槻木大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮城県道10号標識
槻木大橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 宮城県柴田郡柴田町 - 宮城県角田市
交差物件 阿武隈川
用途 道路橋
路線名 宮城県道28号丸森柴田線
管理者 宮城県大河原土木事務所
施工者 川崎重工業川田工業駒井鉄工住友重機械工業日本橋梁松尾橋梁宮地鐵工所横河ブリッジ
開通 1995年(平成7年)7月7日
座標 北緯38度4分35.6秒 東経140度49分18.9秒 / 北緯38.076556度 東経140.821917度 / 38.076556; 140.821917 (槻木大橋)
構造諸元
形式 3径間連続箱桁橋3連
設計活荷重 1等橋 (TL-20)
材料
全長 777.770 m
11.750 m
最大支間長 68.660 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

槻木大橋(つきのきおおはし)は、宮城県柴田郡柴田町 - 宮城県角田市阿武隈川に架かる宮城県道28号丸森柴田線の橋長777.77 m(メートル)の桁橋

概要[編集]

宮城県内では県管理橋梁として最長の道路橋である[1]。右岸側で国道4号とは立体交差になっている[2]

[2][3]

景観設計[編集]

景観設計のコンセプトはFuture(未来)、Stream(流れ)、History(歴史)である。橋桁の塗装は阿武隈川の流れから青を基調として濃淡が未来への架け橋を表現する。照明塔は川の流れを3本のアームで、魚を灯具で表した。親柱は流れを曲線で表している。歩道は和歌を掘り込み歴史の流れを表現する。高欄は流れを連続する曲線で描き、阿武隈の流れを強調している。橋中央のバルコニーには和歌を掘り込み自然石のステージを設け、ベンチは渡し船を模して、川の流れ、歴史の流れを表現した[2]

歴史[編集]

この橋が架かる以前は「小山渡し」(こやまわたし)と呼ばれる渡し船が運行されていた。かつて個人経営だった渡し船は、近隣住人による当番制へと変わっていった。架橋を望む声は大きかったがなかなか実現せず、1961年(昭和36年)から渡し船が宮城県営となった[4]

槻木大橋の架設は主要地方道丸森柴田線建設の一環として1982年(昭和57年)に着手され、1995年(平成7年)7月7日に開通した。橋の全長777.777メートル[1][4]、幅10.75メートル、総事業費は約65億7700万円だった[5]

1995年(平成7年)7月7日、橋の開通式に先立って、当時の宮城県知事浅野史郎や角田市、柴田町、亘理町の市町長、利用者の代表が渡し船に乗って「小山の渡し舟納め式」が執り行われた。その後、橋上で住民を交えて交通安全祈願とテープカット、渡り初めが行われた[5]。これによって「小山渡し」は廃止された[4]。宮城県営としては最後の渡し船だった。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 宮城県土木部 (2022年3月31日). “令和4年度みやぎの道” (PDF). 宮城県管理道路現況調書(みやぎの道路). 宮城県. p. 69. 2023年10月2日閲覧。
  2. ^ a b c 望月康雄「〈景観設計〉「槻木大橋」の設計・施工」『橋梁』第32巻第1号、橋梁編纂委員会、1996年1月、66-71頁。 
  3. ^ 橋梁年鑑 平成7年版” (PDF). pp. 71, 202, 203. 2023年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c 1995年:槻木大橋が完成”(柴田町)2018年8月17日閲覧。
  5. ^ a b 『亘理町史 現代編』493-494頁。

参考文献[編集]

  • 亘理町史編纂委員会 『亘理町史 現代編』 亘理町、2008年

外部リンク[編集]