武郷県

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中華人民共和国 山西省 武郷県
簡体字 武乡
繁体字 武鄉
拼音 Wǔxiāng
カタカナ転記 ウーシャン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
山西
地級市 長治市
行政級別
建置 漢代
面積
総面積 1,116 km²
人口
総人口(2004) 16 万人
経済
電話番号 0355
郵便番号 046300
行政区画代碼 140429
公式ウェブサイト http://www.zgwx.gov.cn/

武郷県(ぶきょう-けん)は中華人民共和国山西省長治市に位置する

歴史[編集]

南北朝時代北魏により涅県より分割設置された郷県を前身とする。当時の管轄範囲は現在の楡社県及び武郷県の中東部であり、県治は現在の楡社県社城鎮に設置され、并州上党郡の管轄とされた。

617年義寧元年)、隋朝は武郷県より楡林県を分割、ほぼ現在の管轄範囲が確定している。唐代になると武郷県と改称され河東道韓州に移管、五代十国時代には潞州の管轄となり、後に北漢の版図とされた。宋朝が成立すると武郷県は河東路潞州の管轄とされたが、978年太平興国3年)には威勝郡に移管された。金代になると1128年天会6年)、威勝郡は沁州と改称、元代には中書省晋寧路沁州の管轄とされた。その後明代では山西布政司冀南道沁州、清代では山西省冀寧道の管轄とされた。

中華民国が成立すると1913年民国2年)に山西省直轄とされたが、北京政府時代には冀寧道の管轄とされたが、1930年(民国19年)の道制廃止に伴い山西省直轄とされた。

日中戦争中は中国共産党により抗日拠点が設置され1939年(民国28年)には太行抗日根据地第三専区が設置された。1940年6月には武郷県は武東県及び武西県に分割され冀南太行聯合弁事処三専署(翌年晋冀魯豫辺区太行三専区に改編)の管轄とされた。1945年(民国34年)9月、武東、武西両県が統合され武郷県が設置、1949年10月に中華人民共和国が成立すると長治専区(1958年に晋東南専区に改編)の管轄とされた。1958年11月、楡林県が統合されたが、翌年7月に再分割されている。1985年、晋東南地区(1968年に専区より改称)の廃止及び地級市として長治市の設置にともない、武郷県も長治市に移管され現在に至っている。

行政区画[編集]

  • 鎮:豊州鎮、蟠竜鎮、洪水鎮、故城鎮、監漳鎮
  • 郷:墨鐙郷、韓北郷、大有郷、賈豁郷、故県郷、上司郷、石北郷、湧泉郷、分水嶺郷
中国地名の変遷
建置 晋代
使用状況 現在の地名または廃止年
西晋 西晋の地名
東晋十六国 東晋/五胡十六国の地名
南北朝 南北朝時代の地名
隋代の地名
唐代の地名
五代 五代十国時代の地名
北宋/ 北宋/遼代の地名
南宋/ 南宋/金代の地名
元代の地名
明代の地名
清代の地名
中華民国 民国時代の地名
現代 新中国の地名