植村直己物語

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植村直己物語
監督 佐藤純彌
脚本 岩間芳樹
佐藤純彌
原作 植村直己
製作 斎藤守慶
木暮剛平
製作総指揮 高木一見
音楽 ウィンダム・ヒル
村井邦彦
ウイリアム・アッカーマン
撮影 並木宏之
阿久津悦夫
編集 鈴木晄
製作会社 毎日放送
電通
配給 東宝
公開 日本の旗 1986年6月7日
上映時間 140分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 13億5000万円[1]
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植村直己物語』(うえむらなおみものがたり)は1986年6月7日に公開された日本映画。製作は毎日放送電通。配給は東宝カラービスタビジョンサイズ。上映時間は140分。

世界的な冒険家である植村直己の後半生を描いている。

スタッフ[編集]

製作スタッフ[編集]

山岳撮影サポート[編集]

『植村直己物語』では数々の極地ロケのために当時の一流の登山家が集められ、カメラマンを含む11人の撮影隊が編成された。

1985年10月30日、7人もの隊員[注 1]エベレスト登頂に成功した[2][注 2]。うち1人[注 3]は、酸素ボンベを使用しない「無酸素」での登頂であった[4]

主演に関して[編集]

  • 本作の主役は西田敏行であるが、作家の椎名誠が当初オファーを受けていた[5]。植村と椎名は旧知の仲で親交もあり雑誌による対談も行われていた[6]。この時は椎名がTBSテレビ開局30周年記念事業『シベリア大紀行』の海外取材で映画を撮ることが出来ず、西田にバトンタッチされた。なお西田敏行は植村と同じ明治大学出身であり、椎名誠も明治大学が後援している植村直己冒険賞の審査員を毎年務めている[7][8]

キャスト[編集]

受賞歴[編集]

関連書籍[編集]

  • 文藝春秋編『植村直己の世界』 文藝春秋、1986年6月10日ISBN 4163405909。 - 監督佐藤純彌主演西田敏行倍賞千恵子の『ここまで「植村直己」になれました』と題する座談会と、映画『植村直己物語』の全シナリオが収録されている。
  • 佐藤純彌、聞き手 : 野村正昭 + 増當竜也『映画監督 佐藤純彌 : 映画よ憤怒の河を渉れ[注 4][注 5]』 発行 : DU BOOKS、発売 : ディスクユニオン2018年12月1日ISBN 978-4866470764

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 隊長の八木原圀明のほか、阿久津悦夫山田昇名塚秀二木本哲三枝照雄佐藤光由である。
  2. ^ 下山中、南峰基部で阿久津悦夫高山病による意識混濁で自力下山できなくなったため、木本哲が阿久津のために残り、2人で標高8,600m地点でビバークした。第4キャンプ(標高7,900m)にいた村上和也が単身、酸素ボンベ、お茶などを持って、夜間、救援に向かい、2人を救助した。しかし、残っていた酸素を阿久津に吸わせ、自らは酸素を吸わなかった木本が重度の凍傷を負い、両足指全てを切断した[3]
  3. ^ 山田昇である。山田は、エベレスト登頂は2回目であった。
  4. ^ ルビが振られている。『シネマよ ふんどの河をわたれ』。
  5. ^ 佐藤純彌には『君よ憤怒の河を渉れ』という作品がある。

出典[編集]

  1. ^ 1986年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  2. ^ 毎日新聞東京版(朝刊1985年昭和60年)10月31日 26面『植村映画撮影隊がエベレスト登頂』。
  3. ^ 八木原圀明著『8000メートルの勇者たち : ヒマラヤニスト・山田昇とその仲間たちの足跡』 山と渓谷社1990年5月1日。116-117頁。
  4. ^ 朝日新聞・東京版(朝刊) 1985年(昭和60年)10月31日 16面『エベレスト 一日に七人が登頂に成功 : 日本隊、うち一人は無酸素』。
  5. ^ 第4回 記録よりフロンティア精神を!”. ナショナルジオグラフィック日本版サイト. ナショナルジオグラフィック (2011年8月20日). 2022年2月13日閲覧。
  6. ^ 『男たちの真剣面白話』”. 椎名誠 旅する文学館 » Blog Archive. 2022年2月13日閲覧。
  7. ^ 「植村直己冒険賞」に探検家・岡村隆氏”. 明治大学. 明治大学 (2019年3月1日). 2022年2月13日閲覧。
  8. ^ 選考委員の紹介植村直己冒険館(2020.10.5Lastaccess)

外部リンク[編集]