柴田大知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
柴田大知
Daichi-Shibata20111225.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県宇都宮市
生年月日 1977年6月18日(36歳)
身長 158.0cm
体重 49.0kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 フリー
初免許年 1996年
免許区分 平地・障害
経歴
所属 美浦栗田博憲(1996.3 - 1997.10)
美浦・フリー(1997.10 - 2006.9.12)
美浦・岩戸孝樹(2006.9.13[1] - 2008.2.18)
美浦・フリー(2008.2.19[2] - )
テンプレートを表示

柴田 大知(しばた だいち、1977年6月18日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手双子の弟・柴田未崎もJRAの騎手。同期には福永祐一和田竜二らがおり、競馬学校花の12期生のひとりである。

来歴[編集]

小学5年生の時、体の小ささを活かせるとして母親に薦められ、弟の未崎と共にJRA宇都宮育成牧場[3]で乗馬を開始。当初から騎手という職業には惹かれていたが競馬そのものにさほどの関心はなく、ともに宇都宮育成牧場に所属していた4歳年上の小林淳一競馬学校に合格したことで、初めて競馬学校の存在を知ったほどだった[4]。そして小林がJRA騎手としてデビューを果たしたのを契機に、自身も騎手になろうという決意を固める。また弟の未崎も同じ進路を歩むが2人して相談するでなく、自然と同じ志を抱くようになっていたという。

入学当初は成績が芳しくなかった大知であったが卒業時には上位2・3番目[5]にまで挽回する盛り返しを見せたものの、大知のいた12期生は後に「花の12期生」と称されるもデビュー当時は傑出した騎手候補生がなく、所属先の厩舎がなかなか決まらない者もいた。大知もまたその1人であったが、最終的に美浦の栗田博憲厩舎に決まり、1996年3月、未崎と揃って騎手デビューを果たす。

JRA史上初の双子騎手[6]、さらに双子でふたご座ということも話題を集め、デビュー当時多くのマスコミから注目を集めたが、大知は「結果も出していないのに双子というだけで騒がれるのは嫌だった」とコメントを残している。

同期の福永がデビュー2連勝を飾る中「自分は自分」とマイペースで進め、3月31日に初勝利を記録。8月3日には双子ワンツーフィニッシュ(1着・未崎、2着・大知)を飾り、デビュー年は27勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。

2年目の1997年6月29日ラジオたんぱ賞エアガッツで制して重賞初勝利。しかしこの重賞勝利の直後に、当時の師匠である栗田の反対を押し切って競馬新聞記者との結婚を強行し、これが原因で栗田厩舎から解雇処分(破門)されてしまいフリーの騎手となった。この事件を境に騎乗数が減り始め、次第に勝てなくなり、周囲からは調教助手への転進を進める声も出るほどだった[7]

2003年以降は、勝利数がひと桁台にまで落ち込む。2005年12月10日、騎乗数確保のため障害競走に初騎乗[7]。以後、平地競走・障害競走の双方で騎乗するようになる。2010年7月10日、ディアディアーで福島ジャンプステークスを勝ち、障害オープン特別競走初勝利、並びに前述のラジオたんぱ賞以来となるオープン競走勝利を挙げた。

平地競走では2006年から2008年まで平地競走勝ち鞍ゼロと大苦戦するが、2008年8月3日新潟競馬第11競走の北陸ステークスでダイイチミラクルに騎乗して2着に入り、それを機にミルファームの所有馬に騎乗するようになる。そしてミルファーム代表の清水敏が以前ビッグレッドファームに勤務していたことで、その縁は岡田繁幸にまで広がり、マイネル軍団の馬にも騎乗するようになった[8]

2011年6月11日マジェスティバイオ東京ジャンプステークスを勝ち、障害重賞初勝利、14年ぶりの重賞勝利を果たす。7月2日マイネルネオス中山グランドジャンプを勝ち、GI(J・GI)初制覇。勝利騎手インタビューでは「騎手を辞めなくてよかったです」と語り、涙を流す一面もあった。この勝利を機にマイネル軍団からの騎乗依頼はさらに増え、2006年に52回まで落ち込んだ騎乗回数が、この年はデビュー以来最多となる493回に伸びた[9]

2012年3月4日コスモオオゾラ弥生賞を勝ち、5362日ぶりの平地重賞勝利を収めた。これはグレード制導入(1984年)以降、最長間隔での勝利となった[10]。またその騎乗ぶりを岡田は「好位にとりついて、なだめるのがうまい」と称賛した[11]4月14日、マジェスティバイオで中山グランドジャンプを勝ち、同競走連覇を達成した。

2013年5月5日マイネルホウオウNHKマイルカップに勝ち、自身200勝目を平地GI初勝利で飾った。1984年のグレード制導入以後、平地・障害両方のGIを制した騎手は他に熊沢重文がいる。年間騎乗数も858回となり過去最高となった。

主な騎乗馬[編集]

騎乗成績[編集]

内容 日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1996年3月2日 1回中山3日1R 4歳未勝利 フジノコハギ 16頭 4 3着
初勝利 1996年3月31日 2回中山4日5R 4歳未勝利 ライトオンファイア 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1996年8月25日 4回中山6日11R 新潟記念 シャルムダンサー 11頭 10 11着
重賞初勝利 1997年6月29日 1回福島6日11R ラジオたんぱ賞 エアガッツ 9頭 3 1着
GI初騎乗 1997年4月6日 2回阪神6日10R 桜花賞 グランシェール 18頭 12 16着
GI初勝利 2013年5月5日 2回東京6日11R NHKマイルカップ マイネルホウオウ 18頭 10 1着

初騎乗 2005年12月10日 5回中山3日5R 障害未勝利 ミラクルコジーン 14頭 11 9着
初勝利 2008年1月12日 1回中山3日4R 障害未勝利 ジンデンバリュー 14頭 7 1着
重賞初騎乗 2006年6月10日 3回東京7日9R 東京ハイジャンプ ファインピーク 14頭 9 7着
重賞初勝利 2011年6月11日 3回東京7日8R 東京ジャンプS マジェスティバイオ 14頭 8 1着
JGI初騎乗 2010年12月25日 5回中山7日10R 中山大障害 マイネルネオス 12頭 5 3着
JGI初勝利 2011年7月2日 3回中山5日11R 中山グランドJ マイネルネオス 12頭 2 1着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1996年 27 25 32 350 .077 .149 .240 -
1997年 29 18 29 336 .086 .140 .226 -
1998年 11 17 19 315 .035 .089 .149 -
1999年 10 9 17 253 .040 .075 .142 -
2000年 9 19 22 293 .031 .096 .171 -
2001年 11 15 16 291 .038 .089 .144 -
2002年 10 8 9 239 .042 .075 .113 -
2003年 5 4 6 197 .025 .046 .076 -
2004年 5 10 7 135 .037 .111 .163 -
2005年 3 2 5 98 .031 .051 .102 0 0 0 3 .000 .000 .000
2006年 0 0 1 13 .000 .000 .077 0 5 4 39 .000 .128 .231
2007年 0 0 0 12 .000 .000 .000 0 1 4 42 .000 .024 .119
2008年 0 1 0 22 .000 .045 .045 1 2 2 50 .020 .060 .100
2009年 1 3 1 71 .014 .056 .070 1 0 1 45 .022 .022 .044
2010年 4 12 8 185 .022 .086 .130 2 3 3 35 .057 .143 .229
2011年 15 23 27 453 .033 .084 .143 5 5 3 40 .125 .250 .325
2012年 38 41 36 715 .053 .110 .161 3 3 1 21 .143 .286 .333
2013年 43 49 61 854 .050 .108 .179 0 1 0 4 .000 .250 .250
中央 221 256 296 4832 .046 .099 .160 12 20 18 279 .043 .115 .179
地方 7 12 15 137 .051 .139 .248  

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]