東禅寺 (東京都港区)
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| 東禅寺 | |
|---|---|
山門 |
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| 所在地 | 東京都港区高輪3-16-16 |
| 位置 | 北緯35度38分3.33秒 東経139度44分6.52秒 |
| 山号 | 佛日山 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派別格本山 |
| 創建年 | 慶長14年(1609年) |
| 開基 | 伊東祐慶、嶺南崇六(開山) |
| 正式名 | 海上禅林佛日山 東禅興聖禅寺 |
| 札所等 | 江戸四箇寺 |
東禅寺(とうぜんじ)は東京都港区高輪にある臨済宗妙心寺派の別格本山。正式名称は海上禅林佛日山東禅興聖禅寺。江戸四箇寺の1つ。幕末にイギリス公使館が置かれていた。
目次 |
[編集] 起源と歴史
- 慶長14年(1609年)- 伊東祐慶が嶺南崇六を招聘して同区赤坂に創建。
- 寛永13年(1636年)- 現在地に移転。眼前に東京湾が広がる事から海上禅林とも呼ばれる。
- 安政年間(1855年 - 1860年)以降、西洋人用の宿舎に割り当てられる。
- 安政6年 - イギリス公使館が置かれる。
- 文久元年(1861年) - 攘夷派の常陸水戸藩浪士によって襲撃される。第一次東禅寺事件
- 文久2年 - 護衛役の信濃松本藩藩士によって再び襲撃される。第二次東禅寺事件
[編集] 東禅寺事件
幕末の攘夷派志士による二度に及ぶイギリス公使館襲撃事件。
[編集] 第一次
1861年5月28日夜半水戸藩の攘夷派浪士有賀半弥ら14名は江戸高輪東禅寺のイギリス公使館内に侵入し前日東海道を下り帰着したばかりの公使ラザフォード・オールコックらを襲撃した。書記官オリファントと長崎駐在領事モリソンが負傷、オールコックは危うく難を逃れた。遅れて駆け付けた日本側警備兵と藩士は邸外で戦闘し双方多数の死傷者を出した。オールコックは東洋民族の排外運動の熾烈さを再認識したのであるが日本側警備兵の働きにも認めるところがあったといわれる。
- イギリス水兵の公使館駐屯の承認
- 日本側警備兵の増強
- 賠償金1万$の支払い
以上の条件で事件は解決をみた。
[編集] 第二次
1862年5月29日警備兵の一人松本藩士伊藤軍兵衛は代理公使ニールを襲撃し多大の藩財政の出費を強いる公使館警備の解除と日本人相互の闘いを防ごうとした。伊藤はイギリス水兵2名を殺害したが自らも負傷し番小屋で自殺した。イギリス側警備兵は増強されたが賠償金交渉が紛糾するうちに8月、生麦事件が発生したために幕府は生麦事件の賠償金承諾と同時に1万£の要求を受諾した。
[編集] 著名人の墓
関係者以外の見学は受け付けていない。
[編集] 交通アクセス
[編集] 登場作品
- 異人斬 東禅寺の血煙 - 1932年作成の映画
[編集] 関連項目
- 東禅寺 - 同名の寺院
[編集] 参考文献
- 大君の都 上・中・下(ラザフォード・オールコック、岩波文庫、1962年)
- 一外交官の見た明治維新 上・下(アーネスト・サトウ、岩波文庫、1960年)

