梅原伸亮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府高槻市 |
| 生年月日 | 1983年9月13日(25歳) |
| 身長 体重 |
182cm 74kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2005年 大学・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2006年9月13日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
選手歴
|
|
|
|
|
コーチ歴
|
|
|
|
|
この表について
|
|
梅原 伸亮(うめはら のぶあき、1983年9月13日 - )は、野球選手(投手)。大阪府高槻市出身。2006年から2007年は広島東洋カープに所属していた。
目次 |
[編集] 経歴
金光大阪高では3年春からベンチ入り。
京都学園大では2年春からエースとなり、3年春の京都教育大戦でノーヒットノーランを達成。4年秋に敢闘賞、ベストナインを獲得。そして秋のドラフトで広島に指名された。
2006年、春季キャンプで右肩痛を発症したが、9月13日に1軍初登板を果たした。
2007年、この年は腰痛の影響で1度も1軍で投げることなく、2軍でも4試合の登板にとどまり、10月5日に入団2年目にして戦力外通告を受けた。戦力外後は、2回の12球団合同トライアウトに参加した。なお11月30日付で自由契約公示された。12月7日、徳島インディゴソックスの入団テストを受け合格した。
2008年8月より、監督代行に就任した森山一人の後を埋める形で選手兼任のコーチに就任、シーズン終了まで務める。2009年のシーズンは選手専任に復帰する予定だったが、ケガのため契約を結ばず、練習生でのスタートとなった。しかし、ケガが回復しなかったため5月4日限りで徳島を退団した[1]。
[編集] 人物
個性的な投球フォームが特徴。本人いわく「ストレートの速い軟投派投手」を目指している。
京都学園大初のプロ野球選手で、併設校である京都商業(現・京都学園高校)出身の沢村栄治を憧れの選手に挙げている。また、かつて同じ背番号14を背負っていた津田恒実のようにストレート勝負が出来る投手になりたい、とも述べている。
ロッテの今江敏晃は京都・寺戸中学時代の同級生、中日の吉見一起は高校の1年後輩にあたる。
プロ入り後、グラブに自身の彼女のプリクラを貼り付け話題となった。
徳島インディゴソックスの入団テストは、元チームメイトで、元香川オリーブガイナーズ所属の天野浩一に連絡し、協力を受けて受験に至った。合格時には1年後再びNPBトライアウトを受験すると語っていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 広島 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 6 | 1.1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6.75 | 2.25 |
| 通算:1年 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 6 | 1.1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6.75 | 2.25 | |
[編集] 背番号
[編集] 個人記録
[編集] 脚注
- ^ 高田博史五人抜きジャンピングスロー2009年5月7日付「悲壮な覚悟の下で」による。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||

