楊大六

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楊 大六(よう だいろく、Yang Daliu、? - 1872年)は、末のミャオ族の蜂起の指導者。

貴州省丹江庁出身。はじめ丹江で蜂起したが、後に張秀眉率いる蜂起軍に合流した。勇敢で知略もあり、要衝である岩門司を陥落させた際には、土司と清軍の千総を生け捕りにする功をたてた。丹江と都勻を根拠地として経営にあたった。やがて清軍の包囲に遭ったが、和議を求めず抵抗を続けた。1872年に烏東の戦いで張秀眉とともに清軍に捕えられ、長沙で斬られた。

参考文献[編集]

  • 『中国歴史大辞典・民族史』中国社会科学出版社