桓キ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本来の表記は「桓齮」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

桓 齮(かん き、生没年不詳)は、中国戦国時代の将軍。秦王政(後の始皇帝)に仕え、秦の天下統一に貢献した。

経歴[編集]

紀元前237年(始皇帝10年)、将軍になる。

紀元前236年(始皇帝11年)、王翦楊端和らとを攻めて、先ずその周辺の9城を取る。桓齮はそこに留まり、王翦が一人で閼与、などを落とす。

紀元前234年(始皇帝13年)、趙の平陽を攻めて、敵将・扈輒(こちょう)を殺し、首を斬ること10万であった。

紀元前233年(始皇帝14年)、再び趙を攻めて、平陽と武城を平定した。宜安を攻めたが趙の大将軍李牧に敗れた。

その後の経歴は不明であるが、歴史家楊寛の説によれば、敗戦の処罰を恐れに亡命し、樊於期と名を改めたとされる。この説に従うならば没年は紀元前227年となる。

関連項目[編集]

史料[編集]

  • 司馬遷『史記』本紀、秦始皇本紀
  • 司馬遷『史記』世家、趙世家
  • 司馬遷『史記』列伝、廉頗・藺相如列伝

登場作品[編集]