桃井義孝

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桃井 義孝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正6年5月17日1578年6月22日
官位 伊豆守
主君 上条定憲上杉謙信景虎
氏族 桃井氏
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桃井 義孝(もものい よしたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将信濃国飯山城主。

略歴[編集]

享禄4年(1531年)1月、「越後衆連判軍陣壁書」に連署。長尾為景に加勢し、上条定憲と争う事を示した。しかし、その後、上条定憲に属した。永禄4年(1561年)、小田原城攻めに参戦。天正6年(1578年)の御館の乱においては、5月16日に上杉景虎に加勢するため御館に入ったが、その後討ち死にした。

桃井清七郎、桃井讃岐守直光らとは同一人物と推定される。桃井讃岐守直光であれば春日山城跡に屋敷跡が現存。