水原勇気
| 札幌華生堂メッツ #91 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 身長 体重 |
172cm ??kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1975年 ドラフト1位(全体14番目) |
| 初出場 | 1976年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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水原 勇気(みずはら ゆうき、1958年 - )は、漫画『野球狂の詩』ほか数作品の登場人物。女性。
目次 |
[編集] 来歴
女性初のプロ野球選手として1975年東京メッツにドラフト1位で指名されたアンダースローの左投手。ドラフト指名時にあった女性が選手として参加できないという野球協約[1]を乗り越えて入団する。
当時、アンダースローの左投手は日本球界に存在しなかった。球威はないがコントロールに優れ、後にドリームボールという決め球を持つ。試合中はストッパーとして勝ち試合の9回2アウト2ストライクからの「1球限定」起用が多かった。
高校女子野球部に在籍中、東京メッツの岩田鉄五郎にその素質を見出される。プロ野球には全く興味がなく、獣医を目指して大学進学の受験勉強をしていた。入団の説得に日参する岩田を嫌い、ソデにし続けるが、岩田の「1年だけでいいから俺の夢を叶えてくれ」との涙ながらの訴えに心を動かし、入団を決意した。
ドリームボールは、2軍の捕手である武藤兵吉が、夢の中で水原が次々に空振りを取るのを見て考案したことからそう名づけられた。ボウリングを取り入れたトレーニングなどもあって水原はドリームボールを身につけるが、広島カープに移籍した武藤に見事打ち砕かれてしまう。ドリームボール以外ではシュートやカーブといった変化球も投げる。
『野球狂の詩 平成編』において、40歳を超えて投手コーチ兼現役投手として復帰した。2000年には少なくとも10S(10連続セーブの記述から)以上を挙げ、13億でポスティングによりメジャー移籍かと騒がれた。2003年には岩田鉄五郎監督の負傷休養の間、やはり女性では初になる監督代行もつとめる。2005年の『野球狂の詩VS.ドカベン』では、『ドカベン』の主人公・山田太郎と日本シリーズで対決する。
[編集] 人物
女性、それも高校を卒業したばかりのうら若い美少女がプロ野球選手として活躍するという、ともすればただの夢物語ともなりかねない展開をリアリズムで描ききったところに水島の作劇の妙味がある。
高卒入団直後(1976年)は、かなりスリムな体型で、父親にも「(メッツが)客寄せ目当てならもっとボインの子を採るさ」などと軽口を言われるほど、痩せて弱々しいイメージであったが、平成編以降は胸などもふっくらと描かれるようになった。結婚後もそのスタイルの良さや美貌は変わらず、メッツの札幌移転後には、親会社である華生堂の化粧品イメージモデルにもなっている。
既婚者でいつの間にか結婚していた(苗字は「水原」のままである)。夫は未だ作中に登場せず、名前も年齢も顔も職業も結婚の馴れ初めも一切不明。水原が鉄五郎の頼みで最初に現役復帰する「野球狂の詩・平成編」1話(1997年:39歳)時点では、中学生(当時)の娘・茜がいる。彼女の生年(1958年早生まれ)から計算すると、20代前半に出産したことになる。
1977年には日活で映画化、1985年にはフジテレビの『月曜ドラマランド』でTVドラマ化され、それぞれ木之内みどり、斉藤由貴が演じた。
[編集] 年度別投手成績
| 年度 | チーム | 背 番 号 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
投 球 回 |
奪 三 振 |
防 御 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976年 | 東京メッツ 札幌華生堂メッツ |
1 | 15 | 1 | 3 | 11 | 9.1 | 11 | 5.79 |
| 1978年 | 登板機会無し ※ | ||||||||
| 1997年 | 91 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0.1 | 0 | 0.00 | |
| 1999年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0.1 | 1 | 0.00 | ||
| 2000年 | 2 | 0 | 12 | ||||||
| 2001年 | 0 | 0 | 1 | ||||||
| 2002年 | 0 | 0 | 5 | ||||||
| 2003年 | 1 | 0 | 9 | ||||||
| 2004年 | 0 | 0 | 0 | ||||||
| 2005年 | 3 | 2 | 32 | 1.23 | |||||
- ※投手としての登板機会は無かったが、1試合だけ打席に立っている(1-0)。
上記のデータは、豊福きこうによる「漫画で描かれたシーン及び言及された数字のみ」で計上された成績であり、最低がこの成績という意味である。つまり、1978年のシーズンは水原が投げる描写がなかった(メッツ戦で描写されたのが阪神との最終戦のみ。従ってその他のメッツの選手の成績もこの方式では全員0勝、打率.000となる)ためで、実際は登板機会なしというより不明とするべきかもしれない。
なお、作中では水原は1976年に少なくとも1勝を挙げている。0勝と豊福が指摘するのは、水島のミスで、野球ルール上で勝ち星にならないような条件で水原の初勝利エピソードを描いてしまったため。
[編集] その他
- 元々は、『野球狂の詩』がそれまでの不定期連載から週刊連載になったのを期に生まれた登場人物である。1978年8月10日に日本コロムビアから発売されたアニメ版のオリジナル・サウンドトラック盤(CQ-7012)の解説書に掲載されていた水島新司のコメントによれば、前々から女性プロ野球選手を描くことを考えていた水島が知り合いのプロ野球選手たちにこのアイデアを打ち明けてみたところ、反応はことごとく否定的で嘲笑の声すらあった。しかし、ただひとり野村克也だけが、「その投手にしかないボールがあれば、ワンポイントとしてなら通用するかもしれない」と語り、これがドリームボール誕生のきっかけになったという当時の裏話がある。映画では、南海ホークスとのオープン戦で「女の球を打っても自慢にならない」と鼻で笑っていた野村を三振に討ち取り、唸らせるというシーンがある。
- 作中での彼女の活躍をデータで検証した『水原勇気1勝3敗12S』(豊福きこう著、講談社文庫、ISBN 4062648474)という著作がある。元々は、1992年に『水原勇気0勝3敗11S』のタイトルで単行本で出版された本で、文庫化に当たって、加筆修正と改題が行われている。
- 1988年にゲームアーツが開発・発売したPC-88VA用野球ゲーム『プロ野球ファミリースタジアム ペナントレース版』では、オリエンツ(Oチーム、ロッテオリオンズがモデル)の先発投手陣に左投げの「みすはら」という水原勇気をモデルにしたと思われる投手が登録されているが、1989年発売の続編以降には登場しなくなった。なお、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)発売のファミスタシリーズ本編ではPCエンジン版『プロ野球ワールドスタジアム'91』やMSX2版『プロ野球ファミリースタジアム ペナントレース』、ファミコン版『ファミスタ'89 開幕版!!』に登場するオールドリームス及び『ファミスタ'90』『'91』に登場するアニメスターズ(オールドリームスの後継球団)にリリーフ投手として「ゆうき」の名前で登場している。
[編集] 注釈
- ^ かつて現実世界の野球協約第83条第1項に「医学上、男子でない者は支配下選手になれない」という条文があった。現在では削除されている。