東北大学病院

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Japanese Map symbol (Hospital) w.svg 東北大学病院
Tohoku University Hospital 01.JPG
情報
英語名称 Tohoku University Hospital
前身 仙台藩医学校施薬所
私立仙台共立社病院
仙台公立病院
県立宮城病院
県立宮城医学校附属病院
県立宮城病院
東北帝国大学医学専門部附属病院
東北帝国大学医科大学附属病院
東北帝国大学医学部附属病院
東北大学医学部附属医院
加齢医学研究所附属病院、東北大学医学部附属病院、東北大学歯学部附属病院
許可病床数 1308床
精神病床:70床
感染症病床:2床
一般病床:1236床
機能評価 一般500床以上:Ver4.0
開設者 国立大学法人 東北大学
管理者 里見進(病院長)
開設年月日 1817年文化14年)
所在地
〒980-8574
位置 北緯38度16分19.4秒
東経140度51分40.9秒
二次医療圏 仙台医療圏[1]
PJ 医療機関
  
仙台城天守台から見た東北大学病院(2009年7月)。写真中央の高いビルが西病棟および東病棟の連結ビル。その手前に左から医学部1号館・2号館・3号館が並ぶ。
北東側(宮城県道264号大衡仙台線)から見た東病棟/西病棟
外来棟

東北大学病院(とうほくだいがくびょういん)は、宮城県仙台市青葉区に所在する総合病院であり、国立大学法人東北大学に付属する大学病院である。

日本の大学病院の中では最も長い190年を超える歴史を持ち[2]、また、国立大学法人の大学病院において病床数が最も多い[2][3]

目次

[編集] 診療科

[編集] 院内施設

[編集] 沿革

1736年元文元年)11月1日に設置された仙台藩藩校明倫養賢堂」が、1760年宝暦10年)7月から医学教育を開始していた。1817年文化14年)に養賢堂から医学教育部門が分離・独立して「仙台藩医学校」が設置された際、同時に病院部門の「施薬所」も設置された。これが改称・改組を繰り返しながら現在の「東北大学病院」へと繋がっている(医学教育部門はのちの東北大学医学部・薬学部へと繋がる)[4]

現在の「東北大学病院」の直前の前身は、東北大学の医学部附属病院、歯学部附属病院、加齢医学研究所附属病院であり、これらが大学直轄機関に統合・改組して設置された。なお、医療法上の名称は2007年平成19年)1月に東北大学医学部附属病院から東北大学病院へと改められた。

なお、1996年(平成8年)に、鍼灸を扱う漢方外来が国立大として初めて設置された。漢方薬自体は各科で以前から処方していたものの、漢方外来は明治以来の復活である。

[編集] 年表

1975年度(昭和50年度)と1984年度(昭和59年度)撮影の当院周辺の空中写真
Aerial photo of Tōhoku University Hospital in 1975.jpg Aerial photo of Tōhoku University Hospital in 1984.jpg
1975年度(昭和50年度)撮影の国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
仙台空襲で被災しなかったため古くからの建物が多く残っているが、医学部では1号館(基礎棟)や3号館(臨床棟)などが新築され、病院では医学部附属病院の一部の病棟や写真上の歯学部附属病院などが新築されている[5]
写真左下の広瀬町には、抗酸菌病研究所(現・加齢医学研究所)および仙台厚生病院が、同じ敷地内で混在して建っている。
1984年度(昭和59年度)撮影の国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
医学部附属病院は中央廊下を残してほとんどが新築され、外来棟前のロータリーや駐車場が設置された[5]
抗酸菌病研究所(現・加齢医学研究所)および附属病院が広瀬町から写真上の歯学部隣接地に新築・移転し、跡地では仙台厚生病院が新築された

[編集] 統計

[編集] 平均患者数

外来患者は毎年増加傾向であるが、入院患者はベッド数に限りがあるのでほぼ横ばいとなっている[6]

1日あたり平均外来患者数
2002年(平成14年)度 1,879人
2003年(平成15年)度 1,910人
2004年(平成16年)度 1,944人
2005年(平成17年)度 2,015人
2006年(平成18年)度 2,099人
2007年(平成19年)度 2,160人
2008年(平成20年)度 2,177人
1日あたり平均入院患者数
2002年(平成14年)度 1,066人
2003年(平成15年)度 1,061人
2004年(平成16年)度 1,039人
2005年(平成17年)度 1,020人
2006年(平成18年)度 1,021人
2007年(平成19年)度 1,085人
2008年(平成20年)度 1,064人

[編集] 地域別入院患者数

2008年(平成20年)度の入院患者の実人数は18,639人だった。うち、仙台市居住者は9,491人で全体の50.9%であり、約半数の入院患者は仙台市外から来ていた。また、宮城県居住者は16,386人で全体の87.9%、宮城県以外の居住者は2,253人で全体の12.1%であった。

[編集] 指定

[編集] その他

[編集] アクセス

仙台市都心部西北の地にあり、正門は大学病院前交差点(西公園通北四番丁との丁字路)に面し、旧県立宮城病院正門[7]は木町通一丁目交差点(木町通りと北四番丁との十字路)の北西角にある。アクセスには、仙台市営バスの主要ターミナルの1つで、バス駐車場(仙台市交通局木町通駐車場)や案内所(交通局乗車券発売所)が併設されている「交通局大学病院前」バス停が、最も多くのバス系統を集散しており便利である。周辺の民間駐車場の相場は200円/時間程度。なお、仙台市電が運行していた時期には、大学病院前駅が最寄りの電停だった。

[編集] 周辺

当院の周辺には、仙台厚生病院(病床383床)、精神病院の東北会病院(精神科病床222床)、透析ベッド55床を擁する宏人会木町病院、画像診断センターがある仙台星陵クリニックなどがあり、検査診断治療外部委託も行われている。また、開業医による個人病院や調剤薬局も集積している。関連病院は、宮城県を中心に東日本に121ある。

仙台厚生病院は、1935年昭和10年)から日本人死因の第1位となった結核を主要研究対象とする旧・東北大学抗酸菌病研究所(抗研。現・東北大学加齢医学研究所)が1941年昭和16年)12月に設立されたのに伴い、1943年昭和18年)に社団法人生命保険厚生会により抗研の敷地内に開設された。以降、抗研と一体となって結核の治療・研究を行っていた[8][9]高度経済成長期になると、感染症死亡率の低下で抗研の研究対象が成人病生活習慣病)などに広がり[9]1970年代に抗研が広瀬町から歯学部隣接地の星陵町に新築・移転すると、抗研の跡地は1982年昭和57年)5月20日に仙台厚生病院に払い下げが決まった[10]。これに伴い、仙台厚生病院は抗研から独立した民間病院化がなされた[9]ものの、抗研の医局と一体的な状況は続き、1993年平成5年)に抗研が加齢医学研究所(加齢研)に改組しても続いていた。ただし現在は、東北大学病院の関連病院ではあるものの、加齢研の医局との分離が進んでいる。

なお、仙台市の火葬場が東北大学病院の北にある大願寺伊達政宗灰塚がある)の北隣にあったが、1972年昭和47年)に葛岡に移転した[11][12]

[編集] 脚注

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  1. ^ 宮城県の救急医療体制図(宮城県)
  2. ^ a b 病院長挨拶(東北大学病院)
  3. ^ 各国立大学病院の医師臨床研修の紹介(国立大学附属病院長会議)
  4. ^ 病院概要「沿革」(東北大学病院)
  5. ^ a b 星陵キャンパス(東北大学)
  6. ^ 実績(東北大学病院)
  7. ^ 県立宮城病院旧正門と木下杢太郎碑(東北大学「まなびの杜」1998年秋 No.4)
  8. ^ 沿革・概要(仙台厚生病院)
  9. ^ a b c 財団法人厚生会・仙台厚生病院(東北大学医学部教室委員会)
  10. ^ 40. 国有財産地方審議会審議経過一覧(昭和57年度)財務省
  11. ^ 北山時代の火葬場は「北山火葬場」と呼ばれた。周辺は北山五山に代表される寺社地。東北大学病院の前身の県立宮城病院が当地に移転してきたのは1911年明治44年)だが、1912年大正元年)の地図(有限会社イーピー 風の時編集部「仙台地図さんぽ」)では仙台市立三条中学校辺りに北山火葬場の所在地が記されている。その後、北山火葬場は大願寺の北隣に移転したようで、1924年大正13年)に新火葬場が建設され(写真)、1957年昭和32年)に重油炉にした(写真)。1972年昭和47年)に葛岡に移転すると、1974年昭和49年)7月に跡地は仙台市北山市民センターとなった(資料一覧市営火葬場の位置が示してある昭和40年代の地図)。
  12. ^ 仙台市斎場条例(仙台市)
ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

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