森忠儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
森忠儀
森忠儀
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 嘉永3年4月24日1850年6月4日
死没 明治18年(1885年10月15日
改名 扇松丸(幼名)、忠儀
墓所 兵庫県赤穂市花岳寺
官位 従五位下越後守子爵
主君 明治天皇
播磨赤穂藩
氏族 森氏
父母 森忠徳酒井忠嗣
森忠典
兄弟 忠弘忠典忠儀、四男、森某養女
松平斉韶
忠恕
テンプレートを表示

森 忠儀(もり ただのり)は、播磨国赤穂藩第12代(最後)の藩主。赤穂藩森家18代。

略歴[編集]

嘉永3年(1850年)4月24日、10代藩主・森忠徳の三男として生まれる。慶応4年(1868年)3月19日、同母兄で11代藩主の森忠典が隠居したため、その養子として家督を継ぎ、従五位下・越後守に叙位・任官する。戊辰戦争では新政府に与して姫路藩攻撃に参加した。

明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により赤穂藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵に叙せられた。明治18年(1885年)10月15日に死去した。享年36。

系譜[編集]

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
赤穂森家初代
1884年 - 1885年
次代
森忠恕
当主
先代
森忠典
美濃森家(宗家)
1868年 - 1885年
次代
森忠恕