栄樹院
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栄樹院(えいじゅいん、文化2年1月23日(1805年2月22日) - 安政5年9月10日(1858年10月16日))は、薩摩藩主島津斉彬の正室。父は一橋家当主徳川斉敦、母は於弥与(樋口氏)。最初、英姫(ふさひめ[1])、後に恒姫。
文化9年(1812年)、島津斉彬と婚約。文化12年(1815年)、江戸高輪の島津邸に入る。文政9年(1826年)、当時世子だった斉彬に嫁ぐ。
嫡子を産んでいるがことごとく夭折しており、お由羅騒動や天璋院輿入れに影響した。
安政5年(1858年)、斉彬が亡くなり、それを追うように2ヶ月後に亡くなった。
また、実は11代将軍・徳川家斉の娘であったが、将軍家からの輿入れを嫌った島津家が、御三卿の一つで英姫の叔父にあたる徳川斉敦の娘となった上での輿入れを希望したため、徳川家はそれに従い、輿入れをさせた。また、なぜ島津家が将軍家からの輿入れを嫌ったのかというと、5代将軍・徳川綱吉と8代将軍・徳川吉宗の養女であった竹姫が島津家の島津綱貴の正室として嫁ぐとき、将軍家からの申し入れの多さに懲りたといわれている。
[編集] 関連項目
[編集] 登場する作品
[編集] 脚注
- ^ NHK大河ドラマ「篤姫」での読みは「ひさひめ」となっている。