歌川国輝

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『日本振袖始』でのヤマタノオロチ退治の場面。国輝画。

歌川 国輝(うたがわ くにてる、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師

来歴[編集]

歌川国貞(三代目歌川豊国)の門人。姓は太田、通称は金次郎。五蝶亭、新貞亭、独酔舎、一雄斎、雄斎、一泉斎、一心斎などと号す。作画期は文政1818年 - 1830年)から安政1854年 - 1860年)の頃であった。初めは歌川貞重と称し、子供絵教訓絵などの錦絵を多く描いており、特に「教訓三界図会」が有名である。改印が名主単印のみであった天保14年(1843年)から弘化4年の頃の錦絵「花のえん日商売のあきうど」において「貞重改国輝画」と落款しており、このころまで貞重を名乗ったと見られる。弘化4年頃に歌川国輝と改名したといわれる。弘化4年(1847年)3月には内藤新宿にある太宗寺の「閻魔の目」が盗まれた事件を描いた戯画を数枚描いている。国輝と改めてからは合巻の挿絵を多く手がける。また美人画役者絵も描いた。さらに安政2年(1855年)以降、二代歌川国彦と改める。安政2年6月の「当世美人花之賑」などに「国輝舎国彦画」と落款している。また、歌川芳艶と競って刺青の下絵を作った。

作品[編集]

  • 「当世菊見図」 大判3枚続 国立国会図書館所蔵
  • 「衣食住之内家職幼絵解之図 畳屋」 大判 江戸東京博物館所蔵
  • 「ふじ娘、鷹せう」 フェレンツ・ホップ東洋美術館(ハンガリー)所蔵
  • 「仮名手本忠臣蔵・三段目」 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵
  • 「仮名手本忠臣蔵・六段目」 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵
  • 「仮名手本忠臣蔵・七段目」 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵
  • 「鬼もん喜兵衛河原崎権十郎」 プーシキン美術館(ロシア)所蔵

参考文献[編集]

  • 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版 2008年

関連項目[編集]