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武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと、生薨年不詳)は古代日本の皇族。
孝元天皇の皇子で、母は河内青玉繋の娘。
崇神天皇10年、謀反を企て本人は山背より妻の吾田媛は大坂から 大和を挟撃しようとそれぞれ軍を率いてきた。 しかしそれを予見した倭迹迹日百襲媛命の進言により、大坂へは四道将軍の吉備津彦命が派遣され吾田媛を迎え撃ちこれを討った。 山背へは同じく四道将軍の大彦命と和邇の祖先彦国葺命が派遣され両軍は川を挟んで対峙する事となった。 矢の射ち合いとなり、まず先に放った武埴安彦の矢は当らず、次に彦国葺の放った矢は武埴安彦の胸に当り死亡した。これによって武埴安彦の軍は崩れ、半数以上が斬られるなど鎮圧された。