松平民部

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松平 民部(まつだいら みんぶ、1582年天正10年〉 - 1616年元和2年〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将徳川家康落胤とされる。母は法光院(お松)。永見民部とも。

父家康が厄年の時に誕生したため、忌み子とされ、次兄の結城秀康の養子となったという。秀康の長男で甥の忠直のもとで大坂の陣にも参戦した。その後、35歳で病死したとされる。元和9年(1623年)8月、秀康次男の忠昌の当時の領地、越後国高田藩において死去したとも伝わる。