榊原温泉

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榊原温泉
温泉情報
所在地 三重県津市榊原町
交通アクセス 鉄道:近畿日本鉄道大阪線榊原温泉口駅より三重交通バスで15分
車:伊勢自動車道久居インターチェンジより約8km
泉質 単純温泉
外部リンク 榊原温泉振興協会
  

榊原温泉(さかきばらおんせん)は、三重県津市榊原町(旧国伊勢国)にある温泉。七栗(ななくり)の湯とも言われ、能因本「枕草子」第117段に「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」とうたわれている「三名泉」のひとつ。

目次

[編集] アクセス

[編集] 泉質

[編集] 温泉街

  • 山の中の保養地的雰囲気の温泉。歓楽的要素はない。
  • 温泉街の中にある林性寺は、猫を描いた涅槃図で有名。

[編集] 歴史

榊原温泉は非常に古い歴史を誇るいで湯である。一帯は榊原断層と呼ばれる断層に当たり、その合間から被圧地下水(おそらく非火山性のプレート滲出型とされる)が湧出しており、古くから霊験あらたかな地として信仰の対象となっていた。また、前述のように三名泉に数えられており、平安時代には既に湯治場として形が整っていたとされる。このように、枕草子に記載されていたことは格好の宣伝文句であるため、開湯伝説は伝承されなかった。

927年には式内社の射山神社が建てられ、「神湯」とも呼ばれるようになった。このような背景から、江戸時代に入って伊勢参詣が盛んになると、七栗の湯は参拝客の垢離場として機能し、伊勢の参拝客は神社の参拝前にこの七栗の湯で斎戒沐浴するのがしきたりとなり、湯治場は大いに賑わいを見せた。このため、地元では榊原温泉のことを「宮の湯」と呼び、神聖な湯であるという自負を抱いている。その頃、射山神社は温泉大明神と呼ばれ、大いにもてはやされた。

尚、七栗という地名は古くから存在した村落名であり、榊原温泉の由来となった榊原という地名は、継体天皇の頃に遡る。継体天皇の娘、ササギヒメノミコト(荳角媛命)が斎王となり、斎宮に入ることになった際に、近くに自生していた榊を温泉水に一晩中浸し、神宮に祭祀したという伝承に因んでいる。

尚、開湯当初の泉源は既に涸渇しており、現在は別の泉源を利用している。

[編集] ななくりの湯の諸説

今日において、枕草子にある「ななくり」の湯は大方、榊原温泉を指すのが最有力であるが、それについては他に別所温泉説、あるいは少数派として湯ノ峰温泉説がある。『枕草子』の段だけではその一文しかないために判別しかねるが、榊原温泉側は夫木和歌抄に載せられた二つの歌にある「一志の〜ななくりの湯」という一文を証憑としており、一志とは榊原温泉が位置する一志郡を指しているので符合する。ところが、この夫木和歌抄が出版されたのは鎌倉時代後期であり、著者である清少納言が生きた時代とは社会背景も異なっている。

ただ、古くから同温泉は神宮と関わりが深く、そのため皇族を中心とする公家文化が繁栄した平安時代で、「ななくり」が同温泉を指し、特別な湯として尊重されたことは自然に考えられる。また、他に選んだ玉造温泉有馬温泉も、ともに天皇家と関わりが深く、神の湯としてもてはやされ、他の共通点として医薬の神、温泉の神として知られる少彦名命が発見したと伝えられる伝承があるなど(ただし、同氏の開湯と伝わる湯は全国に数多存在する)共通の関連性が見られる。

一方、別所温泉側は、古くこの温泉が七苦離、七久里と呼ばれたことを主張しているが、いつからそう呼ばれたものか判然としていない。しかし、別所温泉側はさほど(枕草子の)「ななくりの湯」という主張は行っていない。これは、後の別所温泉が、武家社会と結びつき、北向観音を初めとする寺内町湯垢離の場として発展したことで、清少納言が活躍した平安時代観で宣伝することはイメージに合わなかった(むしろ、人気者である真田信繁木曽義仲、あるいは温泉信仰に乗じて弘法大師ゆかりの湯と宣伝する方が効果的であった)ためである。尤も、別所温泉側(旅館組合の解釈)ではそのことに関しては「判然としない」という評価をしており、榊原に譲歩した形をとっている。

[編集] 関連項目

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