任中に死去した。[4]

[編集]

  1. ^ 劉主編(1995)、262-263頁。
  2. ^ 劉主編(1995)、171頁。
  3. ^ 中国杭州ホームページ。
  4. ^ 劉主編(1995)、1109-1110頁。

参考文献[編集]

 CJZ1.png 中華民国維新政府
先代:
(創設)
浙江省長
1938年5月 - 1940年3月
次代:
(南京国民政府に継続)
 Flag of the Republic of China-Nanjing (Peace, Anti-Communism, National Construction).svg 南京国民政府(汪兆銘政権
先代:
(維新政府から継続)
浙江省長
1940年3月 - 10月
次代:
(省政府主席に改組)
先代:
(省長から改組)
浙江省政府主席
1940年10月 - 1941年1月
次代:
梅思平