森内貴寛

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Taka
基本情報
出生名 森内貴寛
出生 1988年4月17日(26歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ロック
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 2003年 -
レーベル A-Sketch
事務所 アミューズ
共同作業者 ONE OK ROCK
公式サイト ONE OK ROCK オフィシャルウェブサイト

Taka(タカ、1988年4月17日 - )は、日本歌手ロックバンドONE OK ROCKのヴォーカル。本名・森内貴寛(もりうちたかひろ)。 バンドの楽曲の多くで作詞・作曲を手がける(作詞に関しては歌詞のある楽曲ほぼ全て)。 アグレッシブでカリスマ性の高いヴォーカルスタイルと、歌いながらステージを縦横無尽に激走しても乱れることのない、安定した歌唱力に定評がある。 歌手森進一森昌子夫妻(2005年離婚)の長男。1歳違いと6歳違いの弟がいる。ロックバンドMY FIRST STORYのヴォーカル・Hiroは下の弟。

略歴[編集]

2001年

  • 慶応義塾湘南藤沢中等部1年の時、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏より招待され、家族で青山劇場にて少年隊の舞台を観劇。それに触発されて、8月よりジャニーズ事務所に入所。レッスンは週一回土曜日のみ参加、学業に差し障りがあったら辞めさせるという父親からの条件付き[1]

2003年

  • 9月15日、NEWS結成メンバー9人のうちの一人に抜擢される。
  • 11月7日、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソングを含むシングル『NEWSニッポン』(セブンイレブン限定発売のインディーズ版)でCDデビュー。
  • 12月 、「学業に専念するため」活動を休止、その後自主退所[2]。父親に勘当され家を出て母方の祖母の家に身を寄せ、進学のため塾に通う[3]

2004年

2005年

  • 3月、高校一年終了時 、「音楽の道に進みたい」との思いから慶応義塾湘南藤沢高等部を自主退学[4]。レストランで厨房周りのバイトをしながら[5]自活し、大阪の音楽学校に定期的に通ってギターやパソコンを習う[6]。同時に友人二人とエレクトーン+ギター+ヴォーカルの3人編成のバンドを組んでライブ活動をはじめる[7]
  • 4月、両親(森進一、森昌子)が離婚。
  • 5月、共通の友人を介してライブを見に来たToru(ONE OK ROCKのリーダーで発起人)から、彼が堀越学園の同級生らと結成したバンドにヴォーカルとして入らないかと強く誘われ、Toruの熱意に押し切られる形で承諾。しかし練習に参加して、自分が本来求めていたバンド像に近いものを感じ、そのバンドONE OK ROCKに賭ける決意を固める[8]

2006年

  • 7月26日、芸能事務所・アミューズと契約。インディーズから再CDデビュー。
  • 以降の活動はONE OK ROCKの項目に詳しい。

人物[編集]

小学生時代は、勉強嫌いだが活発で、イベントでは中心になって頑張るタイプだった[9]
小学校6年間と中学1年の1学期まで地元のサッカーチームに入っていたが足を痛め断念[10]。本人曰く中学に入ってサッカーのレベルが激変したことにショックを受けたため[11]
サッカーと入れ替わるようにジャニーズジュニアとしての活動を始めるが、最初からTV番組やステージ上でソロで歌うポジションを与えられ、その際立った特別扱いが多くのジュニアファンの反感を買うことになる。
「もうほんとにね、親の七光りで、みたいな扱いを、ほんっとに3年間ずっとされて、ほんとに悔しかったし、でも、それに対して文句も言えない自分もいた」[12]
それは、NEWS結成メンバーに選抜されたことでピークに達し、父親のファンサイトのbbsが抗議の書き込みで炎上し、閉鎖に追い込まれたほどだった。
反抗期だった本人の生活も荒れ、追い打ちをかけるように写真誌に未成年喫煙疑惑を示唆する記事が掲載され、そのことが直接の原因かは明らかにされていないが、「学業に専念のため活動を休止」との名目で事実上NEWSを脱退することになる。
「事務所からは、ちゃんと高校卒業するまでは戻れない、みたいな感じで言われた」[13]
ここから、勘当、家出を経て両親の離婚に至るまでの一連の経験は、「誰からも求められていない」という深いトラウマを遺す事になった。
「いまだにギャルは怖いです。金髪のギャルと、あと、森内って名字を呼ばれると、すごくぞっとする」[14]
両親が離婚した際、3人兄弟のうち貴寛の親権のみを母親が持つことになったのを機に、あえて「森田」姓を名乗るようになったのもこのトラウマによるものと思われる。実際は、戸籍上の姓は森内のままかわっていない。
ONE OK ROCKで楽曲を作り始めてからは、その経験はむしろ作詞に深い陰影を与え、例えば自身の人生の理不尽さを描いたかのような『カラス』(『努努-ゆめゆめ』CP)、『光芒』(『BEAM OF LIGHT』)などに見られる繊細な世界観は、特に初期の作品群において大きな魅力となっている。
「親の七光りバンド」「アイドルバンド」「あの(アイドルを首になった)どうしようもない奴のいるバンド」という何重ものレッテルをはがす原動力は「悔しい」「負けたくない」「馬鹿にされたくない」という強い気持ちだった。

「でもそれを一個一個クリアするのは結構大変で。同時にまだ全然そういうことは自分のなかで拭いきれてないものだと思うし。だから僕は、逆にこのコンプレックスは一生持っていたいなと思うんですよね。多分一生消えないんで、これをもって、一生懸命バンドを頑張りたいなと思っていますね」

   --Taka2万字インタビュー『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p73

  • 喉のケアには細心の注意を払っている。バンド加入以降から現在までメンバー4人中唯一の非喫煙者。
  • 歌唱時における英語の発音が自然で、海外メディアでのインタビューにも通訳を介さずに応答しているが、はじめから英語が堪能だったわけではなく、近年まで英会話教室に通って地道に勉強を続けていた[15]
  • ピアノ、ギター、ドラムなど、バンドで必要な楽器はだいたい一通り演奏できる。
  • ハスキーでありながら透明感も併せ持つミクスチャーハイトーンボイス、掌を前に押し出すポーズなど独特の身体表現、トレードマークの赤マイクや長いコードを自在に操るマイクパフォーマンス、敬語まじりのMCも特徴的。
  • 親しい友人は、同じ事務所所属の佐藤健高橋優などのほか、、ジャミール三浦翔平山田親太朗DA PUMPのDAICHI、FTISLANDのホンギ、ISSUESのTylerなど、同世代の俳優やミュージシャン。とりわけ佐藤健とは、互いに互いについて「親友であり、恋人であり、夫婦」と言うほど仲がいい。RADWIMPS(野田洋次郎、桑原彰)、Fear, and Loathing in Las Vegas(Sxun)などの同世代バンドや対バンしたバンド、さらに芸人やアスリートなど、今では国籍や年齢、ジャンルを超えた幅広い交友関係がある。


ちなみに世の中は敵よりも味方が多い、と思えるようになった武道館公演THIS IS MY BUDOKAN?! 2010.11.28以降あたりから現在は、森内姓を名乗っている[16]
また一時確執が噂された父親との関係も現在は良好であり、武道館公演に招待して両親に向けて作った楽曲『Nobody's Home』を歌っている。
たびたびネット上で、慶応義塾湘南藤沢高等部中退の後、堀越学園に編入したとの記述がみられるが、本人や両親から発せられた事実も、それを裏付けるソースもない。インディーズ時代、Toruら他のメンバーが在学していた堀越学園の学園祭に出演したことからの憶測と思われる。

エピソード[編集]

  • 絵を描くのが好きで、港区の絵画教室で仕上げた作品が青山の「こどもの城」に展示されたことがある[17]
  • 小学校の時、バランス棒で校内チャンピオンになったことがある [18]
  • 小学校の6年間は水泳もやっていた。
  • 小学校受験に合格した際、喜ぶ母親に対して本人は背を向け先に歩き出してしまった。母親が追いかけて何を怒ってるのか質したところ「落ちた子もいるのに皆の前で喜ばないで」と6歳の子に諭された。翌年の次男の合格時は、長男とともに次男の幼稚園に迎えに行ったが、前年の件をふまえ他の子供たちのいる前では気をつけた。すると「ママ学習したね」と長男に褒められた、と、母・森昌子が『徹子の部屋』2014年5月7日出演時に語っている。
  • 初めて買ったCDは小学校低学年の時、箱根のCD自販機で買ったhideの『ピンクスパイダー』。同自販機で数日後に買った2枚目はGLAYの『誘惑』[19]
  • 最初に衝撃を受けた洋楽ロックバンドは中1のときに映画館で偶然聴いたLinkin Park
  • ロックバンドをやりたいと思うきっかけになったのは高1の時に横浜のライブハウスで聴いたRIZE
  • 自身を投影して憧れたのはDragon AshKJ
  • バンド初期に精神的に影響を受けたのはELLEGARDEN細美武士で、ライブ前に全員でエルレのライブDVDを見て気持ちを高めていたほどだった。
  • 一人暮らしを始めてから「一日に何回ラーメン食べるんだ?!」といった食生活[20]でたちまち太り、普通の食生活に戻ると共に元の体型に。その差は15キロとも言われるが、今も資料に書かれているデータはピーク時の体重のままであることが多い。
  • アルバイト経験の賜物か料理が得意で、レコーディング合宿をする際には、ほぼ毎日メンバー全員分の夜食を作っていた。

作品[編集]

ONE OK ROCKとしての作品|ONE OK ROCK

ソロ参加の仕事・イベント[編集]

  • 2012年05月16日 東北ライブハウス大作戦アコースティックツアー気仙沼[21]
  • 2013年03月31日 PUNK SPRING2013 シンプル・プランのステージにサプライズ登場[22]
  • 2013年05月05日 MTV ONE on ONE  Taka (ONE OK ROCK) × トゥエンティ・ワン・パイロッツ 対談[23]
  • 2014年07月02日 MTV WORLD GROOVE 3&3(ゲストが気に入っているMVを紹介するコーナー)
  • 2015年02月1~4週 FM802 (毎日曜) InterFM (毎月曜) 『Walkin'Talkin' -徒然ダイアローグ-』 Taka×野田洋次郎[24]

参加作品一覧[編集]

発売日 アーティスト タイトル
2011年6月29日 ALLY & DIAZ Let Life Be with Taka (ONE OK ROCK) & サイプレス上野
2013年3月20日 シンプル・プラン Summer Paradise feat. Taka from ONE OK ROCK
2013年3月27日 シンプル・プラン Get Your Heart On・Tour Edition Summer Paradise feat. Taka from ONE OK ROCK(ツアー・エディション)
2013年11月13日 Pay money To my Pain Voice P.T.P feat. Taka from ONE OK ROCK
2014年8月20日 GROWN KIDS Bottle Rocket feat. Taka(ONE OK ROCK) & Megan Joy
2015年2月17日 Against The Current Dreaming Alone Feat. Taka from ONE OK ROCK

出典[編集]

  1. ^ Template:森昌子『明日へ』p112~113参照
  2. ^ NEWSのプロフィールORICON STYLE
  3. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号「一生で一番勉強を頑張った時期」p67-76
  4. ^ Template:森昌子『明日へ』p132参照
  5. ^ Template:スペースシャワーtv「モンスターロック」かき氷対決
  6. ^ 『musica』2012年9月号、ONE OK ROCK Taka、p24-25
  7. ^ 『musica』2012年9月号、ONE OK ROCK Taka、p24-25
  8. ^ ONE OK ROCK('06年12月号) | web Rooftop
  9. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76
  10. ^ Template:森昌子『明日へ』p111参照
  11. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76
  12. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p71より引用
  13. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p70より引用
  14. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p71より引用
  15. ^ スペースシャワーTVモンスターロック one ok rock王決定戦2013.03.19
  16. ^ 橋本塁twitter2013年10月4日東北ライブハウス大作戦 https://pbs.twimg.com/media/BVu95IECAAEoGa1.jpg
  17. ^ Template:森昌子『明日へ』p111
  18. ^ ustream「one ok rock オンエアタイム獲得選手権」2011.2,13
  19. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.03
  20. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.03
  21. ^ 細美武士(the HIATUS)ホリエアツシ(ストレイテナー)
  22. ^ http://www.livefans.jp/report/pc/999
  23. ^ http://www.rollingstonejapan.com/music/oneonone/taka-one-ok-rock-x-twenty-one-pilots/2/
  24. ^ http://okmusic.jp/#!/news/66842

外部リンク[編集]