東方外交

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東方外交(とうほうがいこう、独語:Ostpolitik)とは、西ドイツヴィリー・ブラント首相による、東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした、東側諸国に対する外交政策である。

経緯[編集]

冷戦時代の西ドイツを率いてきたコンラート・アデナウアー政権は、ハルシュタイン原則に基き、西ドイツがドイツを代表する唯一の正当性を持った国家であるとして、ソ連以外の国で東ドイツ国交を持つ国との国交を断絶するという政策を取り、東ドイツの存在自体を認めないという政策を実行した。

しかし、キリスト教民主同盟からブラント率いる社会民主党に政権が交代すると、従来の方針を改め、東ドイツの存在を事実上認めること、東プロイセン領の放棄、オーデル・ナイセ線を承認し、現状の状況を追認した。

対東ドイツの関係[編集]

東ドイツの存在を事実上認めたものの、ブラントは東ドイツを主権国家として認めるつもりはなく、そのため東ドイツの指導者ヴィリー・シュトフと対立したものの、最終的には東西ドイツ基本条約において国際法における国家承認ではなく、同等の権利を持つ主権国家であるとして外交関係について曖昧な形で決着した。

対ポーランドの関係[編集]

1970年にオーデル・ナイセ線を事実上の国境とするワルシャワ条約が調印され、東ドイツとともにオーデル・ナイセ線を認めた。このオーデル・ナイセ線については、ドイツ東西統一の際にも改めて国境線として確定された。

関連項目[編集]