水沢江刺駅

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水沢江刺駅
駅舎
駅舎
みずさわえさし - Mizusawa Esashi
一ノ関 (25.0km)
(17.4km) 北上
岩手県奥州市水沢区羽田町駅前一丁目185
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 東北新幹線
キロ程 470.1km(東京起点)
電報略号 ミエ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
1,024人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日 1985年昭和60年)3月14日
備考 みどりの窓口

水沢江刺駅(みずさわえさしえき)は、岩手県奥州市水沢区羽田町駅前一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線である。

営業キロ数は東北本線水沢駅を準用していて、乗車券部分については当駅との選択乗車が可能である。

目次

[編集] 駅構造

相対式ホーム2面2線の高架駅である。待避線が無いため、ホームには可動式安全柵が装備されている。

終日社員配置駅。みどりの窓口(営業時間 6:10~23:10 ※途中休止時間帯あり)、自動券売機1台、指定席券売機1台(営業時間 5:40~23:10)、ジャスター売店設置。

駅構内には、南岩手交流プラザがあり、岩手県南部の観光物産品などが展示されている。

のりば
1 東北新幹線 盛岡八戸秋田方面
2 東北新幹線 仙台大宮東京方面

[編集] 利用状況

乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員
2000 1,112
2001 1.084
2002 1,026
2003 1,021
2004 1,038
2005 1,046
2006 1,055
2007 1,070
2008 1,024

2008年度の乗車人員は1日平均1,024人である。

[編集] 駅周辺

水田中心の地帯に、急遽建設された水沢江刺駅とその周辺には、ビジネスホテル等宿泊施設が存在しない。ゆえに駅利用客の多くが、商都として発展してきた水沢駅周辺にある宿泊施設を利用する。

駅前には後藤新平像が立っている。これは1950年代に水沢出身の歴史的人物、後藤新平、斎藤實高野長英の3人を顕彰する公園を駅東側にある羽黒山出羽神社(出羽三山の神社とは別)境内に造る構想があり、その最初として1960年に建立されたものである。しかし資金難により構想は挫折。結果として残る2人の像は作られることもなく、後藤新平像も神社の境内にそのままにされていた[1]。後藤新平生誕150周年である2007年に水沢江刺駅前に移す運動が地元を中心に起こり、「後藤新平銅像移転推進会」が結成された。同年11月に募金などを基にして移転・除幕式が行われた。

像は、後藤新平がボーイスカウト日本連盟の前身である少年団日本連盟初代総裁であったことから、ボーイスカウトの制服を着用している。台座は移転に際して新製され、後藤のモットーである「自治三訣」の言葉「人の御世話にならぬよう 人の御世話をするよう そしてむくいをもとめぬよう」(原文旧仮名遣い)が刻まれている[2]

[編集] バス

なお、沿岸の大船渡市方面へ接続のために特急水沢大船渡線が岩手県交通により運行されていたが、利用者減少のため2006年3月に廃止された。

[編集] 歴史

新花巻駅とともに、全額地元負担による請願駅として新幹線開業後に追加設置された。このため、開業当時からの設置駅のような通過線を持たない2面2線の構造となっている。

[編集] 駅名について

当初は新水沢駅の予定であったが、駅のすぐ北側に、奥州市水沢区(旧・水沢市)と同市江刺区(旧・江刺市)との境界線が走っており、当時隣接していた江刺市から「鉄道の無い江刺市のために、江刺の名前を入れて欲しい」という要望から、水沢江刺駅に変更されたという逸話がある。

[編集] 市町村合併に伴う改名の動き

2006年(平成18年)の市町村合併(水沢市・江刺市・前沢町胆沢町衣川村が合併し奥州市)にともない、駅名を「水沢江刺」から「奥州」に変更しようとの声が、行政を主体として起こっている。これに対しJR東日本からは現在のところ、否定的な見解が出ている模様である(改称に伴う費用は原則地元負担)。

[編集] その他

当駅から東北本線の水沢駅までは車で15分ほどである。

[編集] 隣の駅

東日本旅客鉄道
東北新幹線
一ノ関駅 - 水沢江刺駅 - 北上駅

[編集] 脚注

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  1. ^水沢市史」近代編ほか。
  2. ^ 交通新聞 2008年3月12日 第2面

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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