横浜オリンピック構想
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横浜オリンピック構想(よこはまオリンピックこうそう)は、2008年夏季オリンピックの開催を神奈川県横浜市で目指していた構想。1997年の日本オリンピック委員会(JOC)総会での決選投票により、日本からの立候補都市は大阪市(大阪オリンピック構想)に決定し、開催は実現しなかった。
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[編集] 大会の概要
- 予定日を2008年10月10日~10月26日とし、横浜市北部、港北区の横浜国際総合競技場がメインスタジアムになっていた。
- 横浜市を中心にしながら、関東地方の1都6県と山梨県に38会場を整備する広域開催として、開催費用を抑える構想を持っていた。
- みなとみらい地区には運営本部、プレスセンター、選手村などの大会機能を集中させる予定になっていた。
[編集] 関連年表
- 1990年3月 - 横浜市が港北区に1998年(平成10年)秋季国体のメインスタジアム建設を決定
- 1994年1月 - 横浜国際総合競技場が着工
- 1996年10月22日 - 高秀秀信横浜市長(当時)がオリンピック開催都市への立候補を表明
- 1996年12月 - 横浜市が2002 FIFAワールドカップ開催都市に決定
- 1997年3月21日 - 横浜市議会でオリンピック開催都市立候補決議を採択
- 1997年8月13日 - JOCでの国内立候補都市選考で、決選投票の結果大阪に敗れる(17対29)
- 1997年10月 - 横浜国際総合競技場が竣工(開場は1998年3月)
- 1998年10月 - 横浜国際総合競技場をメインスタジアムとして神奈川県内各地で「かながわ・ゆめ国体」を開催
- 2002年6月30日 - 横浜国際総合競技場で2002 FIFAワールドカップ・決勝戦を開催
[編集] 招致失敗の原因
- 北関東まで会場が分散する超広域開催に対しての不安が払拭できなかった。
- 2002 FIFAワールドカップ開催が決定した直後の横浜市では、市役所の招致活動主導権が強すぎたことも重なり、市民の関心を引きつけきれず、財界などの民間団体まで広く組織化した大阪とは好対照となった。
[編集] その後の影響
- 国体での使用だけなら3万人、ワールドカップ開催を考慮しても4万人程度の収容能力で十分だった横浜国際総合競技場が7万人の巨大スタジアムになった事で、横浜市は建設費と維持費の負担が巨額になった。