民主党 (日本 1998-)

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日本の旗 日本の政党
民主党
Democratic Party of Japan(DPJ)
Headquarters of the Democratic Party of Japan (2009.09 2).jpg
民主党本部が入居する三宅坂ビル[1]の外観
代表 野田佳彦
副代表 山岡賢次
北澤俊美
直嶋正行
田中慶秋
幹事長 輿石東
参議院議員会長 輿石東
成立年月日 1998年(平成10年)4月27日
法規上は1996年9月17日から存続
本部所在地
〒100-0014
東京都千代田区永田町
一丁目11番1号三宅坂ビル
北緯35度40分44.2秒 東経139度44分34.7秒 / 北緯35.678944度 東経139.742972度 / 35.678944; 139.742972
衆議院議席数
302 / 480
(63%)
参議院議席数
106 / 242
(44%)
党員・党友数
党員:350,554人
総務省政治資金収支報告書より[2]
2010年平成22年)12月31日
政治的思想・立場 民主中道
中道左派概要参照)
社会民主主義
民主社会主義
社会自由主義
第三の道
自由主義
機関紙 プレス民主
政党交付金
168億2,588万6,000 円
公式サイト 民主党 web-site
シンボル 民主党ロゴマーク
国際組織 民主主義者連盟
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民主党(みんしゅとう、英語: Democratic Party of Japan、"DPJ")は、日本政党。略称は「民主」。民国連立政権政権与党であり、衆議院参議院の両方において第1会派を形成している。

キャッチコピーは、小沢一郎が考案した「国民の生活が第一。」と菅直人が考案した「元気な日本を復活させる。

目次

概要

1998年4月院内会派民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党民政党新党友愛民主改革連合が合流して結成された。法規上では、1998年に旧民主党が各党を吸収したという形をとっており、1996年結成の旧民主党が存続ということになっている。

結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた[3]

保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられることが多い[4]。しかし、結党の経緯により主に自民党の流れを汲む保守本流保守左派の議員や旧民社党系の反共色の強い議員も一定数存在しており、このため左派政党と位置付けられることに否定的な党員や支持者も存在する。

なお、2001年に党内左派から社会主義インターナショナルに加盟すべきという提案がなされたこともあるが、当時の代表である鳩山由紀夫は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した経緯がある[5]

自民党は1955年の結党以来、国政選挙の選挙区の公認候補の当選を47都道府県全てで経験しているが、民主党は1998年の結党以来、いまだ福井県島根県宮崎県の3県で国政候補の当選を果たせていない。

衆参の選挙区で同党が独占している都道府県は現在では岩手県山梨県滋賀県の3県だけである。

党史

結党の背景

1980年代の後半からリクルート事件などを契機として政治とカネのあり方が問われ始めると、小沢一郎後藤田正晴らを中心に自民党内の一部で小選挙区制政党交付金の導入を主張する政治改革の機運が高まっていった。これには政権交代可能な二大政党制を実現させ、中選挙区制によって馴れ合いに陥っていた(小沢談)55年体制を打破するという目的があった[6]

小選挙区制への移行は短期的には最大政党の自民党に有利なものであったため、野党は一斉にこれに反発する。一方で自民党内でも、将来的に政権から転落する可能性が高まることや特定団体からの組織支援効果が薄まることなどから反対論が相次ぎ、海部内閣では政治改革四法は廃案に追い込まれた。

1993年宮澤内閣でも法案が否決されるに至って党内の対立は決定的となり、小沢一郎、羽田孜鳩山由紀夫岡田克也ら改革推進派は内閣不信任案に賛成票を投じて自民党を離党する。宮澤喜一首相は衆議院の解散を選択して第40回衆議院議員総選挙に踏み切るも、自民党は政権から転落。この選挙では枝野幸男前原誠司野田佳彦小沢鋭仁ら、後に民主党の主要メンバーとなる議員が政治改革を訴えて新党から多数初当選を果たしている。

この選挙の結果、小沢、羽田らは、8党派連立による非自民・非共産連立政権を樹立、政治改革四法を成立させた。しかしその後は政党間による対立が表面化し、約一年ほどでこの連立政権は崩壊した。

1994年、小沢や羽田、岡田らは新進党を、鳩山、菅直人らは新党さきがけを結党する。この二つの政党に社民党右派議員を加えたものが、現在の民主党のおおまかな源流となる。

結党、黎明期

1996年9月、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫菅直人らと社民党の右派議員、ほか鳩山邦夫らが集い、「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」を標榜して旧民主党を結党。両院合わせて57名での船出であった。翌月に控えていた第41回衆議院議員総選挙を横ばいの議席で乗り切り、翌1997年には菅直人が党代表に、鳩山由紀夫が幹事長にそれぞれ就任して党の体制が整えられた。

一方の新進党は同じ総選挙で政権獲得はおろか議席を減らすという敗北を喫していた。党の求心力は急激に衰え、1997年12月、党の再生が困難だと判断した小沢は、新進党の解党を宣言する。自民党に復党、合流する議員が更に多数出る中、小沢を中心とする自由党にも公明党にも与しない形で野党に留まる勢力があった。

旧民主党はこれら民政党新党友愛民主改革連合と1998年1月に院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成し、合流に向けた協議を進める。旧民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫らが基本理念をまとめる協議にあたり、合意に至る[7]。4月27日、ここに現在の民主党が誕生した。手続上は他政党が解散し、民主党に合流した形となった。

新民主党は、「行政改革」「地方分権」「政権交代」を掲げ、自民党に代わる政権政党となること、二大政党時代を作り上げることを目指すとした。「生活者」「納税者」「消費者」の代表という立ち位置、「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念の否定などを結党時の基本理念に掲げている。

この年の参院選では、大型公共事業の抜本的見直しや地方分権の推進などを訴え、10議席増の27議席を獲得する。しかし、当時衆議院で単独過半数の回復に成功していた自民党と比して、この頃の民主党を二大政党の一角と見る動きはまだ少なく、あくまでも最大野党という位置付けが一般的であった。

1999年9月、代表選挙で菅直人を破った鳩山由紀夫が代表に就任する。

党勢拡大、二大政党へ

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で、定数削減があったにも関わらず改選前の95議席を大きく上回る127議席を獲得、二大政党時代の到来を宣言する。とは言え、自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。この選挙では、現行消費税の年金目的税化、扶養控除の廃止と児童手当の金額倍増などが公約に盛り込まれた。

2001年4月、小泉政権が公共事業改革や分権改革を推し進める聖域なき構造改革を掲げて発足する。これらの改革は民主党の政策と共通するものを含んでいたため、鳩山は小泉に対し「協力することもやぶさかではない」という姿勢も見せ始めるようになる[8]。以後、小沢が代表に就任する2006年までは、改革の速度や手法を競う「対案路線」で与党と対峙することになる。

7月の参院選では小泉旋風の前に4議席増の26議席獲得に留まる。選挙公約には、道路特定財源の一般財源化、天下り禁止法の制定、全てのダム建設の一時凍結などが新たに盛り込まれた。

翌2002年9月、鳩山は代表に再選されるがこれに関連して中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招き、自由党との統一会派構想の責任を取る形で12月には辞任に追い込まれた。同月、岡田克也を破った菅直人が代表に返り咲く。

2003年9月、来る総選挙を前に執行部が自由党との合併に踏み切ることを正式に決断する。枝野幸男らをはじめ強硬に反対を唱える声もあったものの、役員、要綱、党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で決着を見せた。この民由合併により民主党は両院合わせて204人(衆議院137、参議院67)を擁するまでに党勢を拡大させた。

11月、日本初のマニフェスト選挙となった第43回総選挙では、改選前を40議席上回る177議席を獲得、大きく躍進する。比例区の得票数では自民党を上回った。高速道路の原則無料化、年金制度の一元化、衆議院の定数80削減などがこの選挙から新たに政権公約に加えられた。

2004年、年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」において菅直人の納付記録に未納期間があることが判明し、代表辞任へと追い込まれる。(後にこれは社会保険庁職員の怠慢による手続きミスであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪している。)菅の後継にいったんは小沢一郎が内定するが、小沢にも年金未納が発覚し、出馬辞退に追い込まれた。

5月、新代表に若手の筆頭格であった岡田克也を無投票で選出。間を置かず7月の参議院選挙を迎えた。発足間もない新体制に一部不安視する声もあったが、50議席を獲得し、国政選挙において初めて自民党(49議席)に勝利を収めた。

この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。

郵政選挙の大敗、出直し

2005年8月、小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。

郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。

しかし、「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没していく。結局、改選前を大きく下回る113議席という結果に終わり、岡田民主党は歴史的大敗を喫した。岡田は即日代表辞任の意向を表明する。

党代表後継には菅直人前原誠司が名乗りを上げる。当初は菅有利と見られていたものの、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手する。耐震偽装問題馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。

しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれる。これにより、民主党は解党の噂すら実しやかに囁かれる、危機的な状況に陥った。

小沢体制、政策の転換

4月、小沢一郎菅直人を破り、新代表に就任する。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。

小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当ての増額、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策を打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通し[9]が立てられたのもこの時期である。

地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参議院議員通常選挙でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党の逆転を果たした。

小沢は参議院での多数を武器に与党に激しく抵抗する「対立軸路線」を敷き、政権を追い込む戦術を選択した。しかし11月、小沢はねじれ国会の運営に行き詰った福田康夫首相に大連立構想を提案する。しかし予てから「健全な二大政党制」を望んでいた民主党役員会では小沢を除く全ての議員がこれに反対、世論も同様の反応を示した。連立協議の仲介役を担った渡邉恒雄によれば、大連立構想を巡る小沢の狙いは消費税引き上げと憲法改正にあったという[10]。その後、民主党は2008年のガソリン国会などで抵抗を続け、ねじれ国会を有利に戦いを進める。この頃には首都圏の政党支持率では自民党を圧倒するようになる。

ところが2009年3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書逮捕起訴され、党内外に激震が走る。事件を機に支持率は軒並み下降し、迫る総選挙への影響を避けるためとして5月、小沢は代表を辞任した。

次期総理候補を決める代表選挙として大きな注目を集める中、小沢に近い議員らが推す鳩山由紀夫と、世論の後押しを受けた岡田克也が争った。消費税率見直しは4年間議論もしないとした鳩山と、議論は行うべきだとした岡田であったが、参議院票の取り込みで優勢に立った鳩山が接戦を制した。初めて表面化した親小沢と非小沢との対立構図であったが、選挙後は岡田が幹事長職を引き受けるなど、このときはまだ選挙後の融和が図れる比較的穏やかなものであった。

7月12日、総選挙の前哨戦とも位置付けられた東京都議会議員選挙で第1党に躍り出る[11]。島部を除く全ての選挙区で民主系の候補者が1位当選を確保するなど、地滑り的大勝を飾った。

翌13日、麻生太郎首相が衆議院を解散する意向を表明。この月、NHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転する。

政権交代、鳩山政権の挫折

第45回衆議院議員総選挙の開票速報を聞く民主党幹部ら

2009年7月21日、衆議院が解散され、事実上の任期満了選挙に突入する。鳩山由紀夫はこの総選挙を「政権交代選挙」と銘打ち、連立を見据える社民党国民新党と合わせて過半数の議席確保を目指した。マニフェストには、前回の参院選で訴えた内容とほぼ変わらぬ政策が盛り込まれた。各種世論調査では終始民主党の圧倒的優勢が伝えられた。

結果、絶対安定多数を超える308議席を確保して、結党以来の悲願であった政権交代をついに実現する。308議席は、一つの党が獲得した議席数としては過去最多であった。また比例区の得票も2984万票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。

第172回国会鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党国民新党との連立政権が誕生する。党幹事長小沢一郎内閣官房長官には平野博文が起用された。

鳩山内閣は当初、70%を超す高い支持率を得てスタートした。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に小沢幹事長と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。「政治とカネ」を巡る不信に加え、鳩山よりも小沢に実質的な権力が集中する「二重権力構造」や、選挙支援と引き換えに予算配分を行う小沢の政治手法などが党内外で問題視されるようになると、内閣支持率は一転、下降の一途を辿ることとなる。

そんな中、行政の無駄をあぶりだすことを目的に事業仕分けが行われ、これが世論から概ね好意的な評価を受ける。しかし子ども手当などの新たな歳出や、不況による税収落ち込みもあって平成22年度予算では過去最大となる44兆円の国債発行をするに至った。

2010年1月、くすぶり続けていた政治資金収支報告書の虚偽記載問題で、石川知裕衆議院議員を含む小沢一郎の公設秘書と元秘書ら3人が逮捕される。3月には小林千代美衆議院議員の選対関係者2人も政治資金規正法違反で起訴され、民主党は厳しい批判を浴びることとなった。特に小沢に対しては幹事長、又は国会議員の辞職を求める声が世論の8割を超えるまでに高まっていた。

同時期、並行して深刻な問題となり始めていたのが、アメリカ軍の普天間基地代替施設移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう(この際、あくまで県外移設を求める社民党が連立を離脱する。)。

不祥事と失政が続く鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。

菅政権、党内対立の激化

後継の代表選挙は、まず小沢の影響力排除を目指す菅直人がいち早く出馬を決め、小沢と距離を置く議員から支持を受ける。これに対し党内最大勢力を誇る小沢グループは中立派として出馬した樽床伸二を支持した。6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝した。この代表選では小沢の処遇を巡って党を二分する激しい攻防が繰り広げられ、党内には深刻な対立が残ることとなった。

菅内閣は発足にあたり、党幹事長枝野幸男内閣官房長官仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据えた。政策面では「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を打ち出し、財政再建と雇用創出を最大の国家的課題とする方針を表明。併せて消費税率見直し議論の提起、経済効果の薄い一部マニフェストの修正に着手するなど、鳩山内閣の政策方針からは大きな転換を図った。発足当初、60%を超える内閣支持率を記録する。[12]

しかし、2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙では現有の54議席に届かず44議席獲得に留まり、参議院で過半数を失うねじれ状態に陥った。小沢グループは参院選敗北の責任は選挙前に消費税議論を提起した菅にあるとし、総理退陣や枝野幹事長の更迭を迫る。しかし国民の7割超は菅の続投を支持し[13]、これを背景に菅も応じる姿勢を見せなかった。

こうした中で迎えた9月の代表選挙に小沢が出馬する。小沢による事実上の倒閣宣言であった。財政再建とマニフェスト一部修正を目指す菅陣営には菅、前原、野田の各グループに加え岡田克也が、消費税議論封印とマニフェスト堅持を掲げる小沢陣営には小沢、鳩山、羽田、樽床の各グループが参集し、結党以来最も深刻な党内抗争が始まる。新聞主要四紙が揃って小沢と鳩山を批判し、世論調査でも菅支持が小沢支持の4倍超を記録するなど、戦いは次第に菅優勢へと傾いていく。9月14日、地方議員票と党員・サポーター票で大差を付けた菅が圧勝で再選を果たす。幹事長には外務大臣から転じた岡田克也が再登板となり、閣僚からは小沢グループの議員は一掃された。この戦いにより党内の亀裂は更に深刻化することとなった。

2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。ほどなく尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡り仙谷由人内閣官房長官を辞任に追い込まれるなど政局は混乱、その矢先の3月11日には東日本大震災が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われることとなる。

6月1日、「菅首相では災害復旧と復興、原発事故の処理に対応できない」との理由[14]で自民党などが提出する内閣不信任決議案に対し、小沢に近い50人余りの議員が同調する意向を示した[15]が、翌2日の採決前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことで小沢派は自主投票となり[16]、不信任案は否決された。菅はその後、福島第一原発事故の対応にメドがつくまで続投する意欲を示した[17]が、仙谷由人官房副長官ら党執行部内からも菅への退陣要求が出始めた[18]

8月26日に菅が退陣を正式に表明し[19]29日に民主党代表選が行われることとなり、野田佳彦海江田万里前原誠司鹿野道彦馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった[20]。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された[21]

野田政権、消費増税と党分裂

第9代党代表に選出された野田は、2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は代表選挙当時から消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして党内外から反対意見が噴出した。

菅内閣の不信任案に賛成し、首相指名選挙で海江田万里を支持した松木謙公は著書の中で年内の新党大地への入党を示唆していたが、最終的に横峯良郎が一身上の都合により民主党から離党したため、横峯と新党大地の党員を中心に、松木などと新党大地・真民主を結党した[22]。さらに、民主党から離党した内山晃ら9人の衆院議員が新党きづなを結成。また、八ッ場ダム建設問題でも前原系の中島政希が離党した。このほか、先の菅内閣不信任案で造反し除名された松木謙公と横粂勝仁をあわせ、2011年の間だけでも民主党は13人の議員を失うことになり、党分裂の様相を見せた。

2012年に入り野田は消費税増税を断行しようと内閣改造を行った(野田改造内閣)。

略年表

政策

公式HPに掲載されている1998年の第一回党大会決定[24]によれば、民主党の基本理念(民主中道)には、

  • 透明・公平・公正なルールにもとづく社会をめざします。
  • 経済社会においては市場原理を徹底する一方で、あらゆる人々に安心・安全を保障し、公平な機会の均等を保障する、共生社会の実現をめざします。
  • 中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」との視点で分権社会へ再構築し、共同参画社会をめざします。
  • 「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という憲法の基本精神をさらに具現化します。
  • 地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざします。

以上のように定める文章がある。菅内閣以降は、鳩山・小沢体制で確立した積極財政福祉国家路線から、財政再建重視・市場原理主義の一部容認へと回帰する傾向が強くなってきた。

民主党には党綱領が無いことがしばしば指摘されるが、この基本理念が、綱領の位置にあるという見方をする議員もいる(野田佳彦内閣総理大臣・党代表もこのような見解)。

戦後補償問題

民主党の「政策集INDEX 2009」は、冒頭で「戦後諸課題への取り組み」を記載し、国立国会図書館に恒久平和調査局を設置するための国立国会図書館法改正や、従軍慰安婦だと名乗り出た外国人に日本国が謝罪と金銭の支給を行う戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案の成立を目標として掲げている[25]

福祉・医療

  • 野党時代は障害者自立支援法による福祉サービスの負担増が障害者の自立を妨げているとして廃止をマニフェストに掲げていたが、与党になると、民主党は自民党・公明党と同法案を継続することで合意し、2010年11月17日、障害者自立支援法一部改正案を衆議院厚生労働委員会で可決した。なお、野党時代は障害当事者を参画させた機関を設置して「障がい者総合福祉法(仮称)」を制定し、能力に応じた負担額に見直すことや、中小企業を含めた雇用の促進に取り組むとしていた。
  • 自公政権が「骨太の方針2006」で打ち出した社会保障費削減方針(年2200億円、5年間で1兆1000億円)を撤廃した。この結果、社会保障費は毎年1.3兆円の自然増となり、2015年には先進国最悪となる債務残高(1000兆円)を突破する見通しである[26]
  • 福田康夫内閣で成立した後期高齢者医療制度に対しては、『高齢者いじめ法』と非難し、国会での審議拒否、後期高齢者医療制度廃止法案の提出や憲政史上初となる内閣総理大臣への問責決議の提出など、徹底した反対運動を展開したが、民主党が与党となると制度は継続された。
  • 2013年までに介護労働者の賃金を月4万円程度引き上げ、介護事業者に対する介護報酬も7%加算することを目指している。

年金

  • 年金制度を一元化し、全ての職業の人が「所得が同じなら、同じ保険料の負担」となる仕組みに改めるとしている。この制度の給付は「所得比例年金」と「最低保障年金」の二階建てから成る。
  • 「所得比例年金」は、所得から徴収される保険料を財源とし、職業を問わず納めた保険料に応じて給付額が決定される。制度の『二階部分』にあたる。会社員は負担・給付額共にほぼ変わらず、公務員は給付額が下がる。自営業者は負担・給付額共に増える。
  • 「最低保障年金」は、どんな低所得者であっても最低7万円の年金を受給できるようにするものである。制度の『一階部分』にあたる。ただし、「所得比例年金」の給付水準が高い高額所得者へは減額、又は支給されない。制度導入前(~2013年)に年金未納だった者もその分だけ減額される。
  • 「最低保障年金」の財源には消費税5%分が充てられる。そのため、2033年~53年までに年金目的の消費税を段階的に引き上げる必要があるとしている。
  • 年金保険料は年金給付以外に使わず、事務費や広報費に費やされてきた年間約2000億円の経費は圧縮した上で国庫負担とすることにしている。
  • 「消えた年金」「消された年金」問題を早期に解決するため、2009年から約2000億円を投入して2年間集中的に取り組むとしている。

少子化対策

  • 高額所得者に有利であるとされる扶養控除を2011年に廃止し、同年から中学卒業までの子供1人当たりに年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を直接給付することを決定している(2010年度は半額にて実施)。
  • 出産一時金の給付額を42万円から55万円に増額する方針である。
  • 不妊治療への医療保険適用を検討し、支援拡充を打ち出している。
  • 公立高校の授業料を無料化し、私立高校生にも授業料を補助(年12万~24万円程度)する制度を2010年度から開始させる。
  • 保育所に入所できないいわゆる待機児童の解消に向け、認可保育所の増設と共に、小中学校の空き教室の活用した施設の拡充や保育ママ制度の積極活用などを推進するとしている。

予算の見直し

  • マニフェストで示された各種政策を実行するために、事業の効率化や歳出削減を断行して2013年度には16.8兆円の財源を生み出すとしている。
  • 不要不急の公共事業やハコモノ建設の凍結・廃止を表明し、政権発足後直ちに国土交通省が実行に移している。
  • 高速道路を原則として無料化する。交通・流通コスト軽減による内需拡大や、渋滞の解消による地球温暖化対策などの効果を見込んでいる。

行政刷新・地域主権

  • 首相直属の「国家戦略局」(実際は、国家戦略室)を創設、各省の縦割りを排除して政治主導で予算の骨格を作る(野田内閣では、「国家戦略会議」を設置、国家戦略室を事務局としている)。
  • 各大臣の連携を強め、政治主導の政策決定を行うための「閣僚委員会」、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、国会議員100人近くを行政に送り込むなどして、官僚依存政治からの脱却を図っている。
  • ひも付きの補助金を廃止し、およそ18兆円の税源を地方に移譲して地域主権社会の確立を進めるとしている。
  • 国直轄事業に対する地方負担金制度が、国と地方との主従関係を築いているとしてこれを廃止し、従来負担金に充てていた財源を地方の自由な意思で使用できるように改めるとしている。
  • 国家公務員の天下りや、中央省庁による再就職の斡旋を禁止し、官製談合や随意契約の原因を根絶するとしている。
  • 独立行政法人が非効率な事業運営によって税金を無駄に使っているとして、一つ一つ精査した上で廃止か、民営化又は国直轄として存続させるかを決めるとしている。天下り受け入れの見返りに業務を独占するなど、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人は廃止することにしている。

財政・税制

  • 鳩山由紀夫内閣における平成22年度一般会計総額は過去最高の92兆2992億円[27][28]菅内閣における平成23年度一般会計は92兆4116億円[29]
  • 政権交代前は、将来的にも消費税を財政赤字の穴埋めには使わないと明記していた。しかし、菅政権や野田政権になってからは消費税の引き上げによる財政再建を明確に主張するようになった。
  • 社会保険庁を廃止・解体し、業務を国税庁に吸収させて歳入庁を設置し、年金保険料の無駄遣いを無くすとしている。社会保険庁を解体したところまでは実現したが、自民党政権の時代、主に自民党が日本年金機構を設置する事を主張していた。そのため政権交代後、民主党政権となりマニフェストでは歳入庁を設置するとしていたが、結局、自民党の主張した日本年金機構が2010年1月1日に設置された[30]
  • 2012年以降の消費税引き上げを否定していない。民主党の当初の案では2013年に8%としていたが、2014年4月に8%、2015年10月に10%まで消費税を増税する修正案を民主党内では容認した[31]
  • 中小企業の法人税率を一時的に11%に引き下げるとしている。
  • 相続税・贈与税の引き上げを検討している。
  • 酒税・たばこ税の引き上げを検討している。
  • 野党時は、ガソリンの暫定税率廃止を主張していた(与党になると、税収確保のため廃止に慎重。鳩山内閣時、リッターあたり150円を超えた場合は暫定税率分を値引きする「トリガー条項」が定められたが、震災復興財源捻出のため、トリガー条項は廃止)。

外交・安全保障

外国人参政権

選挙・政治

  • 企業・団体献金を全面禁止し、税額控除やインターネット献金の推進によって個人献金を普及させるとしている。
  • 現職の国会議員の配偶者および三親等内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを民主党の内規で禁止している。
  • 一票の格差(較差)是正のため、衆議院の小選挙区を全て人口比例で振り分けるとしている。同様に参議院でも格差是正を図るとしている。
  • 資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入などにより、政治倫理を確立するなどを基本政策に掲げている[32]
  • 衆議院の比例定数を80議席削減するとしているが、かつて連立を組んでいた社民党やそのほかの小政党が反対の姿勢を明らかにしており、政権としての最終的な結論は出されていない。また参議院においても、衆議院に準じて定数を削減するとの方針を打ち出している。
  • 選挙権の年齢を18歳に引き下げる方針を固めている。
  • 2006年に与党の反対で否決された「インターネット選挙運動解禁法案」を成立させ、政策本位の選挙・カネのかからない選挙の実現を図るとしている。
  • 地域からの陳情については、民主党都道府県連で聞き、党本部幹事長室を通じて、関係各省庁に伝えられる仕組みを作った[41]吉田治副幹事長は、地方県知事からの道路建設などの陳情受け付けの条件として「民主党を選挙で応援すること」を挙げた[42]
  • 2009年9月18日、民主党は政府・与党一元化のため、議員立法を禁止し、政府提出法案を原則とすることを決めたが、議員立法を禁止するまでには至っていない。

子供・男女共同参画

  • 婚外子(非摘出子)の相続差別をなくす。
  • 選択的夫婦別姓の早期実現に向けて法案成立の準備を進めている。
  • 「離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と推定する」「推定を覆す申し立ては前夫からしか起こせない」とした現行制度により「戸籍のない子」問題が生じている現実を踏まえ、事実上離婚状態にあった期間を勘案して本当の父親を認定できるよう法改正するとしている。

その他

  • 労働政策では格差是正緊急措置法案により、欧米並みの最低賃金全国平均1,000円を目指している。
  • 製造業の派遣労働を原則禁止とし、専門業務(高い給与水準)の労働派遣に限って認める方向で労働者派遣法の改正を行う。また、違法な派遣が行われた場合は、派遣労働者が直接雇用を通告できるようにするとしている。
  • 農業政策では、戸別所得補償制度を掲げ、現在の農業協同組合への支援を中心とした政策を改めることを目指している。
  • 警察の取り調べの可視化や証拠開示義務を法制化し、冤罪の防止を図るとしている。
  • 性同一性障害者の性別変更について、未成年の子供がいてもこれを認めるように法制を見直すとしている。
  • 先進国中最も冷たいとされる日本の難民受け入れ状況を改善するため、「難民等の保護に関する法律」を制定し、国連難民高等弁務官事務所が認定した難民は原則として受け入れる方針を打ち出している。

党内対立

民主党は自民党と同じく、社会民主主義民主社会主義保守主義新自由主義などの幾つかの政治的思想の異なる政党の連合によって成立した為、全体の合意は存在するが、個別政策によっては対立がしばしば生じる。

また民由合併以降、小沢一郎を支持するグループと、小沢に批判的なグループとの対立が根強く存在する。そのため、綱領を制定しようとしても、議論が前に進みにくい。

具体例

  • 野党時代には、小沢一郎を中心とする「対立軸路線与党に反対的な立場を取り、違いを明確にする)」を主張するグループと、前原誠司を中心とする「対案路線(小泉構造改革の方向性に同調し、改革の速度や手法を競う)」を主張するグループの対立がしばしば指摘された。
  • 菅政権発足以降、前原野田グループに岡田克也を加えた反小沢派と小沢鳩山グループの親小沢派の対立が激化している。反小沢派は財源不足やねじれ国会などに応じてマニフェストを柔軟に修正していくべきであると主張しているのに対し、小沢らは小沢・鳩山代表時代のマニフェストの堅持を訴えている[43]
  • 2006年10月、北朝鮮核実験を行った後の朝鮮半島情勢は「周辺事態法」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢一郎代表(当時)ら執行部の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の右派から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表したため、有事に対する対応の不一致が浮き彫りになった。
  • 2008年10月、長島昭久が衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を麻生太郎首相に提案。麻生首相が賛意を示す一方で、直嶋正行政調会長からは自衛隊の海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
  • 戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を積極的に国会に提出するとともに慰安婦(日本人女性のみ除外)に戦時性的強制被害者と新たな呼称を付すなど共産党社民党と積極的に共闘する一方で、法案と反対の見解をとり、自民党右派と呼応する議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」と対立している。
  • 鳩山由紀夫岡田克也をはじめとする主流派が所属する「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が永住外国人への参政権を付与する活動を行っているが、反対の見解をとる議員連盟「永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会」と対立している。
  • 同党所属の土屋敬之東京都議会議員は、民主党が政策集に明記している永住外国人への地方参政権付与選択制夫婦別姓制度、実子と婚外子の相続平等化などについて、「マニフェストにも正直に明記して国民の信を問うべき」と主張し、同党の衆院選マニフェストを「(耐震)偽装マンションのパンフレット」などと揶揄した。民主党東京都連は「党の決定に背く行為」があったとして土屋を党から除籍した[44]

党内派閥

組織

党員・サポーター

党員サポーター制度は2000年の党大会で導入された。民主党議員にはサポーターを集めるノルマが課せられており、達成できない者には党本部から厳重注意を受ける仕組みになっている[45]。なお、党員・サポーターは2002年の民主党代表選挙では一時的に1000円を支払えば誰でもサポーター登録が出来て投票することができたが、2004年からは5月末時点の登録者が9月の民主党代表選挙に郵便で投票できるようになった。

党員資格は「民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の日本国民」となっている。かつては在日外国人でもなることができたが、2012年の党規約改正によりに日本国民に限定することとなった。なお、党員は民主党代表選挙に投票することが出来る。党費は年間6千円、有効期間は1年となっており、民主党の機関紙である「プレス民主」が送られてくる。

サポーター資格は「民主党を支援したい18歳以上の人間」であれば海外に在住する日本人でも、在日外国人でもなることができる。ただし、2012年の党規約改正により外国人サポーターは民主党代表選挙に投票することが出来無くなった。会費は、年間2千円で有効期間は1年となっている。

党員・サポーターの人数は合わせて、2004年度は約11万人[46]、2005年度は約15万7000人[46]、2006年度は約24万4000人[46]、2007年度は約20万1000人[46]、2008年度は約26万9000人、2009年度は約26万3700人、2010年度は34万2493人[47]という推移となっている。

学生組織

青年局学生部 (CDS) が存在する。

本部

2009年12月現在の民主党本部は、永田町1丁目11番1号三宅坂ビルの一部を間借している。2009年衆院選において308議席を獲得し、衆参両院で417名の大所帯になったこと、政権与党になったことから来客が多くなり、党本部の手狭さが大きな悩みとなっている[1]

内規

民主党は2009年衆院選以降、世襲政治家制限の一環として内規において選挙区の候補について配偶者および三親等内の親族が当該議員と同一選挙区から連続立候補をする場合は新規に国政参入する新人については公認候補としないことを決めた。なお、民主党は2009年衆院選で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区選出の衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白があるため、民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば同一選挙区からの一等親の親族の立候補を認めている。

国会議員の公設秘書に配偶者を新規採用することは2004年に法律で禁じられたが、民主党では透明性確保に向けた取り組みをアピールするため、「三親等以内の親族」を公設秘書に採用することを禁止した内規を設けている。2009年衆院選の結果多くの新人議員が誕生したことにより、2009年9月15日に内規を「一親等以内の親族」に緩和することを決定した。

与党3党での取り決めで民主党所属の国会議員の海外公務のファーストクラス利用を禁止している。

役職

歴代代表(党首)

次の内閣

歴代執行部役員

閣僚経験者

党役員

  • 2012年1月25日より
最高顧問 羽田孜 鳩山由紀夫 菅直人
渡部恒三 江田五月 藤井裕久
岡田克也  
代表 野田佳彦  
副代表 山岡賢次 北澤俊美 直嶋正行
田中慶秋  
幹事長 輿石東  
幹事長代行 樽床伸二  
幹事長代理 鈴木克昌  
筆頭副幹事長 松井孝治  
総括副幹事長 阿久津幸彦 樋高剛 逢坂誠二
副幹事長 大谷信盛 高井美穂 古賀敬章
柚木道義 宮島大典 大島九州男
行田邦子 大久保潔重 米長晴信
中谷智司 平山幸司  
参議院幹事長 一川保夫  
政策調査会長 前原誠司  
政策調査会長代行 仙谷由人  
政策調査会長代理 三井辨雄 桜井充  
政策調査筆頭副会長 大島敦  
政策調査副会長 長妻昭 田嶋要 辻元清美
吉良州司 菊田真紀子 田村謙治
横山北斗 小川淳也 階猛
松崎哲久 郡司彰 鈴木寛
大久保勉 松野信夫 加賀谷健
中村哲治 金子恵美  
国会対策委員長 城島光力  
国会対策委員長代理 松本剛明 加藤公一  
国会対策筆頭副委員長 三日月大造  
国会対策副委員長 松野頼久 山井和則 西村智奈美
長安豊 松本大輔 泉健太
参議院国会対策委員長 羽田雄一郎  
選挙対策委員長 高木義明  
選挙対策委員長代理 山花郁夫 広田一  
総務委員長 平岡秀夫  
総務委員長代理 辻恵  
総務副委員長・国際担当 加藤学 相原史乃 ツルネンマルテイ
白眞勲 田中美絵子 福田衣里子
総務副委員長・調査担当 笠原多見子  
財務委員長 武正公一  
財務委員長代理 笹木竜三  
組織委員長 古本伸一郎  
組織委員長代理 梶原康弘 那谷屋正義  
組織副委員長 藤谷光信 水戸将史 風間直樹
松浦大悟 吉川沙織 友近聡朗
外山斎 斎藤嘉隆  
広報委員長 広野允士  
広報委員長代理 米長晴信  
広報副委員長 玉城デニー 中林美恵子 岡本英子
空本誠喜 高橋昭一 福嶋健一郎
大山昌宏 三宅雪子 石原洋三郎
牧山弘恵 有田芳生 谷亮子
姫井由美子 金子洋一 田城郁
企業団体対策委員長 池口修次  
企業団体対策委員長代理 小宮山泰子 若井康彦 轟木利治
梅村聡 徳永久志 舟山康江
企業団体対策副委員長 山崎摩耶 水野智彦 大西孝典
岸本周平 石井章 金子健一
木内孝胤 木村剛司 大西健介
国民運動委員長 近藤洋介  
国民運動委員長代理 津村啓介 林久美子 市村浩一郎
国民運動副委員長 江端貴子 矢崎公二 山崎誠
本村賢太郎 稲富修二 森山浩行
岡田康裕 小山展弘 藤田大助
柴橋正直 大河原雅子 小西洋之
常任幹事 北海道 小川勝也 東北 田名部匡代
北関東 大島敦 南関東 生方幸夫
東京 長妻昭 北陸信越 村井宗明
東海 芝博一 近畿 田島一成
中国 川上義博 四国 友近聡朗
九州 川内博史  
常任幹事会議長 中野寛成  
両院議員総会長 直嶋正行  
参議院議員会長 輿石東  
代議士会長 細川律夫  
中央代表選挙管理委員長 柳田稔  
中央代表選挙管理委員 若泉征三 稲見哲男 中根康浩
村越祐民 藤原良信 難波奨二
会計監査 沓掛哲男 高橋千秋  
倫理委員長 北澤俊美  
倫理委員 細川律夫 中川治 橋本清仁
樋口俊一 松野信夫 佐藤公治
党外倫理委員 五百蔵洋一  

民主党・新緑風会参議院)常任役員

  • 2012年1月25日より
会長 輿石東  
副会長 柳田稔 高橋千秋 藤原正司
幹事長 一川保夫  
幹事長代理 松井孝治 谷岡郁子  
国会対策委員長 羽田雄一郎  
国会対策委員長代理 川崎稔 武内則男  
議院運営委員会理事 榛葉賀津也 川崎稔 川合孝典
予算委員会理事 川上義博 武内則男  
政策審議会長 桜井充  
政策審議会長代理 中村哲治 金子恵美  
会計監査 郡司彰 広野允士  

党勢の推移

衆議院

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 98/- 511
第42回総選挙 ○127/262 480 追加公認+2
第43回総選挙 ○177/277 480 追加公認+3
第44回総選挙 ●113/299 480  
第45回総選挙 ○308/330 480  

参議院

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
(結党時) 38/- - 252  
第18回通常選挙 ○27/48 20 252 追加公認+7
第19回通常選挙 ○26/63 33 247 追加公認+1
第20回通常選挙 ○50/74 32 242 追加公認+2
第21回通常選挙 ○60/80 49 242 追加公認+4
第22回通常選挙 ●44/106 62 242  

(参考文献:石川真澄(一部、山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2

  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属の議員を含む。
  • 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院)、(2) 参議院(2002年まで)、(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はなく、国会の記録は、副議長就任による党籍離脱が行われたあとで-1となっている。

地方政治

  • 地方議員:2318人[48]
    • 都道府県議会:558人
    • 市町村議会[49]:1760人
  • 政党支部数:595(2012年1月現在)

政党資金総額

  • 2010年 - 358億7千万円

支持層

政党支持率の推移

第21回参議院議員通常選挙までは、民主党の政党支持率は自民党と比べ上下変動が大きく、国政選挙の直前に急上昇する傾向が見られた。各種全国紙世論調査では大体15%前後で推移していたが、朝日新聞の調査では第43回衆議院議員総選挙の前に20%台まで上昇している。また同調査で第20回参議院議員通常選挙および第21回参議院議員通常選挙の前には30%台まで急上昇し、このときは自民党の支持率を逆転するまでに至った。しかしその一方で、選挙後は選挙前の水準まで下がるのが一般的であった。また堀江メール問題など党内で不祥事などが起きると平時よりも政党支持率が一段と下落していた。

年齢別に見ると、結党後しばらくは20~40代の世代に強い支持を集めていたが、自由党と合併し小沢一郎の代表就任後は50~60代の中高年層や保守層などにも支持を広げている。一方性別で見てみると、女性議員の数は自民党より多いにも関わらず、女性層の支持は男性層より少ない。

第21回参議院議員通常選挙後は、これまでのような、選挙後に支持率が急降下するという現象が発生しておらず、各種世論調査で20%以上の支持率を維持している。このため、選挙後も自民党の支持率を上回るという現象が初めて維持されていたが、安倍首相の辞任会見、福田康夫新総裁の選出の余波を受け、多くの調査で自民党に政党支持率トップの座を奪い返された。しかし、その後も各種世論調査で政党支持率はこれまでに比べて高い水準を維持し続け、大連立騒動などの混乱が起こっても支持率の急降下という現象が発生しなくなった。福田首相の突然の辞任とその後に発足した麻生内閣の混乱に伴って自民党支持率が急降下したため、最近では再び各種世論調査で支持率が自民党を上回るようになった。

しかし、2009年3月の小沢一郎代表の公設第一秘書が逮捕された事件の影響で、各種世論調査での支持率は低下し、各種世論調査での政党支持率が自民党を下回ったが、鳩山由紀夫代表の選出直後には再び自民党を上回っている。

都市部優位からの変化

かつて、民主党は、1区現象で顕著であったように、各県の県庁所在地東京などの都市部での支持が圧倒的に強いという傾向があった。ところが、2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙においては、「逆1区現象」と呼ばれたほど民主党が都市部での票を大きく失い、東京都内の小選挙区での当選者が東京18区菅直人のみ、千葉県内の小選挙区の当選者が千葉4区野田佳彦のみ、神奈川県内の小選挙区での当選者は0となるなど、大敗北を喫した。これは、自民党が、地方を軽視する傾向にあったものの、「小泉劇場」「刺客選挙」で増幅され続けた小泉純一郎首相への個人的人気(ポピュリズム)、いわゆる「小泉旋風」により、特に都市部において自民党候補への票が圧倒的に増加したことが原因とされている[50]

しかし、その後小沢一郎が党代表に就任すると地方や農村部で民主党がそれまでになく健闘するケースも見られた。小沢は2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に備え、自ら参議院一人区となっている地方を重点的に回り、自民党の支持基盤の切り崩しを図った。その結果、自民党の支持基盤である地方でも選挙区選挙で自民党候補を押す人が減り、支持の急伸した民主党候補に逆転される場合が多くなった。安倍自民党が閣僚たちの数々の不始末や年金問題などで自滅し続けていた(新聞各紙のアンケート調査)という要素もあるが、地方でこのような民主党への着実な支持が新たに広がっていたため、参議院一人区で、民主党公認候補が17勝6敗、野党系無所属候補を合わせると23勝6敗という大躍進が実現したと考えられる。2007年の参議院選挙では、地方を中心とする「一人区」で民主党が自民党に対し17勝6敗(無所属等も含めると23勝6敗)と3倍近い議席を獲得した。

その後、政権交代を実現した2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党が都市部において支持を挽回し自民党を圧倒する一方、西日本の農村部を中心に自民党が議席を守るといった傾向が顕著となった。

政権交代後

政権交代後初の大型国政選挙である2010年の第22回参議院議員通常選挙では、一人区で8勝21敗と大敗したことが響き、比例代表の獲得議席で自民党を上回ったものの、改選議席を大きく下回る結果となった。その後の統一地方選でも敗北するなど地方を中心に党勢の退潮が顕著となっている。

地方政治における勢力

結党当初、愛知県北海道などの旧社会党系、旧民社党系の組織がそのまま参加した地域を除き、地方組織がほとんど無い状態でスタートした政党だったため、国政の議員数に比べ明らかに地方議員の数が少ない状態が続いていた。しかし、複数の国政選挙の経験から、また自由党から合流し代表となった小沢一郎の方針により、地方組織の充実のため地方議員を増加させることが党の課題とされた。2007年の統一地方選挙がその試金石であった。

統一地方選挙の前哨戦と言われた2006年12月10日投票の茨城県議会議員選挙では、保守王国(自民王国)である茨城県において、水戸市や日立市で民主党議員がトップ当選し、県南地域の土浦市でも民主党が議席を獲得した。2007年4月8日に実施された、東京都茨城県沖縄県を除く44道府県議会議員選挙では、民主党は都市部を中心に躍進し、埼玉県千葉県神奈川県愛知県といった大都市圏の県議会で大幅に議席を増やした。また、政令指定都市の市議選でも、札幌市名古屋市川崎市で議席数が自民党を上回り、仙台市神戸市堺市では自民党に1議席差まで迫った。議員定数の少ない選挙区でも、民主党新人が自民党の大物議員に競り勝った。

2007年4月22日実施の特別区議選では43議席増、市町村議選でも一般市議選で82議席を増やしており、地域での基盤の充実の方針が成果を収めつつあったと考えられる。しかし、市区町村地方議会議員の数では、公明党日本共産党と比べると少なく、社民党よりも議員の数が少ない地域もある。

その後は2008年9月の麻生太郎首相就任後、自民、民主両党が対決した知事選、政令指定都市の市長選など7つの大型地方選で5勝した後、2009年7月12日に行われた東京都議選では自民党を44年ぶり第一党から転落させ、都議会第一党に躍進するなど着実に地方での支持を拡大させた。

しかし政権交代後には、地方組織の弱さや政権への不信感が露呈した形で、民主党が推薦・支持候補落選が相次いでいる。第17回統一地方選挙の前哨戦として注目された2010年11月14日投開票の福岡市長選挙では民主党が推薦した現職候補が自公系の新人候補に大差をつけられ落選する[51]。2010年12月12日投開票の茨城県議会議員選挙でも23人の候補者中当選は現状維持の6議席に留まり事実上の惨敗に終わった[52]。また2010年12月18日投開票の和歌山県知事選、同日行われた金沢市長選でも自民系の候補者に当選を許す結果となっている。さらには菅直人首相のおひざ元とされた西東京市ですら市議の議席を大きく減らした[53]。その他に、2011年2月6日の名古屋市長選挙愛知県知事選挙および同年3月13日の名古屋市議会議員選挙では元民主党の河村たかしが結成した減税日本公認・推薦の候補者が大量に当選したのに対し、既成政党の候補者は民主党を中心に落選が相次いだ(候補者を絞った公明党を除く)[54]。このように党勢の衰退が目立ち始めている。

支援団体

カテゴリー 団体
労働組合 *日本労働組合総連合会(連合)
2005年11月、組合員数約670万人。民主党の最大の支持基盤とされる。しかし、地方によっては社民党を支持する組合もある。このことから、連合内の路線も統一されていないといえる。また、かつての社会党総評ブロック、民社党同盟ブロックに見られたような「運命共同体」と呼べるほどの密接さは民主党と連合の間には存在しない。2005年9月に党代表に就任した前原誠司は、官公労との関係を見直して距離を置くという姿勢を繰り返し示したことで連合側が反発し、関係が冷え込んだこともある。連合傘下の有力単産は、政治的影響力を行使するため[55]、組織内候補を民主党を中心に擁立し、国政に送り込んでいる。

議員を送り込んでいる主な連合傘下組合は次の通り。
*全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(UIゼンセン同盟)
現在では日本最大の単産として強い影響力を持ち、高木剛会長他、連合に多数の役員を出している。民主党には、元幹事長で現在は副代表の川端達夫など、多数の組織内議員を送り込んでいる。
*全日本自治団体労働組合(自治労)
政府が進める公務員制度改革に対しては「民主的な改革」特に労働基本権の回復に力を入れている。主に民主党を支持。高嶋良充相原久美子(自治労特別中央執行委員)をはじめ、多くの自治労関係者が民主党から出馬し当選している。
*全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)
組織内議員として、直嶋正行池口修次を擁している。
*JAM
組織内議員として、津田弥太郎を擁している。
*日本教職員組合(日教組)
日教組の組織内候補として那谷屋正義(日教組教育政策委員長)をはじめ、日本民主教育政治連盟(日政連)という政治団体を通じて関連議員を政界に送り込んでいる。かつては社会民主党所属の議員も所属していたが現在では日政連議員8名全員が民主党に属している。
*日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連)
2名の組織内議員(高木義明轟木利治)、2名の準組織内議員(柳田稔辻泰弘)を擁している。
*情報産業労働組合連合会(情報労連)
組織内議員として吉川沙織を擁している。
*全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)、電力会社の労働組合の連合体で国政・地方選で多くの候補を送り出している。参議院に組織内議員として藤原正司(関西電力総連)、小林正夫(関東電力総連)がいる。
その他の単産
日本郵政グループ労働組合(JP労組)、日本鉄道労働組合連合会(JR連合)など、連合傘下の有力単産が組織内議員を擁している。
宗教団体 *立正佼成会新日本宗教団体連合会
以前は自民党を支持していたが、自民党が対立組織である創価学会が支持する公明党連立政権を組むようになったため、実質的に民主党を支持するようになった。2005年9月の衆院選では自民党16名に対し、民主党167名を推薦し、組織で応援している。2007年参院選では立正佼成会を支持母体とする風間直樹大島九州男[56]が民主党から出馬[57]し、両名とも当選している。
*その他の宗教団体
浄土真宗天理教が組織内議員を擁している。また、2010年の参議院選挙では曹洞宗が組織内候補を擁立したが落選している。
業界団体 *全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)および日本遊技関連事業協会(日遊協)
民主党娯楽産業健全育成研究会に属する民主党議員を通じてパチンコ業界と関係を築いている。また、衆参あわせて36名の民主党議員がパチンコ・チェーンストア協会の政治分野アドバイザーを務める(自民党議員10名も所属)。民主党娯楽産業健全育成研究会は2005年6月、換金を合法化する『遊技場営業の規制及び業務の適正化等に関する法律案大綱』という法案を作成[7]
その他 *部落解放同盟
民主党ホームページにて関連団体としてリンクされ、民主党の支持団体である[8][58]。また2004年、部落解放同盟中央書記長であった松岡徹民主党から参院選に出馬し、当選。彼は民主党『次の内閣』ネクスト法務副大臣(2007年9月就任)となっていたが2010年の参院選で落選。[9]。また、衆議院選挙では組織内候補として松本龍(部落解放同盟副委員長)、中川治(部落解放同盟大阪府特別執行委員)を支援し、当選させている。
*在日本大韓民国民団
地方外国人参政権の獲得を目的に民主党と公明党の支援を表明しており[59]、小沢一郎もそれに謝意を表明し、帰化した韓国系日本人の支援を期待していると発言している。また民主党を応援しようという団員からの投稿が機関紙に掲載された[60]こともあり、2004年参院選にて民主党から比例区で出馬した白真勲は当選直後に民団へ行き「参政権運動にともに邁進しよう」と挨拶をした[61]。2007年の参院選では、在日2世(2005年帰化済)の民団員である金政玉(民団葛飾支部国際課長)が民主党から出馬したが落選[62]
*指定暴力団「山口組
2007年7月の参院選で全国最大の指定暴力団「山口組」(本部・神戸市)が、傘下の直系組織に民主党を支援するよう通達を出した[63]

ロゴマーク

赤い2つの円が描かれた民主党のロゴマークは、1998年4月に発表された。デザインは浅葉克己によるもので、白地に一つの赤色の真円と、もう一つの赤色の歪んだ円とを、上下に少しだけ重なるように並べて配置し、その2つの円の重なった部分だけは素地と同じ白色にしたものとなっている。

2つの円は「民の力」の結合を象徴的に表しており、下側の円の輪郭線が曲線でないのは、円がみなぎる力で動いたり、育ったりして、生命体のように成長しつつ、融合して新しい形を生み出す様子を表している[64]。また、結党当時の代表・菅直人によると、「今は完全ではないが、雪だるまも転がしているうちに大きくきれいな球に育つ」という思いを込めたもの[65]だと解説している。

国旗切り張り問題

2つの国旗を切り張りして作成し掲げられたという民主党の党旗(イメージ図)

2009年8月8日鹿児島県霧島市で開かれた皆吉稲生第45回衆議院議員総選挙立候補予定者集会で、党代表代行の小沢一郎も席を並べたそのステージ上に、国旗2枚を裁断して支持者が作成したとされる党旗が掲げられた。民主党の陣営の説明によれば、「熱心な支持者」が自作して持参した党旗であり、それが2枚の日本の国旗を縫い合わせたものだとは気づかなかったと民主党側は発表した[66]

この8日の集会終了時に既にマスコミ関係者から、国旗で作った民主党党旗を問題視する声が出ていた[67]が、公示日前日となる同月17日に開催された党首公開討論会で自民党麻生太郎総裁内閣総理大臣)がこれを取り上げたことで、世間に広く知れ渡ることになった。麻生は、会場に掲げられた民主党の党旗は「よく見ると、国旗を切り刻んで上下につなぎ合わせていた。民主党のホームページにも載っている。とても悲しい、許し難い行為だ」と批判した。

これを受けて民主党の鳩山由紀夫代表は、その場で「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば、大変申し訳ない」と謝罪し、「我々の神聖なマークなので、マークをきちんと作らなければならない話だ」と述べた。同日、民主党の公式ホームページから、集会場の模様が撮られた画像が全て削除された[68][69]

8月18日、皆吉稲生は予定通り衆院選に立候補し、出陣式で「国旗の使用方法としては不適切で深くおわびする」と謝罪した。同日、民主党幹事長岡田克也が皆吉を口頭注意した。皆吉の後援会は、党本部や県連および支援団体に「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなく、主催者の不手際が原因」と謝罪する文書を送付した[66]

麻生総裁は事件以降、衆院選遊説中に、「日の丸をひっちゃぶいて(引き破いて)、2つくっつけた。日の丸をふざけたような形で利用するなんてとんでもないと、もっと怒らにゃいかんのです」などと批判を繰り返し[70]、他にも自民党のホームページ[71][72]や選挙パンフレット[73]にこの批判を掲載して民主党へのネガティブ・キャンペーンに使用した。

櫻井よしこは、韓国では「法律で国旗を手厚く守っている」ことを挙げ、「国旗を無惨に切り裂いた行為を取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人」を非難し、「おかしな日本の姿がくっきり浮かんだ『事件』だった」と評した[74]

産経新聞は、社説「主張」および「産経抄」にて、「(国旗切り張りは)明らかに国旗に対する侮辱である」と非難し、小沢一郎代表代行まで出席し、また党のホームページにその写真が載っていながら、指摘されるまで党内で問題にされなかったことを批判し、国旗国歌法の成立に反対してきた民主党の旧社会党議員や、特に国旗国歌に反対してきた日本教職員組合は民主党の支持母体の一つであり、多くの議員を民主党に送り込んでいることを挙げて、それがこの「事件」と無関係ではないとし、民主党の大会でも国旗が掲げられていないと指摘した[75][76]

訴訟

2009年6月12日堀江貴文ライブドア社長から、民主党による偽メール問題で名誉を傷つけられたとして、損害賠償と謝罪広告を求める民事訴訟東京地方裁判所に起こされた[77][78]。同年12月30日、民主党側が堀江に謝罪し、300万円を支払うことで和解が成立した[79]

脚注

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  1. ^ a b 本部が狭い!民主党に思わぬ悩み「引っ越しが重要課題」 2009年9月3日 朝日新聞
  2. ^ 総務省・政治資金収支報告書(平成23年11月30日公表)の党費又は会費を納入した人の数より (PDF)
    民主党の発表は、党員:44,340人、サポーター:222,407人
  3. ^ 結成決まった新「民主党」 選挙対応より、まず理念の一致 読売新聞・東京(朝刊) 1998年3月13日(19面)
  4. ^ “選挙:衆院選 民主大勝 鳩山民主、欧州は期待 「中道左派」「大きな革命」伊前首相”. 毎日新聞. (2009年9月2日). http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/archive/news/2009/09/20090902ddm007010051000c.html 2009年11月1日閲覧。 
  5. ^ 『朝日新聞』 2001年8月7日
  6. ^ NHKスペシャル「証言ドキュメント・永田町 権力の興亡」/小沢一郎著「日本改造計画」
  7. ^ 岡田克也著『政権交代』(講談社、2008年)
  8. ^ NHKスペシャル「証言ドキュメント・永田町 権力の興亡」
  9. ^ MSN産経ニュース 2011年7月21日
  10. ^ 2010年4月4日「新報道2001」
  11. ^ 【都議選】民主第1党、自民は議席大幅減産経ニュース2009年7月12日
  12. ^ 日経世論調査 2010年6月10日
  13. ^ 毎日新聞7月26日号 世論調査
  14. ^ asahi.com2011年6月1日
  15. ^ asahi.com2011年6月1日
  16. ^ 産経ニュース2011年6月2日
  17. ^ 日テレNEWS242011年6月10日
  18. ^ 日テレNEWS242011年6月13日
  19. ^ 日テレNEWS242011年8月26日
  20. ^ 日本経済新聞 2011年8月28日朝刊
  21. ^ 日本経済新聞 2011年8月30日朝刊
  22. ^ 新党大地・真民主は新党大地時代から引き続き与党として民主党と協力する姿勢である。
  23. ^ 民主115→308、自民300→119/衆院選nikkansports.com(共同)2009年8月31日
  24. ^ 民主党:政策>基本理念 民主党公式ホームページ
  25. ^ 【09衆院選】民主がマニフェスト原案 外国人への地方参政権付与も 産経新聞 2009年7月23日
  26. ^ 公債残高、15年度に1000兆円突破 内閣府が試算 :日本経済新聞 (2011/1/21 23:43) [1]
  27. ^ 日本の財政関係資料(財務省)[2]
  28. ^ AFP2009年12月25日
  29. ^ 共同通信2011年3月29日
  30. ^ http://mainichi.jp/select/seiji/indicator/nenkin/061.html
  31. ^ http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111229-OYT1T00824.htm
  32. ^ a b 基本政策 民主党公式ホームページ
  33. ^ 挺身隊問題対策協、日本に慰安婦問題解決要請書伝達 聯合ニュース 2009/03/06
  34. ^ 『朝日新聞』2007年3月27日夕刊
  35. ^ 【民主党解剖】第4部 新体制の行方(3)どうなる外国人参政権 MSN産経ニュース 2009年6月4日
  36. ^ “外国人参政権「日本滅ぼす」=都内で反対集会-国民新の亀井氏”. 時事ドットコム(時事通信社. (2010年4月17日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010041700274 2010年4月18日閲覧。 
  37. ^ 民団新聞 [3]
  38. ^ 外国人参政権法案は「小沢氏に一任」 政府・民主党首脳会議 MSN産経ニュース 2009.11.11
  39. ^ 訪日中の丁世均代表「在日同胞の参政権、近いうちに良い結果」 中央日報 2009年11月13日
  40. ^ “枝野幹事長インタビュー 外国人参政権法案「拙速にできない」 複数擁立見直さず (1/2ページ)”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年6月10日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100610/stt1006102200018-n1.htm 2010年6月12日閲覧。 
  41. ^ 園田耕司、吉村治彦 (2009年11月2日). “小沢幹事長「族議員的癒着なくす」 民主、党が陳情管理”. asahi.com (朝日新聞社). http://www.asahi.com/politics/update/1102/TKY200911020311.html?ref=reca 2009年11月27日閲覧。 
  42. ^ 道路ほしいなら「民主応援を」副幹事長、陳情の知事らに 朝日新聞 2009年11月26日
  43. ^ “民主党:公約、修正か堅持か ポスト菅の対立軸に”. 毎日新聞. (2011年6月7日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110607ddm002010081000c.html 2011年6月30日閲覧。 
  44. ^ “民主都連が土屋都議を除名”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2009年12月5日). http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/091205/tky0912052213009-n1.htm 2009年12月6日閲覧。 
  45. ^ 谷亮子議員ら厳重注意 党員サポーター集められず
  46. ^ a b c d “民主サポーター27万人超/過去最高、代表選も影響?”. 四国新聞. (2008年6月29日). http://news.shikoku-np.co.jp/national/political/200806/20080629000167.htm 2010年7月20日閲覧。 
  47. ^ “民主代表選有権者、党員・サポーターは34万人”. 読売新聞. (2010年8月25日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100825-OYT1T01064.htm 2010年8月25日閲覧。 
  48. ^ 民主党 議員プロフィール(2011年1月25日現在)
  49. ^ 政令市、特別区含む。
  50. ^ 白鳥浩『都市対地方の政治学―日本政治の構造変動』芦書房-(ISBN 9784755611766)
  51. ^ “福岡市長に自公系・高島氏 36歳、現職ら7人破る”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年11月14日). http://www.asahi.com/politics/update/1114/SEB201011140007.html 2011年1月25日閲覧。 
  52. ^ “1/4ショック 県議選 民主 地方組織の弱さ露呈”. 東京新聞 (東京新聞). (2010年12月15日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20101215/CK2010121502000069.html 2011年1月25日閲覧。 
  53. ^ “統一選へ懸念強める=西東京市議選で惨敗―民主”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年11月14日). http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201012270120.html 2011年1月25日閲覧。 
  54. ^ 減税日本34%、民主は半減の18% 得票数・率中日新聞
  55. ^ 特に公務員組合は、労働条件の決定にあたり公権力のコントロールを直接に受ける性質上、政治的関心の度合いが高い。
  56. ^ 大島九州男は立正佼成会信者である[4]
  57. ^ 2006年12月28日付日本経済新聞「民主、立正佼成会との関係強まる・参院選へ候補擁立」
  58. ^ ただし一部の地方では、ティグレ元会長である谷畑孝など自民党議員の支援も行っている2007年3月4日付『しんぶん赤旗』
  59. ^ 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす2008年12月12日 朝日新聞
  60. ^ 2004年6月30日付民団新聞[5]
  61. ^ 2004年7月14日付民団新聞
  62. ^ 2007年5月16日付民団新聞[6]
  63. ^ http://www.zakzak.co.jp/top/2007_10/t2007101135_all.html
  64. ^ 民主党の新しいロゴマーク発表(民主党HPニュース、1998年04月15日)
  65. ^ 国旗切り民主党旗、首相「許し難い」…鳩山代表は謝罪 読売新聞 2009年8月17日
  66. ^ a b “国旗で民主マーク、鹿児島の候補者 出陣式でおわび”. 読売新聞. (2009年8月18日). http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090602-043585/news/20090818-OYS1T00698.htm 2010年3月11日閲覧。 
  67. ^ “【09衆院選】日の丸裂いて「党旗」に陳謝 鹿児島の民主候補陣営”. 産経新聞. (2009年8月18日). http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090818/elc0908181333044-n1.htm 2010年3月11日閲覧。 
  68. ^ “国旗切り民主党旗、首相「許し難い」…鳩山代表は謝罪”. 読売新聞. (2009年8月17日). http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090817-OYT1T00738.htm 2010年3月11日閲覧。 
  69. ^ 民主党公式ホームページから削除された画像
  70. ^ “保守意識?首相、国旗切り張り批判繰り返す”. 読売新聞. (2009年8月20日). http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news2/20090820-OYT1T01181.htm 2010年3月11日閲覧。 
  71. ^ 「日本の未来が危ない」 自民党ホームページ 平成21年8月
  72. ^ 民主党の集会、国旗を切り張りして民主党マークを作成 自民党ホームページ 平成21年8月8日[リンク切れ]
  73. ^ 民主党=日教組「日本の未来は任せられない」自民党選挙パンフレット
  74. ^週刊ダイヤモンド』2009年9月5日号
  75. ^ “【産経抄】2009年8月19日”. 産経新聞. (2009年8月19日). http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090819/trd0908190304000-n1.htm 2010年3月11日閲覧。 
  76. ^ “【主張】日の丸切り張り 民主党は国旗どう考える”. 産経新聞. (2009年8月20日). http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090820/elc0908200316003-n1.htm 2010年3月11日閲覧。 
  77. ^ 堀江元社長、民主党を提訴「偽メール問題で名誉棄損」 朝日新聞 2009年6月17日[リンク切れ]
  78. ^ 偽メール問題:堀江被告が民主党提訴 賠償と謝罪広告求め 毎日新聞 2009年6月18日[リンク切れ]
  79. ^ “民主、堀江被告と和解 偽メール問題 300万円支払い、謝罪”. 産経新聞. (2009年12月31日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091231/trl0912310130000-n1.htm 2010年1月2日閲覧。 

関連項目

外部リンク

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