森長直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
森 長直
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文12年11月22日1673年1月9日
死没 享保7年8月24日1722年10月4日
改名 亀之助・帯刀(幼名)、長直
戒名 鉄性院殿一峯浄空大居士
墓所 兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺
官位 従五位下、和泉
備中西江原藩主→播磨赤穂藩
氏族 森氏
父母 父:森長継、母:橋村氏
兄弟 忠継長武長俊関長治長基長直
衆利
正室:堀親貞の娘
継室:鯰江氏
娘(森長孝正室)、娘(関長広と婚約)
養子:長孝

森 長直(もり ながなお)は、備中西江原藩の第2代藩主、後に播磨赤穂藩の初代藩主となる。

寛文12年(1672年)11月22日、美作津山藩第2代藩主(後に西江原藩初代藩主)森長継の八男として生まれる。父は延宝2年(1674年)に隠居し、兄の長武が跡を継いだ。長武も貞享3年(1686年)に隠居し、甥の長成が跡を継いだ。長直は元禄7年(1694年)に長成から1500俵を分与されている。長成は元禄10年(1697年)に死去したが、嗣子がなかった。

隠居の長継は長直の弟である関衆利(森衆利)を長成の継嗣として認めてもらうよう幕府に訴え、幕府もこれを承諾した。しかし、衆利が継承挨拶のため江戸に出府途中、伊勢で乱心したため、幕府は家督相続承認を取り消し、元禄10年(1697年)8月2日に領地を召し上げ、津山藩森家は改易された。

ただし、幕府は長継に与えていた隠居料である美作国内の2万石を改めて安堵することで、森家の存続を許した。こうして長継は新たに西江原藩を立藩し、長直は8月26日に世子として指名された。そして元禄11年(1698年)に父が死去すると、家督を継いで西江原藩主となった。

宝永3年(1706年)1月28日、播磨赤穂藩に移封される。藩財政が早くから悪化したため、長直は塩田開発に積極的に取り組んだ。享保7年(1722年)8月24日に死去した。享年51。跡を婿養子長孝が継いだ。