段部
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段 部(だん ぶ、拼音:Duàn Bù)は、鮮卑の一部族で、西晋代から五胡十六国時代にかけて強大化した。3世紀、段日陸眷が漁陽に拠ったのが始まりといわれる。燕郡・右北平郡・遼西郡(現在の北京市周辺)に割拠していた。
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[編集] 概略
西晋で八王の乱が発生した際、成都王司馬穎と対立する幽州の王浚は、段部と同盟して司馬穎を撃破した(304年)。王浚は段務勿塵を推薦して大単于・遼西公と称させ(303年)、自分の娘を嫁がせた。これは段部の勢力拡大につながるが、彼らは流民対策を十分に行わず、流民統治に優れた慕容部に差をつけられる結果となる。
次の段疾陸眷の時、後趙を起こす石勒による離間策によって王浚と対立し、石勒支持に傾いた。これは段部に深刻な分裂をもたらし、段疾陸眷の死後、晋朝を支持して劉琨らと共に戦おうとする段匹磾と、石勒との対立を避けようとする段末波とに勢力が分裂した。
段匹磾は幽州に拠るが、321年に石勒によって滅ぼされ、段末波は遼西に割拠した。西は漁陽、東は遼水を国境とし、胡・晋3万世帯を支配し、兵卒は4、5万騎を数えたという。
段末波の死後、大人(たいじん:部族長)となった段遼は後趙・慕容部との抗争を繰り返して国力を疲弊させ、338年に後趙の攻撃で段部は滅亡した。
しかしその後、段部の残存勢力は後趙の混乱期に自立したり、前燕を苦戦させることとなった。
[編集] 歴代の大人(たいじん:部族長)
| 代 | 姓・諱 | 在位 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 段日陸眷 | ??? – ???年 | ||
| 2 | 段乞珍 | ??? – ???年 | 日陸眷の弟 | |
| 3 | 段務勿塵 | ??? – ???年 | 乞珍の子 | 『魏書』では「段目塵」。303年遼西公に封じられ、大単于となる。 |
| 4 | 段疾陸眷 | ??? – 318年 | 務勿塵の子 | 『魏書』では「段就六眷」。 |
| 5 | 段渉復辰 | 318年 | 務勿塵の弟 | |
| 段匹磾 | 318 – 321年 | 疾陸眷の弟 | ||
| 6 | 段末波 | 318 – 325年 | 疾陸眷の従弟 | 『魏書』では「段末杯」。 |
| 7 | 段牙 | 325 – ???年 | 末波の弟 | |
| 8 | 段遼 | ??? – 338年 | 日陸眷または疾陸眷の弟 | 『魏書』では「護遼」。 |
| 9 | 段蘭 | 338 – ???年 | 段遼の弟 | 『魏書』では「鬱蘭」。 |
| 10 | 段龕 | ??? – 357年 | 郁蘭の子 | |
| 段勤 | ??? – 359年 | 末波の子 | 趙王を称す。 |
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料