水の江瀧子

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みずのえたきこ
水の江瀧子
水の江瀧子
1934年(昭和9年)、男役時代の水の江瀧子
本名 三浦ウメ→水の江滝子
別名 ターキー・タアキイ
生年月日 1915年2月20日
没年月日 2009年11月16日(満94歳没)
出生地 北海道小樽区(現・小樽市)花園町
国籍 日本
職業 女優映画プロデューサー

水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優映画プロデューサー水之江瀧子水ノ江瀧子とも。本名は三浦ウメであったが、後に水の江滝子に改名した。作家の三浦和義は甥。 同年代の女性としては長身であり、身長5尺5寸(162.5cm)であった。

目次

[編集] 生涯

北海道小樽区(現・小樽市)花園町に生まれ、幼時に東京へ転居する。1928年昭和3年)、東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第1期生として入団。

女性歌劇少女歌劇)の歴史において初の短髪の男役であり、そのたぐいまれな美貌で「男装の麗人」の異名をとる。「ターキー」「タアキイ」の愛称で親しまれ、日産自動車の小型車「ダットサン」のキャンペーンガール京成電鉄薬品部(現在廃止)発売の「京成シミトール」(胃腸薬)の宣伝者[1]に選ばれるなど、1930年代には国民的な人気を得て一世を風靡した。

1933年(昭和8年)、松竹少女歌劇部・松竹楽劇部で争議が起き、同年6月14日、満18歳の水の江は争議委員長に就任、少女部員230名は翌日から湯河原に立てこもった。この争議は「ターキー・ストライキ」、「桃色争議」と呼ばれ、松竹から一度解雇されるものの、世間の支持・同情は大きく、同年7月8日、争議団側の勝利を導いた。

第二次世界大戦中は、松竹少女歌劇団による「松竹女子挺身隊」の一員として、内外の兵士を慰問した。1942年(昭和17年)に松竹少女歌劇団を退団、1943年(昭和18年)から劇団たんぽぽを主宰する。

1952年(昭和27年)に、俳優鶴田浩二が興した新生プロに所属。しかし、愛人であり、自身と鶴田のマネージャーでもあった兼松廉吉1955年(昭和30年)に自殺鶴田浩二襲撃事件から2年後のことであった。

1953年(昭和28年)12月第4回NHK紅白歌合戦1957年(昭和32年)の第8回NHK紅白歌合戦で紅組司会を務めている。第8回はラジオの音声が現存する。テレビでは、NHKジェスチャー』、テレビ朝日独占!女の60分』のメイン司会、フジテレビオールスター家族対抗歌合戦』の審査員などが知られる。

自身の芸能活動と並行して、戦後は1955年から1970年(昭和45年)にかけて日活映画プロデューサーとなり、76本の映画を企画・制作。中平康蔵原惟繕などの新進気鋭の映画監督、石原裕次郎浅丘ルリ子和泉雅子らの新人をスカウトし、スター俳優として育てた。また、石原裕次郎を自身の邸宅に下宿させて撮影所に通わせたり、石原裕次郎の個人事務所「石原商事」(石原プロモーションの前身となった会社)を石原と共同経営していた。

舞台・映画テレビにわたる半世紀以上の芸能生活だったが、1983年(昭和58年)、松竹歌劇団のミュージカル『マイガール』のプロデュースを経て、1984年(昭和59年)に甥(実兄の子)の三浦和義が、保険金目的で妻を殺害した疑念が報道されたことによるいわゆる「ロス疑惑」で世間に騒がれ、水の江に対しても三浦が隠し子なのではないかとのいわれのない記事が10本以上も報道された[2][3]。このことを機に1989年芸能界を引退。三浦の父である兄とは絶縁し[4]、本名を水の江滝子に改名する。なお、三浦和義については水の江の実子であるとの風評があり、三浦自身も小学生時代はこの説を信じていたが、1985年には「水の江滝子の実子説というのはなんの根拠もありませんよ」とはっきり否定していた[5]

引退後は、神奈川県で生活し宝飾デザインをして生活をしていたが、1993年2月19日キャピトル東急ホテルで、森繁久彌を発起人(葬儀委員長)とする生前葬を華やかに行い、続けて翌日の78歳の誕生日に「復活祭」を行い関係者を驚かせた[4]。翌1994年(平成6年)、映画『女ざかり』(大林宣彦監督)への特別出演が最後の芸能活動になる。NHKラジオ第一「20世紀を生き抜いた女たち」に出演し半生を語った(1996年(平成8年)10月10日放送)。晩年は、乗馬の際の怪我で車椅子生活となり[4]、マスメディアの取材も受け付けず[3]、毎回楽しみにしていた松竹歌劇団OB会にも一切出席することなく、ほとんど隠居的な生活を送っていたという。

2009年(平成21年)11月16日、老衰により神奈川県内の自宅で94歳で死去[6]。尚、前述の生前葬を行っていた為、今回の死去に際して改めて芸能関係者向けのお別れの会を開催する意思はないとのことである。私生活では終生、独身を通していた(第二次世界大戦の時に求婚者がいたが、その男性が戦死したためと伝えられる[要出典])。

[編集] エピソード

  • 1953年の鶴田浩二襲撃事件に目の前で立ち合っている。
  • 1954年、長崎の「夜のプリンス」と呼ばれた長井末広(下関の合田の盃を下ろされた舎弟分。長井組組長)の殺害現場に偶然居合わせている(『九州やくざ者』より)。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

[編集] テレビ番組

[編集] CM

  • 京成電鉄薬品部 医薬品「京成シミトール」(胃腸薬、1930年代後半頃。現在は京成電鉄は医薬品事業より撤退)

[編集] 水の江を演じた女優

[編集] 文献

[編集] 自著

  • 1984年10月 『笑った 泣いた―ターキー放談』文園社、ISBN 4893360191
  • 1998年7月 『ターキーの気まぐれ日記』文園社、ISBN 489336121X
  • 2004年10月 『水の江瀧子「ひまわり婆っちゃま」』日本図書センター、ISBN 4820595830

[編集] その他

[編集] 脚注

  1. ^ 京成電鉄「京成電鉄85年の歩み」 1996年発行
  2. ^ 亀井淳『週刊誌の読み方』株式会社話の特集、1985年、pp.257-259
  3. ^ a b 「『隠し子』騒動の『水の江滝子』は今年93歳になった」『週刊新潮』2008年3月6日号
  4. ^ a b c 「水の江瀧子『生前葬』を済ませた明日」『週刊新潮』1993年3月25日号
  5. ^ 沢木耕太郎『馬車は走る』文春文庫1989年、p.304
  6. ^ 「男装の麗人」水の江滝子さん死去 産経ニュース 2009年11月21日

[編集] 関連項目


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