梁培友

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梁 培友(りょう ばいゆう、Liang Peiyou、? - 1857年)は、末の大成国の反乱の指導者の一人。

広東省肇慶府鶴山県出身。船の漕ぎ手であったが、1852年艇軍を率いて広西省梧州で蜂起を行った。広東省南海番禺東莞順徳香山と広西省潯州天地会はみな彼に呼応し、総管を称した。さらに陳開李文茂と連合して肇慶を占領し、平粤公を称した。1855年、軍を率いて再び広西省に入り、藤県を陥落させ、平南を通過して、潯州府城を占領した。1856年、大成国平東王を自称し、平南に駐屯した。1857年、平南での戦闘中に戦死した。

参考文献[編集]

  • 『中国歴史大辞典・清史(下)』、上海辞書出版社