榊原政房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この項目に含まれる文字「榊」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 |
| 榊原政房 | |
|---|---|
| 時代 | 江戸時代 |
| 生誕 | 寛永18年8月3日(1641年9月7日) |
| 死没 | 寛文7年5月24日(1667年7月15日) |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 藩 | 播磨姫路藩主 |
| 氏族 | 榊原氏 |
| 父母 | 父:榊原忠次、母:寺沢広高の娘 |
| 妻 | 正室:池田富幾(池田光政の娘) 継室:池尻共孝の娘 |
| 子 | 政倫、 娘(蜂須賀綱通正室のち松平義行継室) |
榊原 政房(さかきばら まさふさ)は、江戸時代前期の大名。播磨姫路藩第2代藩主。榊原家4代当主。幼名、熊之助。従五位下、従四位下、刑部大輔、式部大輔。
政房の父の大須賀忠次は、榊原康勝の死によって榊原家を継承したが、実は康勝には庶子勝政があった。勝政から榊原家当主の座を失わせた形になった政房は、義父の池田光政らと奔走し、勝政の子である勝直、政喬の兄弟を旗本に取り立てることに成功した。この分家成立は、のちに藩主の血筋を保つことになった。
略年譜 [編集]
官位位階 [編集]
|
||||||||||||||||||||||||||||||||