梅津政景

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梅津 政景(うめづ まさかげ、天正9年(1581年)- 寛永10年(1633年))は安土桃山時代江戸時代の武将で、常陸国戦国大名(のち出羽国秋田藩佐竹氏の家臣。宇都宮氏旧臣・梅津道金の子。梅津憲忠の弟。

[編集] 経歴

佐竹義宣に仕えて、主に行政面で活躍した。関ケ原の戦い後の1602年、佐竹氏が出羽秋田に移封されるとこれに従い、秋田藩の創設に尽力し、兄とともに家老や勘定奉行などの要職を歴任した。1615年には大坂夏の陣にも参陣している。

政景の書いた『梅津政景日記』は、秋田藩の藩政や、当時の武士や庶民の生活を知るうえにおいての貴重な史料となっている。

能代市二ツ井町は江戸時代の初めは戸数も15~16戸の寒村であった。梅津はこの地を知行地として与えられたため、開発に着手することになる。梅津は隣の藤里町矢坂から延々用水路を引き、新田を拓いた。用水路が容易につくれない山岳部は、岩をくりぬきトンネルを掘って用水路をつなげた。これが岩堰用水路であり、現在も使われている。新田ができたため当時の二ツ井町は人口が増え石数も飛躍的に伸びた。梅津は大明神として二ツ井町の岩堰神社に祀られた。現在でもこの神社で盛大なお祭りが行われている。

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